初詣に行かれ 開運祈願された方も多いと思います。
開運というと、お金持ちになれたり、社会的ステイタスが上がったり、理想的な人と巡り合えたり、といった具体的な願望が実現されること、と考える人は多いでしょう。
では、具体的な願望はなくて、ただ幸せになれますように!といった開運祈願をされた方は、どのような結果を開運と考えるのでしょうか。
ひとくちに開運と言っても、開運の道はひとそれぞれであるはずだし、今自分が望んでいることが、自分にとっての本当の開運に沿っていないこともあるものです。
開運はその人が天から授かってきた運を十分に活かし、自分の人生を切り拓き、その人にしか得られない幸せを実現させていくことだと私は考えています。
でも、現世的な物質意識が強い人だと、魂の求める真の幸せを見失い、「開運すればお金持ちになれる」という、うたい文句に乗せられ、物質的な繁栄や、社会的ステイタスを上げることだけが、開運のあるべき姿だと勘違いしてしまいがち。
ただし人それぞれ幸せの形は違いますから、開運すればみな一様にお金持ちになれたり、恋愛運が押し寄せたり、有名になれるわけではありません。魂の求める真の開運の姿は、物質至上主義の現世的な目で見ると、意外と地味に見えることも多いでしょう。
しかし、意識を高めスピリチュアルな視点に立って見ることができれば、目に映る要素に華々しさはなくても、愛に満ちたとても素晴らしい開運人生を達成している人もたくさん存在しているのです。目に見える華々しい姿のみを開運イメージとして捉えてしまうと、そのようになれない自分をもどかしく思ったり、自分の魂が求める本当の幸せビジョンが見えてきません。
しかし、意識を高めスピリチュアルな視点に立って見ることができれば、目に映る要素に華々しさはなくても、愛に満ちたとても素晴らしい開運人生を達成している人もたくさん存在しているのです。目に見える華々しい姿のみを開運イメージとして捉えてしまうと、そのようになれない自分をもどかしく思ったり、自分の魂が求める本当の幸せビジョンが見えてきません。
自分が本当に向かうべき開運への道は、心の目を開いてこそ見つけることができるものだと思うのです。