(*タイトルの「敵」はここでは「アダ」と読んでいただきたい)
先週金曜日の午前、「ラ・シオラ」というSMクラブの経営者らが
逮捕されたそうである。なんでも、あの有名な南新宿の
集合住宅の部屋を4つほど借りて「営業」してたらしい。
風営法の禁止区域営業のかどで捕まった、のだそうだ。ときに、
このクラブ、朝霧リエ女王様、という著名な人物が
ミストレスなんだそうである。よく、
(こんなんで女王様!?)みたいな貧相な容姿の、
吐息がヤニ臭そうな「女王様」が性根の悪そうな顔つきで
M男クンらをイジメてる絵などがある。
そんなのだったら、ラーメン嫌いな私でも、
「ラーメン、つけ麺、ぼくシオラーメン」のほうがまだいい。が、
この朝霧様は美貌もよろしいのだそうである。そんな
女王様もいっしょに捕まったらしい。なんでも、
♪朝霧さまよぉ~~~、今夜もぉ~~~、ありぃ~~いがとぉ~~~う♪
と歌いながら客に部屋をあとにさせたのが、
このマンションの住民から「ヘンな声がする」という警察への苦情になり、
そこからこの違法行為の足がついた、ということではないらしい。ときに、
いつもはM男衆を縛りつけてた朝霧女王様も、今度に限っては
シオラしくお縄を頂戴する立場になってしまったようである。ときに、
店名の「ラ・シオラ」とは、
<身分の高い人や、権威ある女性に敬いの意味を込めて呼びかける言葉なんだ。
英語で言うとミストレス・・・。それに近い言葉かな>
と同女によって<今ではほとんど使われないヴェネチアの言葉>
というように紹介されてた。仰せのとおりである。が、女王様も、
「siora(スィオーラ)」は、「貴婦人」を意味する、
ヴェネッツィアがあるヴェーネト州やトリエステがあるそのお隣の州などで
話されてる「ヴェネッツィア方言」であることはご存じでも、
「signora(スィンニョーラもしくはスィニョーラ)」の
「gn」がとれた形、であることまではお気づきでなかったようである。
水前寺清子女史の「演歌」が好きでもある私には、
「んにゃ」という音には敏感なのである。が、
シートベルトとシューベルトの区別もつけるのが難儀な愚脳の私には、
関西方面から帰りの品川駅高輪口で乗るタクシーの運転手さんに、
「お客さん、靴紐締めなおしても意味ないでしょ」
と、この6月からは言われてしまう。さて、
2011年の7月24日には完全に「地デジ」化になるのだという。
私は「痔で血」が六尺の赤褌についてしまうことがよくある。ともあれ、
その百年前の1911年が、トーマス・マンの中編
「der tod in venedig
(デァ・トート・イン・ヴェネーディヒ)」
の「年代設定」である。書かれたのは1912年であるが、この
「1911年」という年はこの小説の主人公
アッシェンバッハのモデルであるマーラーが死んだ年なのである。
そのマーラー一世一代の名作「5番交響曲中の第4楽章」、
いわゆる「アダージェット」が流れるなか、
ルキーノ・ヴィスコンティの映画(1971年)
「morte a venezia(モルテ・ア・ヴェネッツィア)」
は開始される。「朝霧」の中、汽船が
ヴェネッツィアのlido(砂州の意)島の港に入ってくる。
画面は暗い。陰翳礼讃である。主役はdirk・ボガードである。
巨匠独特の耽美が描き出されているのである。と思うのは
朝霧、もとい、浅はか、である。よく知られてるようだが、
ルキーノ・ヴィスコンティはミラーノの大貴族の家系出である。
「visconti」という綴り自体が
「子爵(visconte)」(英語のviscount/ヴァイカウント)」
の複数形になってるのである。それはともかく、利害が対立する「隣国」の
ミラーノとヴェネッツィアとは長年にわたって不仲だったのである。
