チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「田園調布に古墳が建つ/トイレット(&ペーパー)博士西岡秀雄君の死にあたって」

2011年08月11日 23時19分30秒 | 歴史ーランド・邪図
TBS22時の「ひみつの嵐ちゃん」の、
宮崎あおい女史がゲストの対談コーナーは、
目黒ハウスが使われてた。古民家ハウススタジオなのだが、
恵比寿と目黒の間の山手線沿いにあるため、
遠出しないロケで済む。が、いっぽうで、
収録には年がら年じゅう電車通過音が入ってしまって
耳障り、という難点ありなスタジオでもある。

日吉ミミ女史が膵臓癌で死んだらしい。代表曲、
「男と女のお話」は、
♪こいびーーぃと、にーぃっ、
 ふられぇーーた、のーっ。
 よくあぁーるぅー、
 はなしぃーじゃー、
 ないかーーーーっ。
 よのなぁーかぁー、
 かわぁーーってぇ、
 いるんーーだ、よぉーっ。
 ひぃーとぉーーのぉーー、
 こころぉーもぉー、
 かわるぅーーの、さぁーーーーーっ♪
という3拍子の諦観たっぷりな歌詞を
投げやり歌唱の芸風で歌った。そして曲は、
その名にし負う日吉ミミファーーミレェッ、という節で始まる。ときに、
同女史は浦和出身ながら、プロ野球横浜ベイスターズの大ファンだった。

横浜市は数年前に大阪市を抜いて、東京23区を除いては
日本一人口が多い都市になった。が、
横浜港が開かれる西暦およそ1859年までは、
たった80戸ばかりのささやかな漁村だった。
前年に締結された「日米修好通商条約」によって
神奈川港を開かなければならなかった。が、
幕府は佐久間象山の意見を採って
東海道の宿場でもある神奈川を避けて、
実際にはやや離れてる横浜を神奈川宿の一部という方便で
突貫工事で整備して開港場としたのである。
元からあった大岡川に加えて新たに運河を掘削して
洲を作り、そこを外国人居留地とした。
橋詰に出入りをチェックする関所があって
その関所の「囲いの内側」を「関内」と言ったのである。が、
櫻井翔と東京衣裳をときどき取り違えてしまうような
拙脳なる私にはなんだかわかんない歴史である。

ともあれ、
横浜は開港以来、著しい発展を遂げる。
地域も拡張された。現在の港北区もそのひとつである。
昭和初期そこに、現在の東急電鉄が
無償で土地を提供してできたのが、秋が深まると
落ちて踏まれた銀杏の実が臭い銀杏並木で彩られる慶應義塾大学
日吉キャンパスである。私の父は、
私が自分と同じく慶応に入ってくれるものと思ってた。だから、
普通部からでも塾高からでもとにかく、通うのに便利なように
港北区に土地を買って家を建てた。が、
私は思いのほか出来が悪く、どちらも受からなかった。そして、
その家は週末を過ごすだけのものとなった。ちなみに、
私がガキだった昭和40年代前半くらいまでの時分には、
横浜市にも肥溜めがあった。それから、
汲み取り式便所の屎尿を、市の作業員が
大八車に肥桶を乗せて運んでた記憶がある。また、
畑の端ではお百姓のお婆さんがしゃがむのではなく、
ほんの少し屈み腰になってモンペを膝あたりまでおろし、
体の後方に放尿する風景が当たり前に見られた。もちろん、
トイレットペーパーも林家ペーパーも使わない。

ところで、
目黒ハウスからさほど遠くない恵比寿ガーデンプレイスの玄関口ともいえる
恵比寿南橋は、通称を「アメリカ橋」という。それは、1904年の
「セント・ルイス万博」に出展された橋を現在のJRが買って、
架橋したものだからである。セント・ルイス万博から100年後とその翌年、
漫才コンビの相方同士があいついで肺癌で死んだ。
「田園調布に家が建つ!」
というギャグで人気を博した
星セント・ルイスである。このギャグは、
世の中で成功する秘訣、というお題で、それには
「弁が立つ」「腕が立つ」ことが肝要、さすれば
「田園調布に家が建つ!」、という
「タツ」を下敷きにした漫才のネタだった。が、
トイレとトイレットペーパーの研究で田園調布に家を建てた学者がいた。
人文地理学というわけのわからない学問の第一人者だった
故西岡秀雄である。先日(8月1日)、
心臓が止まって、97歳の生涯を終えた。
同人は「気候700年周期説/寒暖の歴史」のような
トンデモ学を持ち出す欠点はあったが、
慶應義塾大学の名物教授のひとりだった。そして、
いわゆる「西岡古墳群」と呼ばれるものを含めた
多摩川古墳群を「発掘」したことで知られる。

高級住宅地の代名詞として漫才のネタになったほどの
東横線西側の田園調布は、渋沢栄一が企画した
「田園都市」である。が、そこは
多摩川左岸という小高い土地柄か、
ムカシの人々が墳墓にしたところでもあった。現在も、
多摩川台公園もひっくるめて、
古墳然としたさまがはっきりと残ってる。が、
多摩川園の飛行塔遊具も、テニスコートも、
跡形もない。
世の中、変わっているんだよ。
人の心も、変わるのさ。
松原智恵子女史主演のTVドラマ、
「あいつと私」の西田邸のマサキの垣根が懐かしい。
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