陸橋下の短いトンネルを抜けると墓地であった。
それが、乃木坂トンネルを赤坂方面から青山方面に、
日産シルヴィアで向かったときの印象である。
♪ちょぉぴり、さびぃしぃい、乃木ぃ坂ぁ~~~♪
このレコードはソニー・ミュージックから出てたのではなかったと思う。
先日の投票所にも使われた六本木中はかつての城南中と三河台中である。
いっぽう、赤坂小はかつての赤坂小、檜町小、氷川小の接合体である。
そんな移り変わりは、ちょっぴりさびしいのである。
9月13日は、乃木大将と静子夫人の命日である。
大正元年9月13日、明治天皇の大喪の日に夫妻は殉死した。
毎年、9月12、13の両日は、乃木坂の旧乃木邸が一般公開される。
旅順203高地攻略の「不手際」に怒った国民が投石した家である。
質素なたたずまいであるが、自害した部屋には血の附いた服が置かれてる。
乃木大将は、黒船来航の4年前、現在、六本木ヒルズが聳える
旧麻布日ヶ窪町の長府藩毛利家(毛利の分家、およそ5万石)の下級藩士の倅として、
同屋敷の長屋で生まれたそうである。ほとんどの武士の家は禄高にかかわらず、
躾には非常に厳しかったのである。それが昭和期まで続いてたことは、
少年時の私自身が、祖母と父の関係を肌で感じ、理解してる。
歩きかた、座ってるときのピンと背筋がはった姿勢、そして、
何時間でも息音ひとつたてずにじっとしてられる、ことなどは、序二段である。
ともあれ、この乃木大将の父親の「厳しさ」は相当なものだったらしい。
なぜなら、代々、医師の家だったのを、武士に憧れてたこの父親は、
士分として取りたててもらったばかりの「にわか侍」だったからである。
「武士たらんとすれば」という一本槍な思考で、士分にしがみつこうとしたのである。
また、その妻ともなれば、やはり冷たいくらい厳しかったようである。
乃木大将は幼少のおり、左目を負傷した。ほとんど視力がなかったらしい。が、
それを知ってたのは妹だけである。妹だけに乃木大将は打ち明けてたのである。
母親が蚊帳をかたそうとしたとき、または、内職の傘貼りをしてたときに、
誤って乃木少年の目を突いてしまった、ことになってるのである。が、
乃木少年はそれが母の過失となるために、「事故」の張本人の母にさえも、
視力が奪われたことを黙ってたのである。が、
じつはこの「事故」は母による「躾」(現在でいう「虐待」)だった、
のではないかと思われるほど、乃木大将の両親の「教育」は凄まじかったのである。
乃木大将の伝記、とくにその少年期の部分は、涙なくしては読めない。
乃木少年は学者になりたかったのだが、進路を選べないどころではないのである。
結局、心ならずも軍人となり、西南の役で、
連隊旗を敵に奪われるという大失態をおかしてしまうのである。
日露戦争では倅をふたりとも失い、203高地攻めでは、
2万5千人もの犠牲者を出しながらも向こう見ずな突撃を続けさせ、
自国民から怒りをかった。が、
その愚直な突撃の連続が、敵将ステッセルには「理解の範囲外」であり、
「恐怖」を与えたのである。ステッセル中将は司令官の職と軍馬とピアノを失い、
帰都後は軍事裁判で死刑を宣告される。特赦されたが、不遇のうちに死んだ。
いずれにしても、当時のロシア帝国の士官に「も」、ドイツ系が多いようである。
さて、ドイツ人といえば、
9月13日は、クラーラ・ヨゼフィーネ・ヴィークの誕生日でもある。
1841年9月13日、結婚1周年の記念に、亭主ローベルトは、
現在「4番」とされてるニ短交響曲を贈るつもりだったそうである。
ローベルト・シューマンの「4番交響曲」(op.120)は、
各章がアタッカの関で繋がれてる1章形式の交響曲であることがカンジン帳であるが、
そうはいっても、4章にきっちり分かれてるのである。そこで、
「統一感」を持たせるために、
主章主部の主主題:♪「ラ<ド<ラッ<ドッ・>シ>ラ>♯ソッ<ラッ」♪が、
終章の主主題:♪ミッ○○○ファッ○○○・>ミッ○○○♪の3拍めの「ミッ」から、
♪「ド<ミ<ドッ<ミッ・>レッ>ドッ>シッ<ドッ」♪と
長化したものを被せて循環させてるのである。また、この作品は、
「心の弟子」ブラームスや「異国ロシア」のチャイコフスキーに、
「旋律」という直接的な影響を与えた。
(主章序部)
♪○○○・【ド>シ>ラ|>♯ソ<ラ<シ・シ】<ド>♯ソ|<ラ<シ<ド・ド<レ>シ|
<<ミ<ソ・>ド<ミ・ソン<レ|レー<ミーーー♪
→「チャイ4」(緩徐ネッタ章・主主題)
♪○【ド>シ>ラ|>♯ソ<ラ<ミ・ミ】|>シ・<レ>ド>シ|>♯ソ<ラ<シ・シ♪
(ロマーンツァ章・主主題)
♪【【ラン<シ|ドー・<ミン>レ・>ド<レ>シ】】|ドーーー♪
→「ブラ3」(アレグレット章・主主題)
♪【【ラン<シ|ドー・ーー・ーー|<ミン>レ・>シー】】
(諧謔章・主主題)
♪【【【ミー|<ララ・<シシ・<ドド|<レレ・>ドド・>シシ|>ラー・ーー】】】♪
→「チャイ5」(主章・主主題)
♪【【【ファ|<ランララ・ー<シド|<レ>ド>シ・>ラー】】】♪
(終章結部)
♪『ラーーー・<レーー>ド|ド>シ>ラ>ソ・<ドー>ソー』♪
←「モツ13番小夜曲」(主章)
♪『ラーー<レ・>ド>シ>ラ>ソ|<ドッ○<ミッ○・ドッ○○○』♪
ローベルト・シューマンは和声の上でもあとの作曲家らに影響を与えたが、
自身にも先人の「名旋律」という遺跡があちこちにちりばめられてるのである。
ところで、クラーラ・シューマンの作品に、
「ヴィーンの思い出」というのがあるが、これは、
「オーストリア帝国」の国歌だったパパ・ハイドゥンの「皇帝讃歌」を
引用したものである。ちなみに、
チャイコフスキーはこの讃歌をオケ用にアレンジしてる。いっぽう、
チャーリー・チャプリンの「ライムライト」のテーマに
「皇帝讃歌」が入り込んでしまったことはすでに「照明」した。
♪あれあれ、ほれほれ、母さんが、蛇の目でおつつき、悲しいな。
ピッチ・ピッチ、チャップ・チャップリン、ラン・ラン・ラン♪
それが、乃木坂トンネルを赤坂方面から青山方面に、
日産シルヴィアで向かったときの印象である。
♪ちょぉぴり、さびぃしぃい、乃木ぃ坂ぁ~~~♪
このレコードはソニー・ミュージックから出てたのではなかったと思う。
先日の投票所にも使われた六本木中はかつての城南中と三河台中である。
いっぽう、赤坂小はかつての赤坂小、檜町小、氷川小の接合体である。
そんな移り変わりは、ちょっぴりさびしいのである。
9月13日は、乃木大将と静子夫人の命日である。
大正元年9月13日、明治天皇の大喪の日に夫妻は殉死した。
毎年、9月12、13の両日は、乃木坂の旧乃木邸が一般公開される。
旅順203高地攻略の「不手際」に怒った国民が投石した家である。
質素なたたずまいであるが、自害した部屋には血の附いた服が置かれてる。
乃木大将は、黒船来航の4年前、現在、六本木ヒルズが聳える
旧麻布日ヶ窪町の長府藩毛利家(毛利の分家、およそ5万石)の下級藩士の倅として、
同屋敷の長屋で生まれたそうである。ほとんどの武士の家は禄高にかかわらず、
躾には非常に厳しかったのである。それが昭和期まで続いてたことは、
少年時の私自身が、祖母と父の関係を肌で感じ、理解してる。
歩きかた、座ってるときのピンと背筋がはった姿勢、そして、
何時間でも息音ひとつたてずにじっとしてられる、ことなどは、序二段である。
ともあれ、この乃木大将の父親の「厳しさ」は相当なものだったらしい。
なぜなら、代々、医師の家だったのを、武士に憧れてたこの父親は、
士分として取りたててもらったばかりの「にわか侍」だったからである。
「武士たらんとすれば」という一本槍な思考で、士分にしがみつこうとしたのである。
また、その妻ともなれば、やはり冷たいくらい厳しかったようである。
乃木大将は幼少のおり、左目を負傷した。ほとんど視力がなかったらしい。が、
それを知ってたのは妹だけである。妹だけに乃木大将は打ち明けてたのである。
母親が蚊帳をかたそうとしたとき、または、内職の傘貼りをしてたときに、
誤って乃木少年の目を突いてしまった、ことになってるのである。が、
乃木少年はそれが母の過失となるために、「事故」の張本人の母にさえも、
視力が奪われたことを黙ってたのである。が、
じつはこの「事故」は母による「躾」(現在でいう「虐待」)だった、
のではないかと思われるほど、乃木大将の両親の「教育」は凄まじかったのである。
乃木大将の伝記、とくにその少年期の部分は、涙なくしては読めない。
乃木少年は学者になりたかったのだが、進路を選べないどころではないのである。
結局、心ならずも軍人となり、西南の役で、
連隊旗を敵に奪われるという大失態をおかしてしまうのである。
日露戦争では倅をふたりとも失い、203高地攻めでは、
2万5千人もの犠牲者を出しながらも向こう見ずな突撃を続けさせ、
自国民から怒りをかった。が、
その愚直な突撃の連続が、敵将ステッセルには「理解の範囲外」であり、
「恐怖」を与えたのである。ステッセル中将は司令官の職と軍馬とピアノを失い、
帰都後は軍事裁判で死刑を宣告される。特赦されたが、不遇のうちに死んだ。
いずれにしても、当時のロシア帝国の士官に「も」、ドイツ系が多いようである。
さて、ドイツ人といえば、
9月13日は、クラーラ・ヨゼフィーネ・ヴィークの誕生日でもある。
1841年9月13日、結婚1周年の記念に、亭主ローベルトは、
現在「4番」とされてるニ短交響曲を贈るつもりだったそうである。
ローベルト・シューマンの「4番交響曲」(op.120)は、
各章がアタッカの関で繋がれてる1章形式の交響曲であることがカンジン帳であるが、
そうはいっても、4章にきっちり分かれてるのである。そこで、
「統一感」を持たせるために、
主章主部の主主題:♪「ラ<ド<ラッ<ドッ・>シ>ラ>♯ソッ<ラッ」♪が、
終章の主主題:♪ミッ○○○ファッ○○○・>ミッ○○○♪の3拍めの「ミッ」から、
♪「ド<ミ<ドッ<ミッ・>レッ>ドッ>シッ<ドッ」♪と
長化したものを被せて循環させてるのである。また、この作品は、
「心の弟子」ブラームスや「異国ロシア」のチャイコフスキーに、
「旋律」という直接的な影響を与えた。
(主章序部)
♪○○○・【ド>シ>ラ|>♯ソ<ラ<シ・シ】<ド>♯ソ|<ラ<シ<ド・ド<レ>シ|
<<ミ<ソ・>ド<ミ・ソン<レ|レー<ミーーー♪
→「チャイ4」(緩徐ネッタ章・主主題)
♪○【ド>シ>ラ|>♯ソ<ラ<ミ・ミ】|>シ・<レ>ド>シ|>♯ソ<ラ<シ・シ♪
(ロマーンツァ章・主主題)
♪【【ラン<シ|ドー・<ミン>レ・>ド<レ>シ】】|ドーーー♪
→「ブラ3」(アレグレット章・主主題)
♪【【ラン<シ|ドー・ーー・ーー|<ミン>レ・>シー】】
(諧謔章・主主題)
♪【【【ミー|<ララ・<シシ・<ドド|<レレ・>ドド・>シシ|>ラー・ーー】】】♪
→「チャイ5」(主章・主主題)
♪【【【ファ|<ランララ・ー<シド|<レ>ド>シ・>ラー】】】♪
(終章結部)
♪『ラーーー・<レーー>ド|ド>シ>ラ>ソ・<ドー>ソー』♪
←「モツ13番小夜曲」(主章)
♪『ラーー<レ・>ド>シ>ラ>ソ|<ドッ○<ミッ○・ドッ○○○』♪
ローベルト・シューマンは和声の上でもあとの作曲家らに影響を与えたが、
自身にも先人の「名旋律」という遺跡があちこちにちりばめられてるのである。
ところで、クラーラ・シューマンの作品に、
「ヴィーンの思い出」というのがあるが、これは、
「オーストリア帝国」の国歌だったパパ・ハイドゥンの「皇帝讃歌」を
引用したものである。ちなみに、
チャイコフスキーはこの讃歌をオケ用にアレンジしてる。いっぽう、
チャーリー・チャプリンの「ライムライト」のテーマに
「皇帝讃歌」が入り込んでしまったことはすでに「照明」した。
♪あれあれ、ほれほれ、母さんが、蛇の目でおつつき、悲しいな。
ピッチ・ピッチ、チャップ・チャップリン、ラン・ラン・ラン♪
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