チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「キャロウェイの暗号 Calloway's code(1906)/オー・ヘンリー O.Henry生誕150年」

2012年09月11日 23時43分06秒 | 事実は小説より日記なりや?
政権があるうちに何としても、日本を簒奪する布石である
「外国人参政権」動議を閣議決定したい貶日民主党にとって、
唯一邪魔だった日本人議員松下忠洋金融担当大臣が、
10日に死体となって発見された。
故人になってしまえば反対もくそも、道理もへったくれもない。
向井理という名を初めて目にしたとき、その
「王偏+里(オウヘン・リ)」という「理」が、
「まこと」なんだか「さとる」なんだか「さとし」なんだか
「ただし」なんだか「まさる」なんだか、まったく判らなかった
オサムいオツムの拙脳なる私は、長編小説、ことに、
何巻にもわたる物語は苦手である。
「源氏物語」も「カラマーゾフの兄弟」も「失われた時を求めて」も
途中で何度も誰がだれだか判らなくなってしまったが、
それでもなんとか最後まで読んだ。が、いわゆる
「大河小説」の「ジャン・クリストフ」とか「チボー家の人々」は
小口に指を伸ばす気にもならない。

現在、キム・ジョンウンの北朝鮮とリー・クーシャウの中国の国境ともなってる川は
鴨緑江という大河である。ここを、
1904年(明治37年)の4月下旬から5月に
4万2千の日本第一軍が大挙して渡って、
ロシアの満州軍東部兵団2万4千の守備隊と交戦した。これが、
「日露戦争」における開戦後の本格的陸戦となった
「鴨緑江の会戦」である。第一軍のうち第12師団が4月29日
夜半に徒歩で渡河し、同時に架橋に取り掛かった。そして、
翌日夜中に完成した橋を第23旅団が渡り、対岸の敵を圧制した。
これで第12師団、ついで近衛師団も渡橋して右岸に兵を展開した。
そうして5月1日朝には全軍が鴨緑江を渡ってしまったのである。
日本軍を甘く見てた
Михаил Иванович Засулич
(ミハイール・イヴァーナヴィチ・ザスーリチ、1843-1910)、
いわゆるザスリッチは慌てふためき、慄き、退却した。が、
日本軍第12師団はこれを追撃した。
4月30日と5月1日の2日に及ぶ戦闘で、
日本軍は死傷者800、ロシア軍の死傷者は倍の1600。
ニコライ2世の命で来日して日本軍の能力を見抜き、
日本との開戦に反対しつづけてた
Алексей Николаевич Куропаткин
(アリクスェーィ・ニカラーイヴィチ・クラパートキン、1848-1925)、
いわゆるクロパトキンの言うとおり、ザスリッチは
始めから河岸の九連城を放棄しとけばよかったのである。
この「鞭声粛々夜河を渡る」という、日本では庶民でも知ってる
川中島のような戦法はしかし、文盲率が高かったロシアには
想定外のことだった。これによって、
日本軍を引き付けながらハルピンまでじりじりと後退して
補給線を伸びきらせたところで一気に反撃に出て根絶やしにする、
というお得意の焦土・退却戦法にロシアは切り替えた。が、結局は
奉天の会戦でロシアは日本軍を殲滅することができなかった。

この陸戦の日本の第一軍司令官は、
黒木為(くろき・ためもと、天保15年(西暦およそ1844)-1923)
大将だった。いわゆる旧薩摩藩士である。
タメモトというよりはダメモトで突進するタイプと言われてたが、
臨機オウ・ヘンリーに現実に即した采配ができる人物だったようである。
緒戦となる第一軍の司令官に黒木大将が任じられたのは、当時、
すでに軍部は長州閥で占められてたため、
失敗した場合のことを考えて、
薩摩藩出身の無骨な男を捨て駒としたからである。が、
この戦勝によって外国特派員や観戦武官らは
日本の優位な戦況を自国に伝えることになったのである。
戦後の1907年に黒木大将は訪米し、熱烈な歓迎を受けた。
あまりの過熱報道に黒木大将は、
「(米国の報道陣は)ロシア兵より手強い」
と返したが、そのユーモアがまたウケたのである。

鴨緑江(おうりょくこう)というよりは銀行の金の
横領で刑務所に入れられてたときに書いた短編が
雑誌に掲載されて作家としての道が開けたのが、
O. Henry(オウ・ヘンリ、1862-1910)である。今日、
2012年9月11日は同人の生誕150年にあたる日である。
O. Henryとはペン・ネイムであるが、
その由来はおそらく、一般に推測されてるいくつかの説ではなく、
もっと深い意味があると思われる。が、
8月27日18時37分に国立劇場の舞台から3m下の奈落に
誤って転落した市川染五郎に対して、客席から2人の
「医師」がかけつけて応急措置をして搬送まで付き添った、
ということに、なぜ国民の税金で医者になれた者が
平日の夕方に脳天気に観劇(舞)なんかしてられるのか解らない
拙脳なる私にはO. Henryの意味は解明できない。
そのO. Henryの作品に、
"Calloway's Code(キャラウェイ'ズ・コウド=キャロウェイの暗号)"
というものがある。あらすじ……というほどのこともないが
……は次のようなものである。

