健全なる「呼吸」には適切な「空調」や「換気」が肝要であるが、
沖縄の「胡弓」は「くーちょー」と呼ばれてるそうである。
ちなみに、「胡弓」という呼び名の楽器は日本だけのものらしい。
中国のは「二胡」なんだそうである。いっぽう、吾が肺は「2個」である。
また、おねぇちゃんを奪われて「コケ」にされることはよくあるが、
独身ゆえに「妻を寝取られた」ことはないので「コキュ」ではない。
とまぁ、アーテムないこうでもないと書き連ねたが、
3月25日はアルトゥーロ・トスカニーニの誕生日である。
「クレッシェンドォ~~、ディミヌエンドォ~~」
というダミ声のリハーサル風景CDは聴いててためになる。
また、翌26日は神ベートーベンの「呼吸」が停止した日、という節目である。
小谷真生子女史は「フ『ジ』テレビ」のことを「フ『シ』テレビ」と発音するが、
大阪あたりでは「フジサン」を「フシサン」と言うとは聞かない。フシ議である。
不思議といえば、チャイコフスキーの「悲愴」の屑演奏の数々である。
「悲愴」の総譜を一読してみれば、もっとも印象深いのが、
「<>」という書き込みの多さ、である。いくつか例示してみよう。
・主章冒頭の序奏。独ファゴから半分割されたヴィオラに受け継がれる、
♪ラ<シ|>ドー>シーーー、シ<ド|<レー>ドーーー、ド<レ|<ミー>♯レーーー、
<<< >>> <<<< <<< >> <<<< <<< >> <<<<<
<ラ<シ|>ドーーー>シーーー|ー♪
<<< >>>>>>>>>>>
ちなみに、この箇所が、主調「ロ短」の下属調「ホ短」であることさえわからない
「指揮者」が世の中に存在するという「ジショウ」は驚きではあるが、
2004年9月5日が発行日である音楽之友社の「悲愴」の
ミニチュア・スコア(解説文:千葉潤(敬称略))が出るまで、
この「ホ短」に言及してるものがなかった、というのも、
そのようなむきを生み出す要因だったのであろう。
「権威とおぼしき」が書いてればそれを鵜呑みにはしても、
自分で悟ることができないむきがほとんどであるから、しかたない。
くら音の世界で生きてながら、チャイコフスキーが
「白鳥湖」「ねむり姫」などのバレエ音楽の中のいくつか、
たとえば幕が開く前、というような「導入部」を、
主調の属調あるいは下属調で開始させることがあるのも知らない始末である。
が、呈示部終いのファゴをバスクラに吹かせて平気な神経なら、いっそ、
この冒頭のファゴもバスクラに替えちまったらどうだろう、
と思う御仁はいないようである。不思議である。
・同章主部主主題。2分割ヴィオラ&2分割チェロ、
♪ラァッ<シィッ|>ドーーー>シー、>ラ<レ>ド>ラ|<ドーーー>シー♪
<<<<<<< >>>>>>> <<<<<<< >>>>>>>
ちなみに、この♪ラァッ<シィッ♪を♪ラッ<シッ♪とやってしまうむきに
チャイコフスキーは無理である。
・同章主部対主題。
♪ミ>レ>ド|>ラ>ソ>ミ<ソ・<ドーー>ラ|>ソーーー・ー♪
<<<<<<< >>>>>
・5拍子章主主題。チェロ、そして木管群、
♪ミー<ファー・<ソ>ファ<ソ<ラー<シー|<ドー>ラー・<シーーーーー♪
<<<<<<<<<<<< >>>>>>
・同章中部主主題および副主題。
♪ミーーミ・ミーーー>レー|>ドーード・ドーーー>シー♪
<<<< >>>>>>> <<<< >>>>>>>
♪ミーー<ファ・<ソーーー<ラー|>ソーー>ファ・>ミーーー>レー♪
<<<<<< >>>>>>
・スケルツォ章行進曲部。低弦ピッツィ、
♪ラ<♭シ<Nシ|<ド<レ<♭ミ<Nミ・<ファ<♯ファ<ソ<♯ソ|
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
<ラ>ソ>ファ>ミ・>レ>ド>シ♪
>>>>>>>>>>>>>>>
・終章17乃至18小節。3フル&2ファゴ、
♪ドーー>シ・<レーーー・ーーー>ド|>シーーー・ーーーー・ーー♪
<<<<< >>>>>>>>>> (>>>>>>>>>>>>)
同。vnプリ・ヴィオラ・チェロ、
♪ラーーー|ーーーー・ーーーーー・ーー♪
レーーー|ーーーー・ーーーーー・ーー
<<<< >>>>>>>>>>>>>
・同章ニ長部。
♪ドー|ドー>シー>ラー|>ソーーー♪
<< >>>
・同章エクヴァーレ。3トロ&チュー、
♪ドーーー|ドーーーーー|>シ○>♭シーーー|♭シーーーーー|>ラ♪
<<<< >>>>>> <<<<< >>>>>>>
・同章断末魔。2分割チェロ、
♪ミーーーーー|< ラーーーーー|>ドーーーーー|< ラーーーーー♪
> シーーーーー > シーーーーー
ドーーーーー|<ファーーーーー|>ミーーーーー|<ファーーーーー
