コーニュス家は、バッハ家、ベルヌーイ家や花田家ほどではないにしろ、
その道に秀でた人物を多数輩出してる家系である。
チャイコフスキーの母方同様、フランス及びドイツ系である。その中の
Юлий Конюс:ユーリィ・コーニュス(1869-1942)は、
vnニストにして作曲家、モスクワ音楽院教授になった人物である。
1893年当時はまだ24歳。が、チャイコフスキーが
「悲愴」の弦、とくにvnパートの書法について意見を訊いたのがこの男だったのである。
「悲愴」のスコアには、各種奏法の指定、アーティキュレイション、
ボウイングの上下、などの指示がこと細かく書き込まれてるのである。さて、
そのコーニュスの「vn協」(ホ短)……ユーリィ・小西・行長ではないからして、
ハ:ut(ユト→ウト→宇土)でないのである……は、
1896年に作られた単一楽章の作品である。
初演は1898年モスクワ。自身のvn独奏だったそうである。
単一楽章はおおざっぱに3つの部分に分かれてる。
a)ホ短のアッレーグロ、b)ロ長のアダージョ、c)第1部の再現的部
a)第1部
アッレーグロ・モルト(2分音符=104)、C、1♯。
♪ラーーー・ー>ミ<♯ファ<♯ソ|<ラーーー・ー>♯ソ<ラ<シ|
>ドー<ミー・>レー、<ドー|>シー>ラッ・>♯ソッ○○|
>シーーー・ー>♯ラ<シ<ド|<レーーー・ー>♯ド<レ<ミ|
<ファッ<ラー・>♯ソー<ミー|>レー>ドッ・>シッ○レ|
レーーー・ーー>ドー|>シー>ラー・>ソー>ファー|
>【ミーーー・<ファー<ソー|<♭シーーー・>ラーーー|
<(N)シーーー・ーー>ラー】|>ソー>ファー・>ミー>レー|
>♯ドーーー・<レー<ミー|<ソーーー・>ファーーー♪
ホルンの咆哮が芳しいシテ主題による単刀直入開始である。
いかにも「ロマンチック」、という感がある。ちなみに、
「マラ4」主章の50小節あたり、チェロそして2フルが節を歌う、
♪ソ|<ミーー<ファ・>ミー>レー|>ド>シ<ド<レ・>ドー>シー|
<ミーー<ファ・>ミー>レー|<【ミ<ファ<ソ<♭シ・♭シーー>ラ|
<♭シーー>ラ・<Nシーーッ】
はコーニュスのvn協の上記【】箇所にイキウツシである。
マーラーのほうの作曲家過程は詳しく知らない(というか、興味がない)が、
両方ともくしくもおなじような時期に書かれたものである。それはともかく、やがて、
→ピウ・ヴィーヴォ
♪ミーーー<ファーーン>ミ|ミッ♪
と上昇パッセージの組合せの反復を経て、独vnの登場である。シテツレ主題、
♪ラーーー・ーーーー|ーー>♯ソー・<ラー<シー|<レーーー・ーー>ドー|
>シー<ドー・<♯レー<ミー|<シーーー・>ラー♪
のレチタティーヴォが、
→アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ
となり、独vnの歌がつづく。そしてまた、
→ポーコ・ピウ・モデラート・クワーレ・テンポ・プリーモ
で、冒頭シテ主題がクラに戻ってくる。
シテ主題はアパッショナートで独vnに引き継がれ、
→ポーコ・メーノ・モッソ
独vnの3連符パッセージが続く。そして、
→メーノ・モッソ
オケのみになる。♪○○ラーーー>ソー♪のゼクヴェンツの上に、
♪ミィーーー・ーーーッ|○○ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ|
○○>ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ|
○○>♯ファァッ・<ソォッ<ラァッ|<レェーーー・ーーーッ|
○○>♯ファァッ・<ソォッ<ラァッ|<ミー>レー・>ドー>シー♪
というワキ主題がシテ主題の平行調ト長で呈示される。
→ラルガメント
独vnが加わり、
→ア・テンポ
ワキ主題を確保、推移していく。そして、
→メーノ・モッソ(ここからが通常のソナタの展開部にあたる)
から独vnがお休みの中、
→アンダーンテ
トロ中心の金管の咆哮。それが鎮静し、
トランクイッロの木管が独vnのト短を導く。
♪ラーーー・ーー<シー|<ドー<ミー・<ファー<♯ソー|
<ラ<シ<ド・<ミ<ファ<♯ソ|<ラ<シ<ド・<ラーーー♪
→メーノ・モッソ
独vnがシテ主題を調理していく。
→アッレーグロ、テンポ・プリーモ
オケもシテ主題をいじくる。
→メーノ・モッソ
