チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「人麻呂による高市皇子への挽歌と堤/菟田のかがり火(03)」

2011年01月14日 02時18分32秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
煎餅焼き地獄から生還した。
大量に焼くには年末から下ごしらえをして準備してなければ
必ずしわ寄せがきて難儀なことになるのは分かってたのに、
尾道なんぞに旅してたり、
見逃してた海外TVドラマの一挙放映に観耽ってたり、
その結果寝不足でいつも以上に昼寝してたりしたので、
あしかけ3日間は不眠不休の寝ずっちだった。そして、
やっと煎餅が整った::私の煎餅は薄っぺらいから、
電子メイルで納品できるので楽である。それに、
私の煎餅は駄賃が安いから、品物の質が劣悪でも
ケチをつけられてやり直しさせらることはないから気楽である。

ときに、
オカルトやスピリチュアルやマイナスイオン効果なんていう疑似科学に騙されやすいむきは、
不思議なことが起こると、"霊"や"超能力"がはたらいてる、
と短絡する。むかしは科学で解明できてなかったことが多かったから、
不思議なこと=怪事(ケジ)→不吉な前兆→失敗に結びつく→ケチがつく
→怪事に臆して消極的になり、出し惜しむ→ケチ
という具合だった。

いっぽう、
タケチというと、白日夢のように
武智豊子女史という「婆さん女優」のダミ声を思い出すが、
高(タケ)市皇子は天武(タケ)天皇の第一皇子である。
万葉集巻2-0199乃至0201の柿本人麻呂の歌は、
高市皇子(タケチノミコ、西暦およそ654年?-696)への
挽歌(Banka)である。
[#0199]は万葉集に採られてる長歌の中でも詠んでるうちに
首が絞まってしまう(choker)くらい恐ろしく長いので、
舞川あいく女史と中沢裕子女史の顔の判別に難儀する
拙脳なる私にはすべてをコピペすることができないので、
悪しからず。

[高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌]
(たけちのみこのみことのきのへのあらきのみやのとき、
かきのもとのあそみひとまろがつくれるうたいっしゅ、あはせてたんか)
「(拙大意)高市皇子のお方のキノヘ(場所は不詳)の殯宮(もがりのみや)のとき、
柿本朝臣人麻呂が作った長歌1首、併せて反歌」
という題辞で始まる。
[(略)……朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴
雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮
萬代尓 過牟登念哉
天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文]
(あさもよし、きのへのみやを、とこみやと、たかくまつりて、かむながら、しづまりしまぬ、
しかれども、わごおほきみの、よろづよと、おもほしめして、つくらしし、カグヤマのみや、
よろづよに、すぎむともへや。
あめのごと、ふりさけみつつ、たまたすき、かけてしのはむ、かしこけれども)
「(拙大意)城上の宮を御陵と高く奉って神として魂をお鎮めになった。
しかしながら、我が大王(=高市皇子)が永遠の宮とお思いになってお作らせになったカグヤマの宮殿が、
永遠に存在するとお思いになったであろうか、いや違う。
天を仰ぐごとく振りかえって仰ぎ見しつづけて、心にかけて思い出そう。畏れ多いことだが」

この長歌の二つめの反歌(巻2-#0201)は、
[埴安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑]
(はにやすの、いけのつつみの、こもりぬの、ゆくへをしらに、とねりはまとふ)
「(拙大意)埴安の池のみたいに堤(Bank)で囲まれた出口のない沼の水の行方が分からないように、
皇子のお側に仕えてた者らはどうしたらいいか迷ってることであるなあ」

高市皇子の邸宅があったとされる、カグヤマの西の麓の埴安は、
その名のとおり埴土(ショクド=粘土質の土)だったという。
持統女帝にとっては、目の上のたんこぶだった高市皇子が亡くなって
「春」が訪れた。持統帝の側近、あるいは情夫だったともいわれる人麻呂は、
きわめて公的なタテマエの歌を詠ったのである。
俸禄が莫大だった高市皇子は、当然、仕えてる者も多かった。
それを行き場がなくなってかわいそう、気の毒ですね、と言ってるのである。

夫である天武天皇が亡くなってすぐに、
皇位継承第1番手と目される我が子草壁皇子の対抗馬である
大津皇子の謀叛冤罪処刑、そして、第1皇子である高市皇子の死。
"タケチ者も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ"
持統女帝は徳川吉宗以上に、手に汗が
ジトーっとしてしまうくらい怖い人物である。諱は、
「菟野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」らしい。
TVタレントの神田うの女史は通産省(現、経済産業省)キャリア官僚の娘である。
その名「うの」は持統女帝の名に肖ったものだということである。
「鵜の目鷹の目魚の目」という諺から採ったものではないらしい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「『KAGUYAMA』亡き子と持統... | トップ | 「東京一句=駿河屋は、末は博... »

コメントを投稿

ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す」カテゴリの最新記事