「秘書」による公職選選挙法違反(詐偽投票)のかどで、
「興起粛正」が行われてるようである。
新党日本汚点めっかっちゃったれば非もまたずうずし。
♪イッパイのぉ~~~、こぉ~きぃからぁ~~~、夢の花咲く、こともあるぅ~~~♪
故川口松太郎の倅故川口浩探検隊長と故野添ひとみ女史みたいな
オシドリ夫婦のように、某区区議の旧芝浦ゴウルド系の若い美人奥さんと、
お幸せな「家族が仲良く暮らせる三世代同居住宅政策の推進や、
お年寄りのための介護制度の充実など、心の通う福祉の実現を目指して全力で努力」
していただきたいものである。さて、
9月12日は、リチャード・ゲァトリングの誕生日である。
カラシニコフレンコンを食ったときに思い立ったかどうかは知らないが、
通常6つの銃身が回転して連射できるガトリング銃を発案した人物である。
映画「ダ・ラスト・サムライ」で、渡辺謙の私設軍を壊滅させるときに
新政府軍が使用してたものである。ときに、
米国は銃社会である。その功罪は論じても埒があかないが、
「I like Ike!(拙訳:アイ・ライク・アイク!)」
というスロウガンで(私が選挙参謀だったなら
「Go,go,Ike!(拙訳:行け、イケ、アイク!)」
にしたところだが)大統領選を戦い圧勝した
第34代大統領ドゥワイト・アイゼンハウアー(鉄鋼採掘人の意)が
2期めを終えた際に、軍隊と軍事産業間の長閑にはシナジーな関係の危険性
について危惧する捨て台詞を吐いたことは、多大な意味を持つのだそうである。
連合国司令官という経歴を持つ「第2次世界大戦の英雄」が、ただ
共和党にかつぎあげられただけの大統領だと思われてたからである。
♪わすれなぁいで、あなたよぉりも、たいせつなものがある。
わすれなぁいで、ハガネよぉりも、たいせつなものはない♪
世界柔道の個人戦は終わったが、井上康生選手は出場すらしてなかった。
鈴木桂治選手の応援に専念だったようである。スランプなのかどうかは知らないが、
♪はぁ~~なぁ~もぉ~、あらしもぉ~~~、ふぅ~みこぉ~えぇ~てぇ~~♪
同棲してたまんまるご面相の、某金融会社のスットボケたCMソングを
アイクるしい顔……かどうかはヒトそれぞれの感じかたなんだそうであるが……
で歌ってる東原亜希嬢にフラれたとのウワサしきりである。
アイゼンハウアーは、自分の後任の大統領選に
ジアンカーノ一家の票分の僅差でJFKに敗れた共和党リチャード・ニクスンが、
8年後に奇跡の復活で大統領に就任した2箇月後、78歳で亡くなった。
いずれにしても、アイゼンハウアーはタフトのように、
「いやいやながら、推されたから」なった大統領ではなかったのである。
家族のために懸命に地道にサラリーマンをやってる男とは違い、
「自由業」という生きかたを選んだくせに、
自分の専門外のことや、好きでない仕事を引き受ける輩とは大違いである。
別のことが専門だったり、チャイコフスキーが好きでもないのに、
その伝記を執筆しては外道である。たしかに、チャイコフスキーを崇める者が書いても、
必ずしもいい仕事ができるわけではない。が、もともと関心がなかったり、
好きでなかった者に、チャイコフスキーのことをきちんと描けるはずもない。
心理テストでも解答選択の「訂正」は「訂正後にカウントされない」のである。
巨人に指名されなかった恨みから中日一筋だったはずの者が、
ヤクルトから翌シーズンに同リーグの阪神に鞍替えした野村を批判しときながら、
中日を追われたらとたんに野村の後釜におさまり、今度は巨人への話が持ち上がれば、
それにもまんざらでない、というような無節操なのと同類である。
「体調不良」が笑わせる、というものである。ときに、今年の7月ごろに
音楽之友社から出された「作曲家・人と作品シリーズ」の
「チャイコフスキー」(伊藤恵子著)を、カネを払って買った。だから、私には
「感想を述べる権利」があるはずである。さて、
この筆者は、その「終章」を「しあわせな作曲家」と題し、
チャイコフスキーがほかのロシアの作曲家らに比して恵まれてた、
とのたまってる。陽の目を見なかったであろう農奴作曲家に温情をかけてみせ、
グリーンカやムーソルグスキィさえも不遇だった、と同情するのである。
とどめには、ショスタコーヴィチへの「ソ連からの制約」をあげて、
「(不遇だった)彼らがどんなにかチャイコフスキーを羨んだか」と、
自分の意見を「彼ら」を主格にすりかえて「代弁」させてるのである。さらに、
「作品篇」の「オペラ」部門の「オルレアンの少女」のくだりでは、
『主人公の処刑(火あぶり)は、原作よりはるかに写実的で、
その残酷さは彼の人物像を語る際に必ず指摘される』
と、根拠もなく、取材もなく、出所もなく、
という「嘘ツ記事シジョウ前新聞社」のような掌を赤く染めた手法で、
シラーっとした顔で、チャイコフスキーを貶めんとしてるのである。
チャイコフスキーがまるで凶悪犯のような人格だったかの印象を
与えようとすることに躍起かのようである。が、はたして
チャイコフスキーはチカチーロだったであろうか?