シテ主題の変化形がオケのみで強奏され、
→ラルガメント
チィコーフスキィの「イタ奇」の
プレスト部を導くvnプリーモ&ヴィオーラのごとき、
♪♯ファー>♯ミー>Nミー♪というクロマ下降3音を繰り返す。
チィコーフスキィが消えたおかげでオペラの仕事が
やっとこサトコ舞い込むようになったリームスキィ=コールサカフも、
「インドの歌」(1898年)でこのクロマ下降をさっそく使った。
古くは、クラーラ・ヴィーク(シューマン)が16歳の少女のときに作った、
「スワレ・ミュズィカル(座って聴く夜の音楽会)」op.6の
第2曲「ノクチュルヌ」に現れるものである。また、
後世、ガーシュウィンが「ラプソディ・イン・ブルー」で
ホルンにこのクロマ下降3音を採り入れ、
ムード音楽作家のポール・モーリアも「プティ・メロディ
(邦題:そよかぜのメヌエット)」をオシャレにも4拍子で踊ったのである。
b)第2部
→アダージョ、3/4、5♯。
第2部が緩徐楽章の役割を担ってる。じつに、甘くあまく、せつない部である。
♪ソー|ー<ラ<ド・ミーー、ミ|<ソンソ・ソーーー|
ーー<ラー・<シ>ラ>ソ|<ラー・ー、>ソ>ファ・<ソ>ファ>ミ|
<ファーー、>ミー・ー>レ>ド|<レーーー♪
カンタービレで独vnが緩徐主題を奏でる。
→ポーコ・ピウ・モッソ
主題が展開されていく。途中、
ヴィオーラの首席がソロを弾いて独vnにからんでいく。そしてまた、
独vnが甘いあまい節を弾きつづけ、やがて、この部を終える。
c)第3部
ソナタとして第1部の「再現」にあたる部で、かつ、終楽章の役目も背負ってる。
→レチタティーヴォ、C、1♯。
シテツレ主題、
♪ラーーー・ーーーー|ーー>♯ソー・<ラー<シー|<レーーー・ーー>ドー|
>シー<ドー・<♯レー<ミー|<シーーー・>ラー♪
がおなじくホ短で戻ってくる。そのまま、
→アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ
で独vnの歌が第1部同様に続けられ、
→ポーコ・ピウ・モデラート・クワーレ・テンポ・プリーモ
シテ主題が再現されるのである。そして、ワキ主題の再現。
チャイコふうに、ワキ主題/呈示時(ト長)の2度上再現(イ長)の術である。
♪ミィーーー・ーーーッ|○○ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ♪
これが確保・推移されると、カデンツァとなる。
カデンツァはこの当時としてあたりまえに作曲者自身が書いてる。ときに、
「演奏者各自による随意なカデンツァを弾かせる余地を与えてないものを
カデンツァとは呼ばない」
と言い張るトンデモvn協愛好家が世の中にはいるのであるが、
作曲者自身が書いたカデンツァはれっきとしたカデンツァである。
ともあれ、このコーニュスが書いたカデンツァは技巧的には難易度は低い。
さて、またあのレチタティーヴォ、そして、
アンダーンテ・エスプレッスィーヴォが戻ってくる。
→アッレーグロ・スービト
結尾部である。大仰な盛り上がりがあるわけでもなく、
虚無的なこの協奏曲はあっけなく終わりをむかえる。シテ主題の断片、
♪○○ラー・ー>♯ソ<ラ<シ|<ド>シ>ラ>♯ソ・<ラ<ド<レ<♯レ♪
のホ短から、最後の5小節がそのままホ短で終わるもの、と、
最後の5小節が同主調ホ長になって曲を閉じるもの、とがあるようだが、
どちらがオリジナルなものなのか、はたまた、
どちらもコーニュスが書いたものなのか、私は知りえない。ちなみに、
ひょっとすると、シベリウスも自身のvn協(ニ短)を書く前に
この協奏曲を知ってたのでは? という箇所がある。ともあれ、
大作曲家たちの珠玉の作品などには比べるべくもないが、しかしながら、
憂愁をたたえた旋律、甘くせつないながらそれが過多にならない
抑制が効いたオーケストレイション。しかし、ときに、
ビゼーのような低金管の大胆にして効果的な起用。など、
すておけない魅力がちりばめられた曲である。
なにより、「親しみやすい」のである。音楽はそれがイチバンである。
この書き込みをご覧になって、もし、このvn協の録音物を
ユーリィ・購入スぃようと思っても、現在は、デイヴィド・ギャレット以外のは、
おおざっぱな粗い演奏スタイルで音も汚いのに今でも
技巧の神様みたいに言われて崇められてる某ヴァイオリニストのも
めったに売ってないから、難儀かもしれない。
