あまり地域との交流のない私は、心持ち緊張し、普段より早く目覚めてしまった。
我が家から地域の神社に向かって草を取り、その後全員が集合する場所に行くのが決まりである。
神社近くの道の草たちは隣の叔母と2人のテリトリー。
完璧に近くキレイにした。
その後の集合へと向かう途中で見知らぬ若い人に声をかけられた。
「M先生ですか」(1番苦手な問いである。小さい頃の顔は覚えていても何十年と会ったことのない顔は名前なしでは
想像もつかない。それに先生と呼ばれるのも気恥ずかしい )
検討もつかなく、焦る。
名前を聞いてうれしくなった。
去年近くに引っ越してきた、Kちゃんだったからだ。
我が家から、しかも近い。
我が家から見える場所でありながらどんな人が住んでいるのか顔が見えないのである。
でもKちゃんが住んでいるということは知っていて、庭に出ている時など気になりながら1年とちょっとが過ぎていた。
なぜなら私の中でKちゃんは思い出深い子だったからだ。
とても子どもらしいやんちゃな子のイメージであった。
その頃の園児数はとても多く目の配りも十分ではなかった。
5歳で入園し、たった1年間のお付き合い。
その後、ずっと会ったこともなく、Kちゃんは50歳になっていた。
私を覚えていますかと問われ、忘れられない一つのエピソードを話した。
でもKちゃんはそれを覚えていなかった。
教師としての失敗だからKちゃんには心に残らないエピソードであったのがうなづける。
生活発表会という行事があり、楽器遊びで「おもちゃのチャチャチャ」を発表した。
好きな楽器を選ぶのは幼児たちである。
Kちゃんはシンバルだった。
結構長い曲である。
しかも最後にジャーンと鳴らすシンバルのKちゃん。
曲もだいぶ進んだ頃にKちゃんがピアノを弾いている私のそばにシンバルを持って顔を出したのだ。
ピアノをやめ、会場のお母さんがたに、もう一度最初から演奏させてくださいとお願いした。
Kちゃんが定位置について演奏がスタートした。
会場のお客さんはいつ、どこでシンバルの子の出番なのだろうと集中してKちゃんに見入っていたに違いない。
長い曲が終わったその時に「ジャーン」がなり、ようやく一つの楽器遊びが終わった。
その終わったとたんに遊戯室の会場から大きな拍手と笑いが起こったのだ。
私の心にはKちゃんと共に忘れられない笑える失敗として深く刻まれていた。
Kちゃん以外の子がどんな楽器を選んだか?というのはもちろん覚えていない。
K君は環境整備後に私の庭に寄り、K君の家を我が家から眺めながらベンチで長いこと話した。
小さい頃に私の家に来たことがあるという。
幼稚園で覚えている事があるか聞くと、A君をモップで殴って傷をつけて先生に怒られたという。
言われてみればそんなことがあったな〜程度で私の記憶の中ではそれは消えていた。
先生にはいろいろ迷惑をかけたと思うんですというK君はすっかり立派な父親になっていた。
車で10時間もかけて息子を応援するために甲子園に行った事。
親として楽な事ではなかったろう甲子園までの距離。
物理的な距離の10時間を相当超えて頑張ってきたことを思うと
「偉いな〜Kちゃん」とつくづく思ったK君の半世紀である。
K君との距離が今日の環境整備でぐっと縮まった。
庭でお茶を飲む約束を交わした。w
Kちゃーんと呼ぶと聞こえる距離にある我が家である。