< レーーーーー < > レーーーーー
p<<<<<< sf>>>>>> p<<<<<< sf>>>>>>
ちなみに、このスフォルツァンドで弾かれるのは、
「シ(<)レ(<)ファ(<)ラ」という「トリスタン和音」なのである。
同章主主題しょっぱなの、
「ミ(>)ド(>)ラ(>)♯ファ」も「トリスタン和音」であるが、
最期の際に回帰させてるのである。「この交に標題はあるのか?」
あるにきまってる。「愛と死」を物語ってるのである。
「生と死」はすなわち「呼吸の有無」である。この「<>」に満ちた交響曲を、
そこに注意を払って演奏させてるものはほとんどいない。
どいつもこいつもボンクラばかりである。
まがい物に歓喜狂乱する層相手であるから、蓄財なればすべてよし、なのである。
「『6番交』を書いてるとき、『死』についてなどまったく念頭になかった」
「『露語のパチチーチェスキィ』に『悲愴な』という意味はない」
というご意見がいかに「奇異で」「虚しい」ものであるかがわかるというものである。
「ロシアの大地を感じさせる金管の強烈な響き」
などというのがいかにナンセンスかも同様である。クニッペルではないのである。
「ポーリュシカ・ポーリェ」は「仲雅美」だが、むしろ、
「涅槃で待ってる」と京プラ最上階(47階)から身投げした「沖雅也」である。
「悲愴」を捧げられた甥のボービク(「犬・猟犬」の意)は、1906年と、
時を隔ててはいるが、チャイコフスキーへのあと甥自殺をしっカリ果たしたのである。
「悲愴」はチャイコフスキーがボブへ書き置キシたものでもあるのである。
千葉潤(敬称略)も書いてるが、チャイコフスキーの「ラスト・シンフォニー」は、
ベートーベンが確立した「交響曲」への恭順フォニーでなく、
徹底したアンチテーゼ、であるのかもしれない。
ペテルブルク音楽教室の卒業作品としては書けた「歓喜」も、死に瀕した
チャイコフスキーには、とうてい寄せれないシラーけた境地だったと思われる。
沖縄の「胡弓」は「くーちょー」と呼ばれてるそうである。
ちなみに、「胡弓」という呼び名の楽器は日本だけのものらしい。
中国のは「二胡」なんだそうである。いっぽう、吾が肺は「2個」である。
また、おねぇちゃんを奪われて「コケ」にされることはよくあるが、
独身ゆえに「妻を寝取られた」ことはないので「コキュ」ではない。
とまぁ、アーテムないこうでもないと書き連ねたが、
3月25日はアルトゥーロ・トスカニーニの誕生日である。
「クレッシェンドォ~~、ディミヌエンドォ~~」
というダミ声のリハーサル風景CDは聴いててためになる。
また、翌26日は神ベートーベンの「呼吸」が停止した日、という節目である。
小谷真生子女史は「フ『ジ』テレビ」のことを「フ『シ』テレビ」と発音するが、
大阪あたりでは「フジサン」を「フシサン」と言うとは聞かない。フシ議である。
不思議といえば、チャイコフスキーの「悲愴」の屑演奏の数々である。
「悲愴」の総譜を一読してみれば、もっとも印象深いのが、
「<>」という書き込みの多さ、である。いくつか例示してみよう。
・主章冒頭の序奏。独ファゴから半分割されたヴィオラに受け継がれる、
♪ラ<シ|>ドー>シーーー、シ<ド|<レー>ドーーー、ド<レ|<ミー>♯レーーー、
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<ラ<シ|>ドーーー>シーーー|ー♪
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ちなみに、この箇所が、主調「ロ短」の下属調「ホ短」であることさえわからない
「指揮者」が世の中に存在するという「ジショウ」は驚きではあるが、
2004年9月5日が発行日である音楽之友社の「悲愴」の
ミニチュア・スコア(解説文:千葉潤(敬称略))が出るまで、
この「ホ短」に言及してるものがなかった、というのも、
そのようなむきを生み出す要因だったのであろう。
「権威とおぼしき」が書いてればそれを鵜呑みにはしても、
自分で悟ることができないむきがほとんどであるから、しかたない。
くら音の世界で生きてながら、チャイコフスキーが
「白鳥湖」「ねむり姫」などのバレエ音楽の中のいくつか、
たとえば幕が開く前、というような「導入部」を、
主調の属調あるいは下属調で開始させることがあるのも知らない始末である。
が、呈示部終いのファゴをバスクラに吹かせて平気な神経なら、いっそ、
この冒頭のファゴもバスクラに替えちまったらどうだろう、
と思う御仁はいないようである。不思議である。
・同章主部主主題。2分割ヴィオラ&2分割チェロ、
♪ラァッ<シィッ|>ドーーー>シー、>ラ<レ>ド>ラ|<ドーーー>シー♪