その道に秀でた人物を多数輩出してる家系である。
チャイコフスキーの母方同様、フランス及びドイツ系である。その中の
Юлий Конюс:ユーリィ・コーニュス(1869-1942)は、
vnニストにして作曲家、モスクワ音楽院教授になった人物である。
1893年当時はまだ24歳。が、チャイコフスキーが
「悲愴」の弦、とくにvnパートの書法について意見を訊いたのがこの男だったのである。
「悲愴」のスコアには、各種奏法の指定、アーティキュレイション、
ボウイングの上下、などの指示がこと細かく書き込まれてるのである。さて、
そのコーニュスの「vn協」(ホ短)……ユーリィ・小西・行長ではないからして、
ハ:ut(ユト→ウト→宇土)でないのである……は、
1896年に作られた単一楽章の作品である。
初演は1898年モスクワ。自身のvn独奏だったそうである。
単一楽章はおおざっぱに3つの部分に分かれてる。
a)ホ短のアッレーグロ、b)ロ長のアダージョ、c)第1部の再現的部
a)第1部
アッレーグロ・モルト(2分音符=104)、C、1♯。
♪ラーーー・ー>ミ<♯ファ<♯ソ|<ラーーー・ー>♯ソ<ラ<シ|
>ドー<ミー・>レー、<ドー|>シー>ラッ・>♯ソッ○○|
>シーーー・ー>♯ラ<シ<ド|<レーーー・ー>♯ド<レ<ミ|
<ファッ<ラー・>♯ソー<ミー|>レー>ドッ・>シッ○レ|
レーーー・ーー>ドー|>シー>ラー・>ソー>ファー|
>【ミーーー・<ファー<ソー|<♭シーーー・>ラーーー|
<(N)シーーー・ーー>ラー】|>ソー>ファー・>ミー>レー|
>♯ドーーー・<レー<ミー|<ソーーー・>ファーーー♪
ホルンの咆哮が芳しいシテ主題による単刀直入開始である。
いかにも「ロマンチック」、という感がある。ちなみに、
「マラ4」主章の50小節あたり、チェロそして2フルが節を歌う、
♪ソ|<ミーー<ファ・>ミー>レー|>ド>シ<ド<レ・>ドー>シー|
<ミーー<ファ・>ミー>レー|<【ミ<ファ<ソ<♭シ・♭シーー>ラ|
<♭シーー>ラ・<Nシーーッ】
はコーニュスのvn協の上記【】箇所にイキウツシである。
マーラーのほうの作曲家過程は詳しく知らない(というか、興味がない)が、
両方ともくしくもおなじような時期に書かれたものである。それはともかく、やがて、
→ピウ・ヴィーヴォ
♪ミーーー<ファーーン>ミ|ミッ♪
と上昇パッセージの組合せの反復を経て、独vnの登場である。シテツレ主題、
♪ラーーー・ーーーー|ーー>♯ソー・<ラー<シー|<レーーー・ーー>ドー|
>シー<ドー・<♯レー<ミー|<シーーー・>ラー♪
のレチタティーヴォが、
→アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ
となり、独vnの歌がつづく。そしてまた、
→ポーコ・ピウ・モデラート・クワーレ・テンポ・プリーモ
で、冒頭シテ主題がクラに戻ってくる。
シテ主題はアパッショナートで独vnに引き継がれ、
→ポーコ・メーノ・モッソ
独vnの3連符パッセージが続く。そして、
→メーノ・モッソ
オケのみになる。♪○○ラーーー>ソー♪のゼクヴェンツの上に、
♪ミィーーー・ーーーッ|○○ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ|
○○>ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ|
○○>♯ファァッ・<ソォッ<ラァッ|<レェーーー・ーーーッ|
○○>♯ファァッ・<ソォッ<ラァッ|<ミー>レー・>ドー>シー♪
というワキ主題がシテ主題の平行調ト長で呈示される。
→ラルガメント
独vnが加わり、
→ア・テンポ
ワキ主題を確保、推移していく。そして、
→メーノ・モッソ(ここからが通常のソナタの展開部にあたる)
から独vnがお休みの中、
→アンダーンテ
トロ中心の金管の咆哮。それが鎮静し、
トランクイッロの木管が独vnのト短を導く。
♪ラーーー・ーー<シー|<ドー<ミー・<ファー<♯ソー|
<ラ<シ<ド・<ミ<ファ<♯ソ|<ラ<シ<ド・<ラーーー♪
→メーノ・モッソ
独vnがシテ主題を調理していく。
→アッレーグロ、テンポ・プリーモ
オケもシテ主題をいじくる。
→メーノ・モッソ
シテ主題の変化形がオケのみで強奏され、
→ラルガメント
