昨今の四十歳以下の世代には、
「山葵(ワサビ)」が苦手なむきが多いらしい。今日の
「めざましテレビ」でそんな特集をやってた。が、そんなことでは、
広末涼子女史主演の映画の製作発表の席で、製作者兼脚本家も
リュック・泣きベソンをかいてしまうことになりかねない。大変である。
なんでも、他の「カラミ」と異なって、ワサビには
「鼻に抜ける感」があるからダメ、なのだそうである。それはどうでも、
その特集で映しだされてた回転寿司屋のサビ抜き客は、例外なく
箸がきちんと持ててなかった。だから、
しつけとか教育とか食育とかは、親の質の問題であり、なにも
今に始まったことではない。にしろ、
男女機会均等なんとかによって女性の社会進出が増し、したがって
離婚も増え、相対的にきちんと子を育てない親の割合が増えてきた、
ということなのだろう。フェーリクス・メンデルスゾーンが
姉のファニーが自作を出版することすら嫌悪したようには、
女性が仕事を持つこと自体に私は否定的ではない。むしろ、
才能がある女性はそれを活かして社会貢献すべきである、と考える。が、
ただ分不相応な生活水準向上のために妻が働くことは、
子供の育成には非常によくないことだと思ってる。
子宮筋腫を患ってるかたの気持ちはわからないではないが、それでも、
揉んだだけでそれがちっちゃくなっちゃう、
なんて詐欺師にひっかかる知能程度のほうも、どんなモンダろうと思う。
無根拠な占いの類を信じきったり、スピリチュアルなんとかとか霊魂とか、
人の幸福とは何だろう、人は何のために生きるのか、などと、
不毛なことにのめり込み悩むふうな幼稚さには、
その者の親からののしつけと愛情の欠如を痛感し、
我がオツムの薄さ寂しさ同様の空しさを覚える次第である。ときに、
某アダルト系アイドル女優さんがそのブログで
「『さびしい』という意味に充てる漢字の淋と寂の使い分け」を、
一人悶々と夜更けを過ごされながら判じあぐねて疑問を呈してた。そこで、
エロキモおやじであり欲は旺盛ながら相手にしてくれる女性がいないので
サビしいな、というときにそちらのほうの“ごやっかい”になってる私は、
そんな天使のようなかたのりく・うぇすとにお答えしようなどと、
僭越ながらテキトーなコメントをした。が、それはさておき、
「寂」=うかんむりは屋根、
叔の左は豆類を表し「少」の仮借(かしゃ)でもあり、又は手を表す。つまり、
屋根の下で豆や芋、そして穀物などを手で拾ってるさまを表してる
→家畜が食い残して地面に散らかってる食料を拾い集める、
という作業を黙々としてるさま→そんな労働しかできない身
→わび・しいな、さび・しいな、ということである。
まるで私のことのようである。ところで、
歌謡曲の世界に「サビ」というものがあるらしい。
その歌の「聴かせどころ」「泣きどころ」「盛り上がり」「クライマックス」、
のようなものだそうである。が、これは本来の意味である
「寂び(サビ)」は能の謡の「寂声」、つまり、
「低く抑えた声」で謡うとこのことである。いっぽう、
「サワリ」という語も同様に人形浄瑠璃で他の流派の名節を
引用して(触って)際立たせる箇所のことを言ったのが由来である。が、
それがまた転じて「要点」「要領」という意味にもなってしまった。
「サファリ」というwebブラウザは他のブラウザの
「いいとこどり」ということではないらしいが、
pc音痴オヤジな私にはまったく要領を得ない話である。さて、
その「駄目ージ・ヘア」な私が世に数ある(カズアル)クラ音の中から
カジュアルに恣意な選択をしたのが、
「百人一触、百人寂歌」
である。本来は、選んだ曲の「サビ」「サワリ」を
電子ディヂタル音楽にして添附して載せようと思ってたのであるが、
時間的に難しいので、とりあえずは今までどおり、
「ド<レ<ミ<ファ<ソ<ラ<シ」
という「カタカナ譜」で示すに留めることにする。よって、
これは再生も再販もできないので、「定価」はつけない。ともあれ、
いわゆる“音楽の父”と称されてる大バッハ以降バーバーまで、
を「クラ音」の範疇とした。但し、
「百人一首」と「百人秀歌」のように、
「百人一触」は百人百曲、そのうちの2曲をはずして別に3つを加えた
「百人寂歌」は百一人百一曲、
を選んである。が、詳細はまた日を改める。
少しひにちがかかるかもしれないが、
オクラにも小倉にもならないうちに、とは思ってる。
「山葵(ワサビ)」が苦手なむきが多いらしい。今日の