日露戦争開戦前夜に「NYエンタープライズ社」は
H. B.キャロウェイを特派員として日本に派遣した。
当座は東京や横浜で暇をもてあまして物見遊山気分だった。が、
それは"The little brown men=日本人を蔑んだ表現"あるいは
"the descendants of the gods
=これも天皇を現人神とする日本人に対する皮肉"が、
グズグズしてロスケに一撃を加えるのを躊躇ってるからだ。
とはいえ、日本に派遣された各国特派員らはいよいよ
第一軍の黒木大将に随行することになって鴨緑江に向かう。
各国特派員らは自国に日本軍の動向を報告しようとするが、
敵に作戦を知られてはまずい日本軍の検閲に引っかかって
打電できない。そこで、
ヴェテランの新聞記者であるキャロウェイは一計を案じた。そして、
それは難なく日本軍の検閲を通って自社に届いたのである。
なぜなら、キャロウェイが打電した文章は、
内容不明ながらも作戦を伝えてるとは到底思えない単語が
意味なく並んでるだけにすぎなかったからである。
まさに、上に記した鴨緑江会戦の黒木大将の作戦が
詳細に書かれてた、にもかかわらず。が、
日本軍の検閲官が見破れなかったものである。
受け取った「NYエンタープライズ社」の誰にも、
その文章の意味はチンプンカンプンだった。が、
胸板が薄く、シャツの首回りも細い、社でもっとも若い記者の
ヴィースィがキャロウェイの機転に気づく。

通常、
暗号というのはだいたいが「換字式」といって、
ある単語を別の単語に、あるいは、
単語の文字一つひとつを別の文字に、
変換するものである。たとえば、いわゆるシーザー暗号は、
単語のアルファベットを決められた文字ぶんだけずらす。
「IBM」を一文字ずつずらして「HAL」というように。が、
それでは暗号の専門家である日本軍の検閲官に
見破られてしまう。そこでキャロウェイが採ったのが、
「暗号」というよりはどちらかといえば
「合言葉」「連想ゲイム」「類義語」「業界用語」「符牒」「暗喩」
というような「新聞業界独特の言葉遣い」だったのである。
「合言葉」とは、たとえば、
「金?」と問うと「金!」と答えが返ってくればOK、それ以外はNG、
「赤穂義士」の「物語」なら、「山?」と問うて「川!」と答えれば赤穂方、
正答できなければ吉良方、といった具合である。
「符牒」とは、たとえば、
「むらさき」と言ったら「海苔」であり、
「ガリ」と言えば「生姜」であり、
「シャリ」だったら「米」である。
「てっぺん」と言ったら「(時計の短針の向き)夜中の12時」であり、
「雪洲」ならば「背の低い男性俳優用の踏み台」のことである。
「雨だれ」なら「!(イクスクラメイション・マーク)」であり、
「耳だれ」なら「?(クウェスチョン・マーク)」、といった按配である。
「暗喩」とは、たとえば、
「音羽」と言ったら「講談社グループ」であり、
「一橋」だったなら「小学館グループ」といった感じである。

Callowayというサーネイムは、GはCの有声音だから
Gallowayと同じである。母音変換で
CallawayもGallawayも同じことである。
Gael(Celt)、ゲール(ケルト)、である。ケルトといえば「石」である。
アングロ・サクソンに蹂躙されたアイルランド・スコットランドのケルト人の
言葉に織り込んだ隠された真意を意味する。いっぽう、
Vessyというのはvessel(容器、日本語らしくいえば受け皿)である。
この掌編の最後のほうにこうある。
"On the second day following,
the city editor halted at Vesey's desk
where the reporter was writing the story of a man
who had broken his leg by falling into a coal-hole"
"coal-hole"に転落して足を折った事故の男性の記事、である。
そして、この秀逸な掌編はこう締めくくられる。
"'We can state without fear of successful contradiction,'
or, 'On the whole it can be safely asserted'?"
どっちの言い回しがいいでしょうか? と。
"On the whole(大筋において)"の"whole"と
先の"coal-hole"の"hole"がもちろん
ダジャレになってるのである。

"The Rolling Stones"……"A rolling stone gathers no moss."
転がる石にオチつかず……浪費癖だったO. Henryは、
酒浸り自堕落のお決まりで肝硬変。家族とも離ればなれ、47歳で
借金だけを残して独りわびしくNYの病院で死んでった。
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