チィコーフスキィの「イタ奇」の
プレスト部を導くvnプリーモ&ヴィオーラのごとき、
♪♯ファー>♯ミー>Nミー♪というクロマ下降3音を繰り返す。
チィコーフスキィが消えたおかげでオペラの仕事が
やっとこサトコ舞い込むようになったリームスキィ=コールサカフも、
「インドの歌」(1898年)でこのクロマ下降をさっそく使った。
古くは、クラーラ・ヴィーク(シューマン)が16歳の少女のときに作った、
「スワレ・ミュズィカル(座って聴く夜の音楽会)」op.6の
第2曲「ノクチュルヌ」に現れるものである。また、
後世、ガーシュウィンが「ラプソディ・イン・ブルー」で
ホルンにこのクロマ下降3音を採り入れ、
ムード音楽作家のポール・モーリアも「プティ・メロディ
(邦題:そよかぜのメヌエット)」をオシャレにも4拍子で踊ったのである。
b)第2部
→アダージョ、3/4、5♯。
第2部が緩徐楽章の役割を担ってる。じつに、甘くあまく、せつない部である。
♪ソー|ー<ラ<ド・ミーー、ミ|<ソンソ・ソーーー|
ーー<ラー・<シ>ラ>ソ|<ラー・ー、>ソ>ファ・<ソ>ファ>ミ|
<ファーー、>ミー・ー>レ>ド|<レーーー♪
カンタービレで独vnが緩徐主題を奏でる。
→ポーコ・ピウ・モッソ
主題が展開されていく。途中、
ヴィオーラの首席がソロを弾いて独vnにからんでいく。そしてまた、
独vnが甘いあまい節を弾きつづけ、やがて、この部を終える。
c)第3部
ソナタとして第1部の「再現」にあたる部で、かつ、終楽章の役目も背負ってる。
→レチタティーヴォ、C、1♯。
シテツレ主題、
♪ラーーー・ーーーー|ーー>♯ソー・<ラー<シー|<レーーー・ーー>ドー|
>シー<ドー・<♯レー<ミー|<シーーー・>ラー♪
がおなじくホ短で戻ってくる。そのまま、
→アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ
で独vnの歌が第1部同様に続けられ、
→ポーコ・ピウ・モデラート・クワーレ・テンポ・プリーモ
シテ主題が再現されるのである。そして、ワキ主題の再現。
チャイコふうに、ワキ主題/呈示時(ト長)の2度上再現(イ長)の術である。
♪ミィーーー・ーーーッ|○○ミィッ・<ファァッ<ソォッ|ソォーーー・ーーーッ♪
これが確保・推移されると、カデンツァとなる。
カデンツァはこの当時としてあたりまえに作曲者自身が書いてる。ときに、
「演奏者各自による随意なカデンツァを弾かせる余地を与えてないものを
カデンツァとは呼ばない」
と言い張るトンデモvn協愛好家が世の中にはいるのであるが、
作曲者自身が書いたカデンツァはれっきとしたカデンツァである。
ともあれ、このコーニュスが書いたカデンツァは技巧的には難易度は低い。
さて、またあのレチタティーヴォ、そして、
アンダーンテ・エスプレッスィーヴォが戻ってくる。
→アッレーグロ・スービト
結尾部である。大仰な盛り上がりがあるわけでもなく、
虚無的なこの協奏曲はあっけなく終わりをむかえる。シテ主題の断片、
♪○○ラー・ー>♯ソ<ラ<シ|<ド>シ>ラ>♯ソ・<ラ<ド<レ<♯レ♪
のホ短から、最後の5小節がそのままホ短で終わるもの、と、
最後の5小節が同主調ホ長になって曲を閉じるもの、とがあるようだが、
どちらがオリジナルなものなのか、はたまた、
どちらもコーニュスが書いたものなのか、私は知りえない。ちなみに、
ひょっとすると、シベリウスも自身のvn協(ニ短)を書く前に
この協奏曲を知ってたのでは? という箇所がある。ともあれ、
大作曲家たちの珠玉の作品などには比べるべくもないが、しかしながら、
憂愁をたたえた旋律、甘くせつないながらそれが過多にならない
抑制が効いたオーケストレイション。しかし、ときに、
ビゼーのような低金管の大胆にして効果的な起用。など、
すておけない魅力がちりばめられた曲である。
なにより、「親しみやすい」のである。音楽はそれがイチバンである。
この書き込みをご覧になって、もし、このvn協の録音物を
ユーリィ・購入スぃようと思っても、現在は、デイヴィド・ギャレット以外のは、
おおざっぱな粗い演奏スタイルで音も汚いのに今でも
技巧の神様みたいに言われて崇められてる某ヴァイオリニストのも
めったに売ってないから、難儀かもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます