チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Fields of Dreams(凡人の希望の星)/J.C.フィールズ生誕およびバイエル没後150年」

2013年05月14日 23時24分47秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
今から10年前、
一人のJRA騎手が引退した。
今井規和(いまい・のりかず)。
1957年生まれで1976年が初騎乗。
初勝利はデビューから1年半も経ってからだった。
28年に及ぶ騎手生活で、
平地の通算騎乗回数がたったの1230。に対して、
勝利回数がわずか34。障害競走を加えた通算騎乗も
1447回。うち、通算勝利数はほんの44である。
年間だけで100勝してしまう騎手がいるいっぽうで、
この騎手は1勝もできない年さえあった。が、
実直で、ものすごく人がいいのである。
競馬は勝たなくてはいけないものだが、それでも
この人には"勝てない魅力"があった。
後楽園ウィンズではこの騎手の複勝馬券をよく
勝ったものだった。

私は何の才も能もない凡人である。
ガキの頃は父親と硬球でキャッチボールをしたり、
学校の内外でも野球ばかりしてたが、
野球選手にもなれなかった。現在でも、
東京スカイツリーがどうしても
矢来模様の江戸切子に見えてしまうほどの
拙脳である。が、それだけでなく、外見的にも
いわゆる中身的にも、人間的魅力がまったくない。そんな
私がピアノを習い始めたのはもう50年も前、
幼稚園児のときだった。当時のご多分に漏れず、教材は
「(赤い)バイエル(上巻)」からだった。
子供のときから頭痛持ちだったから、
アスピリンのお世話にもなってた。それはともあれ、
現在ではピアノ練習教材として「バイエル」は
使われなくなってるらしい。当然である。
いくら練習用とはいえ、
愚にもつかない曲ばかりで、
上達のためとも思えないものが多かった。実際、
本日、2013年5月14日が没後150年の日にあたる
Ferdinand Beyer(フェアディナント・バイアー、1806-1863)は、
作曲家・編曲家としての才能はまったくなく、
どうにもならないお粗末な代物ばかりである。たとえば、
同人が編曲した
"8 Airs populaires americains en Rondinettos,op.95"
の第5曲、
"The Star-Spangled Banner(邦題=星条旗)"、つまり、
米国国歌は、音楽センスのかけらもないものである。
(一部カットしたものを
http://twitsound.jp/musics/tsNoTiDDe
にアップしておきました)
それでも、
生前は作曲者・編曲者として仕事にあふれ、
裕福だったらしい。

いっぽう、
今日はカナダ出身の数学者
"John Charles Fields(ジョン・チャールズ・フィールズ、1863-1932)"
の生誕150年にあたる日でもある。
数学そのもので大きな功績をあげたわけではない。が、
「フィールズ賞」の提唱者としてその名を後世に残した。
才能がなくても名を残せた好例である。ちなみに、
日本人はこれまでに3人が受賞してる。そのうち、
故小平邦彦と広中平祐はピアノを得意としてた。
バイエルから始めたのだろうが、
代数よりもサイコロ遊戯のほうがダイスきなダメ人間の私のように
ピアノがヘタではなかったのは、秀才は
教材の良し悪しには左右されない、
ということだからなのだろう。
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