チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Asに向かってロッテ」

2006年02月14日 22時00分36秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
「ヴァレンタイン・デイ・キス」といえば黒鳥さゆり嬢であったが、
ボビー・ヴァレタイン・デイといえば、グリコのおまけに対抗した、
千葉ロッテの「もひとつおまけによいショコラ」と相場は決まってる。
千葉には「白鳥(しらとり)」という名が比較的多いのである。が、
♪【あぁ~~~・<る>日>と>つ│<ぜん】●●●、ふた>り>だ│
<まぁ~~>ル・ノォ~~~♪(村井邦彦「作曲」)
日本でルノー・ヴェルレが人気者だったころ、Vデイにチョコ、
というイヴェントが湧きだした。「雨に濡れても」、♪ダ<│
【レインドロップス・キープ、<フォー>リン’>オン>マイ│<屁ッ】♪
(♪ソ<│【ミッミッミ、<ファッ>ミ>レ>ド│<ミッ】♪)
好きなカレを校門で待ってチョコを渡す女生徒の姿が見受けられた。
♪いまはぁ、もう、アイ。誰も、いない、地下ぁ~♪
うまくいけば「地下壕(chicgo)」のような、
おイチャイチャさんごっこができるとこで、
「恋の個人授業」ができるツガイになった、のでアル。が、
借金女王の前妻と別れたのちも、
「南果歩は寝て待て」ということができる国際俳優とは違って、
パンツのゴム紐が腹の肉にメリmeryと食い込んでしまう
私のようなエロキモい野郎は、ユウチョもせずに
「カポネは寝て待て」というような悠長な態度でいては、
カノジョはできなかったのである。

>やすのぶさん、
コメント、ありがとうございます。

<子供1人育てるのと家一軒建てるのと同じだけゼニが要るということです>
▲家一軒にも泉ピン子女史からジャン・クロード・キリ選手まであるように、
子どもの養育費もピンキリということですね。

<それで、その4人以外についてのご意見をお聞かせいただきたいですね>
▲いかがです? 「出張所への勧誘員」はやすのぶさんではありませんか?
でも、私は「訊かれたら」答えるに「やぶさかではない」くちです。(※)
ただし、「意見」ではなく「感じるまま」を、ですが。

<バッハはたくさんの子持ちでした。ブラームスは独身でした。通例、
 彼らはこの4人と同程度(あるいはもっと上だと言う人もいます)
  だと考えられていると思うのですが・・・・>
▲例示されたふたりがともに「高知能」だということは、おそらく
間違いないでしょう。よく、「学級」にいる「勉強ができる子」。
フツー程度の生徒は彼らを「優等生」と認識するでしょう。が、しょせん、
バッハは有能な(valenteヴァレーンテ)「職業音楽家」の中の頂点、
ブラームスは「音楽が向いてたわけではなかったが、
それしか生きる道がなかったため知能できりぬけた、
劣等コンプレックスと支配欲求の強い人物」、にすぎません。
バッハは2度結婚しました。おっしゃるとおり、子だくさんです。
何代かさがってそのY遺伝子は全滅したようですが、
何人も子を作ってそのうえまだ1000曲ほども残そうとした。
強欲な精力家ではあっても、フツーに家庭を持てた「常識人」です。が、
非常に「優秀」だったため、とてもすばらしい作品も残しました。いっぽう、
ブラームスは生涯独身かつ子なしでしたが、クラーラ夫人の娘を
「ホンキ」で娶りたいと思ってたような男です。それはともかく、
あれほどの剽窃家はめったに見あたりません。
剽窃はどのランクの作曲家にもあるものですが、
「意図」「敬意もしくは皮肉」があるもの、と、
「故意」または「無意識」によるもの、とがあります。中田喜直のように、
自身が剽窃してることにすらおそらく気づいてないような
知的レヴェルのものは論外ですが、山田耕筰や団伊玖麿のように、
それを聴く者が「本歌」を知らないだろうと高をくくって
確信犯的に剽窃したものは悪質です。
ブラームスはベートーヴェンの主題を使いながら、
それを指摘されると、激怒して否定しました。偽りです。
これだけでお終いです。ベートーヴェンへのリスペクトから、
自作に意図をもって取りいれた、のなら立派な「本歌取り」です。が、
彼の剽窃は、別にヌード・シーンや濡れ場の必要もないのに
それらが挿入されるごとく、何らの必然性もなく行われるのです。また、
尊敬してたはずのベートーヴェンやシューマンからだけにとどまりません。
ヴィヴァルディ、スメタナなど、<通例、下だと考えられてる>程度の
「作曲家」からも取ってるのです。まったく見境なしです。
そこには「敬意」も「意図」もへったくれもありません。
「ハンガリー舞曲」さえも、当初は自作で通そうとしました。
「作品」は「理論上の落ち度を指摘」されないように、
という意識ばかりが優先されたものですが、
<自分の中に蓄えられた何ものか>がないのをごまかすために、
<他人の中に蓄えられた何ものか>を使い、一般的なレヴェルの
聴衆<の中に蓄えられた何ものか>に擬シンクロさせて
「魅了」することに成功したのです。が、たとえば、
作り笑い、ウソ泣き、などを一般人に「ホンモノ」と信じ込ませる
腕を持った俳優のようなもの、と思えば「大作曲家」かもしれません。
まぁ、なにも、ブラームスを「四神」に据えなかったからといって、
私ごときの「思うがまま」のことです。いいではないですか。