ミラーノの為政者一家の出であるルキーノ・ヴィスコンティが
ヴェネッツィアに心の底から親愛の情をいだいてるはずがないのである。
ヴェネッツィアの美しさ、そして、美少年タジオの端正を
「ことさら」描き出すことによって、その対極な主人公
アッシェン(灰)バッハの「老い」「コレラ罹患」「醜悪な死にざま」
が補色効果のように強調されるのである。
アッシェンバッハはタジオ少年の「セイラー服」にコスプレを妄想し、
たかどうかは知らないが、この少年が美しいだけでは不完全だった。
その母に品がなくてはいけないのである。が、
タジオの母はポーランドの貴婦人だった。合格である。
同性愛者ヴィスコンティは、その母役スィルヴァーナ・マンガーノに
自身の母親の像を重ねてたそうである。一般に、
母親が女性像として理想的であればあるほど、他の女性は
ニ次元の中でしか認識できなくなる。これを、我々似非オタクは
「スィルヴァーナ・トーマス・漫画ーノ」と呼んでるのである。ともあれ、
少年の「多情」な心も、見た目の美にしか頭がないアッシェンバッハには
どうでもよかった。知らぬが仏である。そして、
ラスト・スィーン。またしても「アダーェット」が流れる。
「もう、いぃーいかい?」「マーラーだよ」
「もう、いぃーいかい?」「コレラの猛威ーぃよ」
アッシェンバッハはコレラによる苦痛に呻きながら、
施した「死に化粧」が醜く汗とともに滴るなか、また、
腸にくるコレラによってオシモもだらしなく汚し、
シクシク痛にもだえて腹をサスりながら、
リド(砂州)で戯れるタジオの美しい姿を目に焼きつけつつ
死に絶える。リド島カインの効き目もなく。これほど
M男冥利に尽きる死にざまはないであろう。だが、
アッシェン「バッハ」が罹患したコレラが
エルトール「小川」型だったかどうかは誰も知らない。
先週金曜日の午前、「ラ・シオラ」というSMクラブの経営者らが
逮捕されたそうである。なんでも、あの有名な南新宿の
集合住宅の部屋を4つほど借りて「営業」してたらしい。
風営法の禁止区域営業のかどで捕まった、のだそうだ。ときに、
このクラブ、朝霧リエ女王様、という著名な人物が
ミストレスなんだそうである。よく、
(こんなんで女王様!?)みたいな貧相な容姿の、
吐息がヤニ臭そうな「女王様」が性根の悪そうな顔つきで
M男クンらをイジメてる絵などがある。
そんなのだったら、ラーメン嫌いな私でも、
「ラーメン、つけ麺、ぼくシオラーメン」のほうがまだいい。が、
この朝霧様は美貌もよろしいのだそうである。そんな
女王様もいっしょに捕まったらしい。なんでも、
♪朝霧さまよぉ~~~、今夜もぉ~~~、ありぃ~~いがとぉ~~~う♪
と歌いながら客に部屋をあとにさせたのが、
このマンションの住民から「ヘンな声がする」という警察への苦情になり、
そこからこの違法行為の足がついた、ということではないらしい。ときに、
いつもはM男衆を縛りつけてた朝霧女王様も、今度に限っては
シオラしくお縄を頂戴する立場になってしまったようである。ときに、
店名の「ラ・シオラ」とは、
<身分の高い人や、権威ある女性に敬いの意味を込めて呼びかける言葉なんだ。
英語で言うとミストレス・・・。それに近い言葉かな>
と同女によって<今ではほとんど使われないヴェネチアの言葉>
というように紹介されてた。仰せのとおりである。が、女王様も、
「siora(スィオーラ)」は、「貴婦人」を意味する、
ヴェネッツィアがあるヴェーネト州やトリエステがあるそのお隣の州などで
話されてる「ヴェネッツィア方言」であることはご存じでも、
「signora(スィンニョーラもしくはスィニョーラ)」の
「gn」がとれた形、であることまではお気づきでなかったようである。
