チャイコフスキー 1812年
[The Russian Imperial Anthem; God Save The Tsar]
今日から米国のTVドラマ「モンク」の第7スィーズンの放送が
NHK-BSで始まった。第1話は、
このドラマの前スィリーズまでのドクター・チャールズ・クロウガー役だった
スタンリー・カメイルが1年前に亡くなったので、その
「追悼話」にもなってた。同俳優の
"Beverly Hills, 90210”「(邦題)ビヴァリーヒルズ青春白書」での、
ディラン・マッケイの敵にして恋人の父、という
トウニ・マーシェット役の演技はじつに感動的だった。さて、
「モンク」では主演のトウニ・シャループが主題歌を歌ってるが、
ロシアほど国歌をコロコロと替えてきた国家はない。が、
皇帝ナポレオンがマスクヴァーに攻めてきたとき、
ロシアには国歌がなかった。とはいえ、
"Гром(ь) победы, раздавайся!"
(グローム(ミ)・パビェーディ、ラズダヴァーィシャ)
「勝利の轟音よ、敵を粉砕せよ」
という准国歌が1791年には歌われてた。
****♪ドーード・<ミー>レー・>ドー<レー│<ミーーー・>ドーーー・●●●●│
>ドーー<ミ・<ソー>ファー・>ミー>レー│<ミーーー・ーーーー・●●●●♪
帝政ロシアが他国を征服した「証し」として
愛唱・愛奏した「ポロネーズ」である。
「スペイドの女王」で、エカチェリーナ2世が舞踏会に到着した場面で
盛大に奏される、という引用をチャイコフスキーがしてる、あの曲である。
****♪ミーー>レ・>ドードー・<ファー>ミー|ミー>レー・レーーー・●●●●|
レーー>ド・>シーーシ・<ミーー>レ|レーーー・>ドーーー・●●●●♪
という箇所である。が、これではイマイチだったのかどうかは、
武田修宏と貴乃花の顔さえ見分けれない拙脳な私には知る由もないが、
1816年に、第6次対仏大同盟によってまた英国と手を結んだからか、
アレクサーンドル1世のロシア帝国は、英国の国歌ともいうべき
"God save the king"の節に、チャイコフスキーが埋葬されたネフスキー寺院で
ドストエフスキーが隣に埋められてる詩人ジュコーフスキーの
ロシア語の歌詞を附けて国家としたのである。
"Боже(ボージェ:主よ), Царя(ツァリャー:皇帝を) храни(フラニー:護り給え)!"
****♪ドーーー・ドーーー、・<レーーー│>シーーー・ーー、<ドー・<レーーーー♪
ボー ジェ、 ツァ リャー フラ ニー
ちなみに、リヒテンシュタイン公国は国歌の節として、
この旋律を未だに使い続けてるそうである。それはどうでも、
"God save the king"の節を用いたロシア国家は17年続いた。が、
やはりそんなのでは恥ずかしかったのだろうか、1833年には、
皇族ながら音楽家となったリボーフ公が作曲した歌が新国歌となった。
****♪ソーーーー・ーーー・・<ラーーー、・ラーーー│>ソーーー・ーーー>ミ>・・>ドーーー・ーーーー♪
ボー ジェ、 ツァ リャー フラ ニー
歌詞はやはり「ボージェ、ツァリャー・フラニー(主よ、ツァーリを護り給え)」
になってしまったなのである。ちなみに、
この節はほとんど「越天楽」である。
****♪ソーーーー・ーーー・・<ラーーー・ラーーー│>ミーーー、・ミーーー>・・>レーーー・<ミーーー♪
が、この国歌は1917年のロシア革命まで存続するのである。そして、
その2月革命でロマノフ家が皇帝から引きずり降ろされ、
臨時政府のもとで国歌とされたのが、
"Рабочая Марсельеза"
(ラボーチャヤ・マルスィリイェーザ)「労働者のマルセイエーズ」
つまり、フランスの「ラ・マルセイエーズ」なのである。ちなみに、
奇しくもレーニンと同郷だったケレンスキーは、
臨時政府の閣僚中、唯一、
ボリシェヴィキによる逮捕・処刑をまぬがれ、
1970年にNYで89歳の生涯を全うした。それはともかく、
チャイコフスキーの「1812年」では、
リボーフ公作曲「ボージェ、ツァリャー・フラニー(主よ、ツァーリを護り給え)」が
「ラ・マルセイエーズ」を駆逐してしまうのであるが、
2月革命ではその正反対になったのである。
チャイコフスキーの与り知らぬことではあるが。ところで、
リボーフ公作曲「ボージェ、ツァリャー・フラニー」の節は、
アメリカ合衆国はペンスィルヴェイニャ州の州歌、
"Hail, Pennsylvania!"の旋律なのである。
「モーツァルト」と「もうツーアウト」、それから
「墨子」とを聞き分けれない駄脳な私には、
そのわけを知る由もない。
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