<ぼくがブルックナーを偏愛するのは、単にかれの音楽が好きだからです。
 でも彼の声楽曲はあまり理解できません。勉強として聴いているだけです>
▲私はブルックナーのpf曲にすら魅力を感じません。が、たとえば、
ダービー馬は他のどんなレイスで大敗しようと、「ダービー馬」です。
腐ってもタイ、点々で滑らかに描かなくてもジョルジュ・スラー、です。

<ここではファンファーレが重要。どう勘定しても3回しか鳴りません。
 (ブロード版では、繰り返しの場所違いにより5回鳴るように解釈可能
  ですが、もしそのようにしたら、音楽の流れは不自然です)
   では、候補者は3人(オディールを含めて4人?)しか登場しない
    のでしょうか? もしそうであるとしたら、
     パドゥシスのあと2人は誰なのか? ということになりますね>
▲この件も、ヤフー時代からやすんぶさんが問題にされてる箇所のひとつ、
ですね。でも、一家に一娘、と限ったことではないのでは?
香里奈嬢も名古屋の美人3姉妹の末ですし、
「ヒルトン姉妹物語」ならずとも、
「義姉ンデレラ倭人伝」という中国の昔話の西洋訳本には……
あるところに、裕福な家の奥方がいました。が、
奥方は死の床についてしまいました。娘を呼んで言い聞かせました。
「私が死んだら、お墓にはハシバミの木を植えてちょうだい。
死んでも、あなたをいつでも見守ってるからね。
どんなことがあってもあなたは善良な人間でいるのよ。
主は善良でない者にはツバを吐いてバツをお下しになるの。
けっして、それは灰ではなくてよ。でも、どうしても困ったときには、
ハシバミの木を揺さぶって2礼2拍手1礼してね。ところが、
♪【あぁ~~~・<る>日>と>つ│<ぜん】●●●、ふた>り>あら│
<われぇ~~>ル・ノォ~~~♪
「あんたの父さんはあたいと結婚するって約束してたんだよ」
と、見知らぬ女が2人の娘を連れて家に乗り込んできました。そして、
シンデレッラは下女に落とされてしまったのです。そうこうするうちに、
「王子の妃を決める舞踏会」が開催されると新聞のチラシが入りました。
シンデレッラは行きたいと願いました。しかし、
意地の悪い継母に用を言いつけられてしまったのです。そこで、
娘はハシバミの木を揺さぶりました。すると、
♪シンダァ~はぁ~ずだぁ~よ、おかぁ~あさん~~~♪
春日六郎の歌声がどこからともなく聴こえてきて、
6頭だての馬車が現れたのであるす。
すでに登城してる「腹違いの」姉2人だけでなく、
この娘まで「王子の妃を決める舞踏会」に出席したら、
『二娘あるとこには三度リヨンもある』
……という諺が記されてます。ちなみに、
ハシバミ=ヘイゼルナッツの学名corylus(兜)は、
継母によってお勝手仕事をやらされるはめになり、
トイレも使わせてもらえなくなったとき、
「勝手、兜状のオムツを締めよ」と臥薪嘗胆、
ハシバミの木となって自分を守ってくれてる母のことを思って
自分に言い聞かせたことが由来だとかそうでないとか。

<であるとしたら、だれが各曲を踊るのでしょうか?>
▲<何人の「助太刀」が入るのかは分かりませんが>
という形ですでに申しあげたとおり、まったくわかりません。
「ロートバルト&オディール父娘、ベンノ、母王妃、
荒木又右衛門、堀部安兵衛、平手造酒、ドク・ホリディ」(※)

<60小節でヘ短調主和音の四六が弦の分散和音で鳴った後、バスは
 そのままで メロディーが『半音上昇』を繰り返し「ヘ調の属7」に至る>
▲元読売巨人軍「助っ人」外野手ウォーレン・『クロマティ』は、
四六時中、指をドラム・スティックにして叩く癖がありました。
それはともかくも、上記の「行程」はおっしゃるとおりです。

<だから、次に聴衆はヘ短調を期待します。
 ところが音楽は気の抜けたぬるま湯のようなヘ長調!
 それがチャイコフスキーの狙いだったのでしょう>
▲なるほど、「悪魔の父娘」がやってきたことに王子が気づかぬのを、
昔のプロレスよろしく、悪役レスラーが悪事を働いてても
レフリーが気づかないのがもどかしがる慣習のようなもの、ですね。
そのように置き換えても、最悪の結果「ヘ短調を期待」するよりも、
聴衆小力は、そこで「切れてないですよ」と、
ピカルディをこそ期待すると思うのですが……それは、
<<舞台が暗くなってフクロートバルト父娘が勝ち誇り、
 ジークフリートが騙されたことを悟るとき、です>
 @ハ短調の四六の和音上ですね>
▲言葉足らず、すみませんでした。
句点よりあとのことをわかりやすくするために、
句点以前で導いたのであって、私がいいたかった場所は、
第122小節以降のfffの箇所ことです。
そこでは、「実質ヘ短」ですが、その和声は、
「それまでのヘ短」から、
「ヘ(<)ナチュラル・イ(<)ハ」
という「一時ピカルディ」となります。

<とにかく、完全終止しないことは、
 バレエ音楽では異例のことなのではないでしょうか?>
▲勉強不足で確かなことはいえませんが……
異例とまではいかないまでも、異例ギュラーなものではないでしょうか。
ただし、これほど「効果的」「劇的」なものは、
前例がないかもしれませんね。

<2幕#13(中略)は、【危機のワルツ】ではなかったでしょうか?>
▲偉い先生がたの本では、「白鳥湖」の「変イ長(As)」は、
【不吉】【不幸】【危機】とされてますね。私も少し前までは
それを是としてよかろうと思ってた面もありましたが、
前面的には受け入れてなかったのはご存知のはずですね。が、
いまは別の方向に感じはじめてます。世の中には、
上ガリクスがアガ「リスク」になることもあることですし。

<オディールの登場で#17「変イ長のワルツ」は演奏されませんね>
▲すみません。あの一文はまったくの書き損じです。
<<ジークフリートには、#17「変イ長のワルツ」でオデットが現れると
 心が高鳴ったのにもかかわらず、肩透かしを食らってしまった。>>
×<オデットが現れると>→<オデットが現れないと>
ですが、オディールが登場する、とはどこにも書いてません。
ディールが現れるのは、#17「変イ長のワルツ」が踊られ終えて、
#18になってからです。

<実際ハープは、#19直前と同じ動き(音が1つ足りない)をして
 オーボエを導きますよね>
▲おっしゃるとおりです。で、先ほどの件の重複になって恐縮ですが、
#24の第122小節前では、「属7」でなく、「属」です。
「属」ならば、次は「長」のも「短」のも期待値は少なくありません。が、
「属7」は文字どおり「7」の音が入ってます。
この「7」の音は、半音下がって解決するのが「自然」、「人情」
というもので、実はすっきりします。それが「ピカルディ」ですね。
ときに、この「バレエ曲」においては、オーボエは「白鳥の主題」を
任された楽器ですから、最重要ですね。それと、ここでもうひとつ。
バカのひとつオーボエで恐縮ですが、チャイコフスキーの音楽においては、
「ファ」ではじまる「節」は、「宿命」あるいは「運命が動きだす」
というものが多いですね。(cf:「ねむり」#15コーダ)
週末の午前中に第1ホウルのドライヴァー・ショットを放った直後も、
グリーン上での運命が動きだすときです。ファァァァ~~~~!
ちなみに、ゴルフのときにつけるフレグランスは、
ヴェリー・ヴァレーンティノ・プル・オムツです。

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『白鳥』 (やすのぶ)
2006-02-15 12:47:51
▲家一軒にも泉ピン子女史からジャン・クロード・キリ選手まであるように、子どもの養育費もピンキリということですね。



@子供をたくさん作る国が現代にも世界中に結構ありますが、日本には【キリ】はありません。だから、少子化問題と、ある種の子供には絶大なる不幸が訪れるようになってしまいました。



▲いかがです? 「出張所への勧誘員」はやすのぶさんではありませんか?



@これは申し訳ない。てへってへっ(あたまかき)

でも、まあどんな風にそんな結論になったか知りたいですよね。(笑い)

もちろん、異論はありますが、今回はただ拝聴するだけでコメントしないでおきます。



▲でも、一家に一娘、と限ったことではないのでは?



@まえに、スコアのト書きはあまり信用できないと仰っておられたようですが、たよりはそれしかないので、あくまでもそれが正しいという前提で論を進めていただければありがたいです。それとも他になにか良い資料があるでしょうか?

もちろん音楽自体が最上でしょうが、手がかりとして言葉が欲しいですね。



で、フランス語は日本語と違ってありがたいです。性・数が比較的はっきりしているからです。

ト書きでは、ファンファーレが鳴って3人登場します。老伯爵と彼の妻および彼の娘。娘は単数。La fille。



▲<何人の「助太刀」が入るのかは分かりませんが>

という形ですでに申しあげたとおり、まったくわかりません。



@わからないということは、音楽から推測するしかしようがないですね。

ただ、『眠り』のパドゥシスには、同列の6人が登場するので、ここでもパドゥシスと銘打っている以上、あまりに奇抜なものも考えられないとは思います。



▲#24の第122小節前では、「属7」でなく、「属」です。



@、「属7」と「属」の違いは、硬さの違いというか、融通のなさというか、とにかく「属」ははっきりしているんです。それに直前和音ファとソの繋留が決然性を増しています。ぼくのようなペッペイ言うのもなんですが、さすがチャイコフスキー和音の性格に合わせた使い方はぴか一ですね。四六主和音→繋留→属和音・・・・これ最強!!





▲「属」ならば、次は「長」のも「短」のも期待値は少なくありません。が、「属7」は文字どおり「7」の音が入ってます。この「7」の音は、半音下がって解決するのが「自然」、「人情」というもので、



@これには異論があります。一度ピアノを叩いて確認してください。「属七」を介して2つの主和音を叩いたとき、長のときは長、短のときは短であるべきで、交差は非常に不快です。ピカルディーは曲尾にのみ許されるその不快さを逆手に取った用法です。





▲「ファ」ではじまる「節」は、「宿命」あるいは「運命が動きだす」



@仰るとおり!交響曲で経験しています。ちなみに短調の第4度音はレですが、『悲愴』はレで始まりますね。



▲第122小節以降のfffの箇所ことです。

そこでは、「実質ヘ短」ですが、その和声は、

「それまでのヘ短」から、

「ヘ(<)ナチュラル・イ(<)ハ」

という「一時ピカルディ」となります。



@確かにここはピカルディーですね。長三和音が短三和音よりも悲壮感を出すのに適しています。で、ナポリの六ですね。



▲なるほど、「悪魔の父娘」がやってきたことに王子が気づかぬのを、昔のプロレスよろしく、悪役レスラーが悪事を働いててもレフリーが気づかないのがもどかしがる慣習のようなもの、ですね。



@御意。本来ファンファンーレの後には、あの優雅なエスコートの音楽が流れるはずです。登場人物の動きは同じなのに、ここで強烈に音楽を変えているのは、観衆にそのことを知らしめるためですね。だから観衆はヘ短調の音楽を期待するのです。



▲そのように置き換えても、最悪の結果「ヘ短調を期待」するよりも、聴衆小力は、そこで「切れてないですよ」と、ピカルディをこそ期待すると思うのですが……



@観衆にピカルディーを期待するような要素はありません。ピカルディーは最後にチャイコフスキーが強要するのです。ここでは単に、予想外れのぬるま湯。それをチャイコフスキーは狙ったのでしょう。



▲偉い先生がたの本では、「白鳥湖」の「変イ長(As)」は、【不吉】【不幸】【危機】とされてますね。私も少し前まではそれを是としてよかろうと思ってた面もありましたが、前面的には受け入れてなかったのはご存知のはずですね。が、いまは別の方向に感じはじめてます。



@御意。このことはまた検討していかなければなりませんね。
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