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ちなみに、この♪ラァッ<シィッ♪を♪ラッ<シッ♪とやってしまうむきに
チャイコフスキーは無理である。
・同章主部対主題。
♪ミ>レ>ド|>ラ>ソ>ミ<ソ・<ドーー>ラ|>ソーーー・ー♪
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・5拍子章主主題。チェロ、そして木管群、
♪ミー<ファー・<ソ>ファ<ソ<ラー<シー|<ドー>ラー・<シーーーーー♪
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・同章中部主主題および副主題。
♪ミーーミ・ミーーー>レー|>ドーード・ドーーー>シー♪
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♪ミーー<ファ・<ソーーー<ラー|>ソーー>ファ・>ミーーー>レー♪
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・スケルツォ章行進曲部。低弦ピッツィ、
♪ラ<♭シ<Nシ|<ド<レ<♭ミ<Nミ・<ファ<♯ファ<ソ<♯ソ|
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<ラ>ソ>ファ>ミ・>レ>ド>シ♪
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・終章17乃至18小節。3フル&2ファゴ、
♪ドーー>シ・<レーーー・ーーー>ド|>シーーー・ーーーー・ーー♪
<<<<< >>>>>>>>>> (>>>>>>>>>>>>)
同。vnプリ・ヴィオラ・チェロ、
♪ラーーー|ーーーー・ーーーーー・ーー♪
レーーー|ーーーー・ーーーーー・ーー
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・同章ニ長部。
♪ドー|ドー>シー>ラー|>ソーーー♪
<< >>>
・同章エクヴァーレ。3トロ&チュー、
♪ドーーー|ドーーーーー|>シ○>♭シーーー|♭シーーーーー|>ラ♪
<<<< >>>>>> <<<<< >>>>>>>
・同章断末魔。2分割チェロ、
♪ミーーーーー|< ラーーーーー|>ドーーーーー|< ラーーーーー♪
> シーーーーー > シーーーーー
ドーーーーー|<ファーーーーー|>ミーーーーー|<ファーーーーー
< レーーーーー < > レーーーーー
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ちなみに、このスフォルツァンドで弾かれるのは、
「シ(<)レ(<)ファ(<)ラ」という「トリスタン和音」なのである。
同章主主題しょっぱなの、
「ミ(>)ド(>)ラ(>)♯ファ」も「トリスタン和音」であるが、
最期の際に回帰させてるのである。「この交に標題はあるのか?」
あるにきまってる。「愛と死」を物語ってるのである。
「生と死」はすなわち「呼吸の有無」である。この「<>」に満ちた交響曲を、
そこに注意を払って演奏させてるものはほとんどいない。
どいつもこいつもボンクラばかりである。
まがい物に歓喜狂乱する層相手であるから、蓄財なればすべてよし、なのである。
「『6番交』を書いてるとき、『死』についてなどまったく念頭になかった」
「『露語のパチチーチェスキィ』に『悲愴な』という意味はない」
というご意見がいかに「奇異で」「虚しい」ものであるかがわかるというものである。
「ロシアの大地を感じさせる金管の強烈な響き」
などというのがいかにナンセンスかも同様である。クニッペルではないのである。
「ポーリュシカ・ポーリェ」は「仲雅美」だが、むしろ、
「涅槃で待ってる」と京プラ最上階(47階)から身投げした「沖雅也」である。
「悲愴」を捧げられた甥のボービク(「犬・猟犬」の意)は、1906年と、
時を隔ててはいるが、チャイコフスキーへのあと甥自殺をしっカリ果たしたのである。
「悲愴」はチャイコフスキーがボブへ書き置キシたものでもあるのである。
千葉潤(敬称略)も書いてるが、チャイコフスキーの「ラスト・シンフォニー」は、
ベートーベンが確立した「交響曲」への恭順フォニーでなく、
徹底したアンチテーゼ、であるのかもしれない。
ペテルブルク音楽教室の卒業作品としては書けた「歓喜」も、死に瀕した
チャイコフスキーには、とうてい寄せれないシラーけた境地だったと思われる。
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