青空球児の殿様蛙のごとく傲慢にゲロゲーロとわめきちらしたとでもいうのか?
普通の脳がある人間なら、すぐに文章のウソを感じるであろうが、
世の中には複雑な知能の持ち主も少なくないのである。そういう類は、
上記の文書を見て、すぐさま
「チャイコフスキーは残酷なやつだったらしいぞ」
などと掲示板に書き込んだりするのである。なにしろ、
チャイコフスキーの人物像を語る際には必ず指摘される、のだそうであるから。
それから、この筆者は、例の「オル老婆説」を、
『ポズナンスキーらの緻密な検証作業によって、
21世紀の今となっては歴史のエピソードのひとつにすぎない』
と一笑にふしてる。私もこの老婆女史の話を鵜呑みにしてるわけではないが、
ポズナンスキーの「反証」なるもののお粗末さにも愉しみを覚えてる。
『チャイコフスキーの男性関係は国外では公然だったし、
帝政ロシアの上流階級に仲間も多い。保守的で体制派にみえた作曲家。
彼の愛情生活は死に値する大罪ではないと考えたほうが、自然だろう』
と、この筆者大女史もポズナンスキーの「検証」をそっくり結論にしてる。が、
国外で公然だろうが国内で非公然だろうが、公然性が問題だったのか?
上流階級に「お友だち」が多かったとのことであるが、火の粉が自分に
降りかかってきたら、自己保身に努めるのが人情というものである。
筆者女史は政治の世界はおろか、ご近所づきあいの諸々すら知らないとみえる。
「らしいもの」をウノみしかできない「しあわせ」な御仁であるといえよう。
『ポズナンスキーらが反証で省いた傍証には、
帝室法律学校卒業生のチャイコフスキー観や、皇族の道徳観が含まれる。
1980年代の欧米には同校卒業生がまだかなり生きていた。
古い家柄を誇るバルト・ドイツ人故クノリング男爵
(1894年生まれ/元ハンブルグ州検事)は、
帝室法律学校の誇りであるチャイコフスキーにまつわる無数の伝説を筆者に語り、
大作曲家への尊敬は同校関係者に欠かせなかったと断言し回想録に書いている』
古い家柄かどこの馬の骨の最新の家柄かは知らないが、1894年生まれ、
ということは、チャイコフスキーの死(1893年)後に生まれた者である。
戦争が終ぁわって生まれぇ~たボクらに戦争実体験が語れる、らしい。
そして、「無数の伝説」という言いまわしである。彼らには、まさに
「帝室法律学校の誇りであるチャイコフスキー」なのである。
「大作曲家への尊敬は同校関係者に欠かせなかったと断言」するような
貴族である彼らの誰が、自校の恥となることをヴェ~ラヴェラ語るか?
『さらに皇帝夫妻のチャイコフスキー観や某大公の男友達などから、
同じ「罪」で世界的スターに名誉の死を命じるのは不自然すぎる。
同性愛はソ連時代(1922乃至33年をのぞく)非合法化され、
40年代からの文化論議でタブー視されていた』
同じくスピード違反を犯しても、検挙される者もいれば、
その何万倍、されない者もいる。犯罪者が他人を陥れることも当然ある。
そんな簡単な人情にも世情にも、この筆者は無頓着らしい。それに、
同性愛がタブー視されてたのは、ソ連になってからのことではない。
むしろ、ロシア正教を背負ってたロマノフ朝のほうが、
ソ連政府よりも同性愛にピリピリしてたはずである。
『女史が自説を発表した米国では社会的に認められ(1975年
カリフォルニア州決定ほか)、新生ロシアで93年合法化された。
同姓婚認知のニュースが欧米からまいこむ21世紀の今なら、
女史の著作はあれほど注目されなかっただろう』
欧米が日本など比べ物にならないほどの建前社会であることを認識してない者の
幻想である。こういうむきは、黒人差別など今はない、と言い張るのであろう。
カリフォルニアで同性愛が「社会的に認めれられてる」のは、
表向き、である。負けそうなほうは、倍も年が違う者になりすまして投票にいく、
という稚拙なこともしたくなるくらいに、同性愛者の票数はばかにならない。
「同姓婚認知のニュースが欧米からまいこむ21世紀の今なら」
という一文に見られるような浅い洞察で生きてけるというのは、
じつに「しあわせ」なことである。ヒト(とくに女性)は老いて、
鉄分が不足して貧血にもでもなったら、ツムラの高価な漢方薬は当然高イシ、
大変である。が、そんな心配も心肺機能の不安もまったくないようである。
ちなみに、「愛染かつら」とは、大病院の御曹司が「かつら」の木を前にして、
「願いごとを書いてこの木の枝に強固(ferrum)に結ぶと、
その願いがいつか叶うというイワレがあると愛染強固という女優が言ってました」
と、看護婦のかつ枝に語るくだりがウリの大衆小説である。
「磐代の、浜松が枝を、引き結び、真幸くあらば、また還り見む」
っていう故事があるじゃアァ~リマせんか。
浜辺の砂を胃袋に詰めてコウクスと混ぜると、消化酵素のペプシンを
触媒にするまでもなく、還元されてスカッと爽やかに鉄が得られるのである。
「興起粛正」が行われてるようである。
新党日本汚点めっかっちゃったれば非もまたずうずし。
♪イッパイのぉ~~~、こぉ~きぃからぁ~~~、夢の花咲く、こともあるぅ~~~♪
故川口松太郎の倅故川口浩探検隊長と故野添ひとみ女史みたいな
オシドリ夫婦のように、某区区議の旧芝浦ゴウルド系の若い美人奥さんと、
お幸せな「家族が仲良く暮らせる三世代同居住宅政策の推進や、
お年寄りのための介護制度の充実など、心の通う福祉の実現を目指して全力で努力」
していただきたいものである。さて、
9月12日は、リチャード・ゲァトリングの誕生日である。
カラシニコフレンコンを食ったときに思い立ったかどうかは知らないが、
通常6つの銃身が回転して連射できるガトリング銃を発案した人物である。
映画「ダ・ラスト・サムライ」で、渡辺謙の私設軍を壊滅させるときに
新政府軍が使用してたものである。ときに、
米国は銃社会である。その功罪は論じても埒があかないが、
「I like Ike!(拙訳:アイ・ライク・アイク!)」
というスロウガンで(私が選挙参謀だったなら
「Go,go,Ike!(拙訳:行け、イケ、アイク!)」
にしたところだが)大統領選を戦い圧勝した
第34代大統領ドゥワイト・アイゼンハウアー(鉄鋼採掘人の意)が
2期めを終えた際に、軍隊と軍事産業間の長閑にはシナジーな関係の危険性
について危惧する捨て台詞を吐いたことは、多大な意味を持つのだそうである。
連合国司令官という経歴を持つ「第2次世界大戦の英雄」が、ただ
共和党にかつぎあげられただけの大統領だと思われてたからである。
♪わすれなぁいで、あなたよぉりも、たいせつなものがある。
わすれなぁいで、ハガネよぉりも、たいせつなものはない♪
世界柔道の個人戦は終わったが、井上康生選手は出場すらしてなかった。
鈴木桂治選手の応援に専念だったようである。スランプなのかどうかは知らないが、
♪はぁ~~なぁ~もぉ~、あらしもぉ~~~、ふぅ~みこぉ~えぇ~てぇ~~♪
同棲してたまんまるご面相の、某金融会社のスットボケたCMソングを
アイクるしい顔……かどうかはヒトそれぞれの感じかたなんだそうであるが……
で歌ってる東原亜希嬢にフラれたとのウワサしきりである。
アイゼンハウアーは、自分の後任の大統領選に
ジアンカーノ一家の票分の僅差でJFKに敗れた共和党リチャード・ニクスンが、
8年後に奇跡の復活で大統領に就任した2箇月後、78歳で亡くなった。
いずれにしても、アイゼンハウアーはタフトのように、
「いやいやながら、推されたから」なった大統領ではなかったのである。
家族のために懸命に地道にサラリーマンをやってる男とは違い、
「自由業」という生きかたを選んだくせに、
自分の専門外のことや、好きでない仕事を引き受ける輩とは大違いである。
別のことが専門だったり、チャイコフスキーが好きでもないのに、
その伝記を執筆しては外道である。たしかに、チャイコフスキーを崇める者が書いても、
必ずしもいい仕事ができるわけではない。が、もともと関心がなかったり、
好きでなかった者に、チャイコフスキーのことをきちんと描けるはずもない。
心理テストでも解答選択の「訂正」は「訂正後にカウントされない」のである。
巨人に指名されなかった恨みから中日一筋だったはずの者が、
ヤクルトから翌シーズンに同リーグの阪神に鞍替えした野村を批判しときながら、
中日を追われたらとたんに野村の後釜におさまり、今度は巨人への話が持ち上がれば、
それにもまんざらでない、というような無節操なのと同類である。
「体調不良」が笑わせる、というものである。ときに、今年の7月ごろに
音楽之友社から出された「作曲家・人と作品シリーズ」の
「チャイコフスキー」(伊藤恵子著)を、カネを払って買った。だから、私には
「感想を述べる権利」があるはずである。さて、
この筆者は、その「終章」を「しあわせな作曲家」と題し、
チャイコフスキーがほかのロシアの作曲家らに比して恵まれてた、
とのたまってる。陽の目を見なかったであろう農奴作曲家に温情をかけてみせ、
グリーンカやムーソルグスキィさえも不遇だった、と同情するのである。
とどめには、ショスタコーヴィチへの「ソ連からの制約」をあげて、
「(不遇だった)彼らがどんなにかチャイコフスキーを羨んだか」と、
自分の意見を「彼ら」を主格にすりかえて「代弁」させてるのである。さらに、
「作品篇」の「オペラ」部門の「オルレアンの少女」のくだりでは、
『主人公の処刑(火あぶり)は、原作よりはるかに写実的で、
その残酷さは彼の人物像を語る際に必ず指摘される』
と、根拠もなく、取材もなく、出所もなく、
という「嘘ツ記事シジョウ前新聞社」のような掌を赤く染めた手法で、
シラーっとした顔で、チャイコフスキーを貶めんとしてるのである。
チャイコフスキーがまるで凶悪犯のような人格だったかの印象を
与えようとすることに躍起かのようである。が、はたして
チャイコフスキーはチカチーロだったであろうか?
青空球児の殿様蛙のごとく傲慢にゲロゲーロとわめきちらしたとでもいうのか?
普通の脳がある人間なら、すぐに文章のウソを感じるであろうが、
世の中には複雑な知能の持ち主も少なくないのである。そういう類は、
上記の文書を見て、すぐさま
「チャイコフスキーは残酷なやつだったらしいぞ」
などと掲示板に書き込んだりするのである。なにしろ、
チャイコフスキーの人物像を語る際には必ず指摘される、のだそうであるから。
それから、この筆者は、例の「オル老婆説」を、
『ポズナンスキーらの緻密な検証作業によって、
21世紀の今となっては歴史のエピソードのひとつにすぎない』
と一笑にふしてる。私もこの老婆女史の話を鵜呑みにしてるわけではないが、
ポズナンスキーの「反証」なるもののお粗末さにも愉しみを覚えてる。
『チャイコフスキーの男性関係は国外では公然だったし、
帝政ロシアの上流階級に仲間も多い。保守的で体制派にみえた作曲家。
彼の愛情生活は死に値する大罪ではないと考えたほうが、自然だろう』
と、この筆者大女史もポズナンスキーの「検証」をそっくり結論にしてる。が、
国外で公然だろうが国内で非公然だろうが、公然性が問題だったのか?
上流階級に「お友だち」が多かったとのことであるが、火の粉が自分に
降りかかってきたら、自己保身に努めるのが人情というものである。
筆者女史は政治の世界はおろか、ご近所づきあいの諸々すら知らないとみえる。
「らしいもの」をウノみしかできない「しあわせ」な御仁であるといえよう。
『ポズナンスキーらが反証で省いた傍証には、
帝室法律学校卒業生のチャイコフスキー観や、皇族の道徳観が含まれる。
1980年代の欧米には同校卒業生がまだかなり生きていた。
古い家柄を誇るバルト・ドイツ人故クノリング男爵
(1894年生まれ/元ハンブルグ州検事)は、
帝室法律学校の誇りであるチャイコフスキーにまつわる無数の伝説を筆者に語り、
大作曲家への尊敬は同校関係者に欠かせなかったと断言し回想録に書いている』
古い家柄かどこの馬の骨の最新の家柄かは知らないが、1894年生まれ、
ということは、チャイコフスキーの死(1893年)後に生まれた者である。
戦争が終ぁわって生まれぇ~たボクらに戦争実体験が語れる、らしい。
そして、「無数の伝説」という言いまわしである。彼らには、まさに
「帝室法律学校の誇りであるチャイコフスキー」なのである。
「大作曲家への尊敬は同校関係者に欠かせなかったと断言」するような
貴族である彼らの誰が、自校の恥となることをヴェ~ラヴェラ語るか?
『さらに皇帝夫妻のチャイコフスキー観や某大公の男友達などから、
同じ「罪」で世界的スターに名誉の死を命じるのは不自然すぎる。
同性愛はソ連時代(1922乃至33年をのぞく)非合法化され、
40年代からの文化論議でタブー視されていた』
同じくスピード違反を犯しても、検挙される者もいれば、
その何万倍、されない者もいる。犯罪者が他人を陥れることも当然ある。
そんな簡単な人情にも世情にも、この筆者は無頓着らしい。それに、
同性愛がタブー視されてたのは、ソ連になってからのことではない。
むしろ、ロシア正教を背負ってたロマノフ朝のほうが、
ソ連政府よりも同性愛にピリピリしてたはずである。
『女史が自説を発表した米国では社会的に認められ(1975年
カリフォルニア州決定ほか)、新生ロシアで93年合法化された。
同姓婚認知のニュースが欧米からまいこむ21世紀の今なら、
女史の著作はあれほど注目されなかっただろう』
欧米が日本など比べ物にならないほどの建前社会であることを認識してない者の
幻想である。こういうむきは、黒人差別など今はない、と言い張るのであろう。
カリフォルニアで同性愛が「社会的に認めれられてる」のは、
表向き、である。負けそうなほうは、倍も年が違う者になりすまして投票にいく、
という稚拙なこともしたくなるくらいに、同性愛者の票数はばかにならない。
「同姓婚認知のニュースが欧米からまいこむ21世紀の今なら」
という一文に見られるような浅い洞察で生きてけるというのは、
じつに「しあわせ」なことである。ヒト(とくに女性)は老いて、
鉄分が不足して貧血にもでもなったら、ツムラの高価な漢方薬は当然高イシ、
大変である。が、そんな心配も心肺機能の不安もまったくないようである。
ちなみに、「愛染かつら」とは、大病院の御曹司が「かつら」の木を前にして、
「願いごとを書いてこの木の枝に強固(ferrum)に結ぶと、
その願いがいつか叶うというイワレがあると愛染強固という女優が言ってました」
と、看護婦のかつ枝に語るくだりがウリの大衆小説である。
「磐代の、浜松が枝を、引き結び、真幸くあらば、また還り見む」
っていう故事があるじゃアァ~リマせんか。
浜辺の砂を胃袋に詰めてコウクスと混ぜると、消化酵素のペプシンを
触媒にするまでもなく、還元されてスカッと爽やかに鉄が得られるのである。
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