「めざましテレビ」でそんな特集をやってた。が、そんなことでは、
広末涼子女史主演の映画の製作発表の席で、製作者兼脚本家も
リュック・泣きベソンをかいてしまうことになりかねない。大変である。
なんでも、他の「カラミ」と異なって、ワサビには
「鼻に抜ける感」があるからダメ、なのだそうである。それはどうでも、
その特集で映しだされてた回転寿司屋のサビ抜き客は、例外なく
箸がきちんと持ててなかった。だから、
しつけとか教育とか食育とかは、親の質の問題であり、なにも
今に始まったことではない。にしろ、
男女機会均等なんとかによって女性の社会進出が増し、したがって
離婚も増え、相対的にきちんと子を育てない親の割合が増えてきた、
ということなのだろう。フェーリクス・メンデルスゾーンが
姉のファニーが自作を出版することすら嫌悪したようには、
女性が仕事を持つこと自体に私は否定的ではない。むしろ、
才能がある女性はそれを活かして社会貢献すべきである、と考える。が、
ただ分不相応な生活水準向上のために妻が働くことは、
子供の育成には非常によくないことだと思ってる。
子宮筋腫を患ってるかたの気持ちはわからないではないが、それでも、
揉んだだけでそれがちっちゃくなっちゃう、
なんて詐欺師にひっかかる知能程度のほうも、どんなモンダろうと思う。
無根拠な占いの類を信じきったり、スピリチュアルなんとかとか霊魂とか、
人の幸福とは何だろう、人は何のために生きるのか、などと、
不毛なことにのめり込み悩むふうな幼稚さには、
その者の親からののしつけと愛情の欠如を痛感し、
我がオツムの薄さ寂しさ同様の空しさを覚える次第である。ときに、
某アダルト系アイドル女優さんがそのブログで
「『さびしい』という意味に充てる漢字の淋と寂の使い分け」を、
一人悶々と夜更けを過ごされながら判じあぐねて疑問を呈してた。そこで、
エロキモおやじであり欲は旺盛ながら相手にしてくれる女性がいないので
サビしいな、というときにそちらのほうの“ごやっかい”になってる私は、
そんな天使のようなかたのりく・うぇすとにお答えしようなどと、
僭越ながらテキトーなコメントをした。が、それはさておき、
「寂」=うかんむりは屋根、
叔の左は豆類を表し「少」の仮借(かしゃ)でもあり、又は手を表す。つまり、
屋根の下で豆や芋、そして穀物などを手で拾ってるさまを表してる
→家畜が食い残して地面に散らかってる食料を拾い集める、
という作業を黙々としてるさま→そんな労働しかできない身
→わび・しいな、さび・しいな、ということである。
まるで私のことのようである。ところで、
歌謡曲の世界に「サビ」というものがあるらしい。
その歌の「聴かせどころ」「泣きどころ」「盛り上がり」「クライマックス」、
のようなものだそうである。が、これは本来の意味である
「寂び(サビ)」は能の謡の「寂声」、つまり、
「低く抑えた声」で謡うとこのことである。いっぽう、
「サワリ」という語も同様に人形浄瑠璃で他の流派の名節を
引用して(触って)際立たせる箇所のことを言ったのが由来である。が、
それがまた転じて「要点」「要領」という意味にもなってしまった。
「サファリ」というwebブラウザは他のブラウザの
「いいとこどり」ということではないらしいが、
pc音痴オヤジな私にはまったく要領を得ない話である。さて、
その「駄目ージ・ヘア」な私が世に数ある(カズアル)クラ音の中から
カジュアルに恣意な選択をしたのが、
「百人一触、百人寂歌」
である。本来は、選んだ曲の「サビ」「サワリ」を
電子ディヂタル音楽にして添附して載せようと思ってたのであるが、
時間的に難しいので、とりあえずは今までどおり、
「ド<レ<ミ<ファ<ソ<ラ<シ」
という「カタカナ譜」で示すに留めることにする。よって、
これは再生も再販もできないので、「定価」はつけない。ともあれ、
いわゆる“音楽の父”と称されてる大バッハ以降バーバーまで、
を「クラ音」の範疇とした。但し、
「百人一首」と「百人秀歌」のように、
「百人一触」は百人百曲、そのうちの2曲をはずして別に3つを加えた
「百人寂歌」は百一人百一曲、
を選んである。が、詳細はまた日を改める。
少しひにちがかかるかもしれないが、
オクラにも小倉にもならないうちに、とは思ってる。
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