水前寺清子女史の「演歌」が好きでもある私には、
「んにゃ」という音には敏感なのである。が、
シートベルトとシューベルトの区別もつけるのが難儀な愚脳の私には、
関西方面から帰りの品川駅高輪口で乗るタクシーの運転手さんに、
「お客さん、靴紐締めなおしても意味ないでしょ」
と、この6月からは言われてしまう。さて、
2011年の7月24日には完全に「地デジ」化になるのだという。
私は「痔で血」が六尺の赤褌についてしまうことがよくある。ともあれ、
その百年前の1911年が、トーマス・マンの中編
「der tod in venedig
(デァ・トート・イン・ヴェネーディヒ)」
の「年代設定」である。書かれたのは1912年であるが、この
「1911年」という年はこの小説の主人公
アッシェンバッハのモデルであるマーラーが死んだ年なのである。
そのマーラー一世一代の名作「5番交響曲中の第4楽章」、
いわゆる「アダージェット」が流れるなか、
ルキーノ・ヴィスコンティの映画(1971年)
「morte a venezia(モルテ・ア・ヴェネッツィア)」
は開始される。「朝霧」の中、汽船が
ヴェネッツィアのlido(砂州の意)島の港に入ってくる。
画面は暗い。陰翳礼讃である。主役はdirk・ボガードである。
巨匠独特の耽美が描き出されているのである。と思うのは
朝霧、もとい、浅はか、である。よく知られてるようだが、
ルキーノ・ヴィスコンティはミラーノの大貴族の家系出である。
「visconti」という綴り自体が
「子爵(visconte)」(英語のviscount/ヴァイカウント)」
の複数形になってるのである。それはともかく、利害が対立する「隣国」の
ミラーノとヴェネッツィアとは長年にわたって不仲だったのである。
ミラーノの為政者一家の出であるルキーノ・ヴィスコンティが
ヴェネッツィアに心の底から親愛の情をいだいてるはずがないのである。
ヴェネッツィアの美しさ、そして、美少年タジオの端正を
「ことさら」描き出すことによって、その対極な主人公
アッシェン(灰)バッハの「老い」「コレラ罹患」「醜悪な死にざま」
が補色効果のように強調されるのである。
アッシェンバッハはタジオ少年の「セイラー服」にコスプレを妄想し、
たかどうかは知らないが、この少年が美しいだけでは不完全だった。
その母に品がなくてはいけないのである。が、
タジオの母はポーランドの貴婦人だった。合格である。
同性愛者ヴィスコンティは、その母役スィルヴァーナ・マンガーノに
自身の母親の像を重ねてたそうである。一般に、
母親が女性像として理想的であればあるほど、他の女性は
ニ次元の中でしか認識できなくなる。これを、我々似非オタクは
「スィルヴァーナ・トーマス・漫画ーノ」と呼んでるのである。ともあれ、
少年の「多情」な心も、見た目の美にしか頭がないアッシェンバッハには
どうでもよかった。知らぬが仏である。そして、
ラスト・スィーン。またしても「アダーェット」が流れる。
「もう、いぃーいかい?」「マーラーだよ」
「もう、いぃーいかい?」「コレラの猛威ーぃよ」
アッシェンバッハはコレラによる苦痛に呻きながら、
施した「死に化粧」が醜く汗とともに滴るなか、また、
腸にくるコレラによってオシモもだらしなく汚し、
シクシク痛にもだえて腹をサスりながら、
リド(砂州)で戯れるタジオの美しい姿を目に焼きつけつつ
死に絶える。リド島カインの効き目もなく。これほど
M男冥利に尽きる死にざまはないであろう。だが、
アッシェン「バッハ」が罹患したコレラが
エルトール「小川」型だったかどうかは誰も知らない。
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