宮本玄信でさえ二天一流なのに、五嶋節女史の倅ときたら、ヴァイオリンの巻、
エレキギターの巻、カラテの巻、JR東日本宣伝活動の巻、バイリンガルの巻、
という5巻のセンスでガンバってるのである。が、箸はまともに持てないようである。
9月20日は、「ロマの調べ」で知られるパーブロ・デ・サラサーテと、
「アイノ・ウタ」で知られるアラ・ヤンネ・オツム・スィべリウスの命日である。
かたやvnの名手であり、いっぽうはvn奏者になりたくてもなれなかったくちである。
が、残された録音で聴くかぎりでは、サラサーテ自演の「ロマの調べ」はトホホである。
ちなみに、vnをガンバに挟んで弾く私は、カタアテよりも膝小僧のサラアテが大事である。
それはともかく、シベリウスはスウェーデン語を話す階級に生まれた(父は医師)が、
スウェーデン系ながらもフィンランド語派であるイェルネフェルト将軍の娘と結婚した。
スエーデン食わぬは男の恥である。といっても、淫蕩にふけるわけではない。
シベリウスは33歳のときに咽頭腫瘍の摘出手術を受けた。
悪性ではないか、転移、再発はないか、と不安にかられる毎日だったらしい。そして、
結果は予後良好。脚気は米糠が不足して起きると見抜いた鈴木梅太郎博士である。
ともあれ、やっと気を持ち直して書いたのが「5番交響曲」だそうである。
「シベ5(変ホ長)」(第3稿決定稿)の冒頭は、ホルン群が、
♪(ドーー・ー……)(<ソー・ーーー・ーーー|ーー……<)
【ド・<レ<ソー・>ミー>ド・<レーー(フェルマータ)】♪
という一節を吹き出すのである。これは、ベルリオーズの「幻想」緩徐章の
イングリッシュ・ホルン(とオーボエの応答)による、
♪【○ドー・<レッ<ソー|>ミッ>ソー・<ラーー(フェルマータ)】♪
の引用である。愛の相方がいる幸せ者ながら、人間、結局は
孤独と不安にさいなまれるちっぽけな存在でしかないのである。
全知全能の神の前にはただただヒレ伏すしかないのである。いずれにしても、
シベリウスといえば、やはり「フィンランディア」である。
この曲にはギョっとするような感動があるのである。ときに、
フィンランドのフィンfinnはヒレのfin、suomiは鱗、だそうである。
ちなみに、ラップ人はサーメというらしい。神部としえはイルカというようである。
ところで、スィベリウスとはまた北欧ではフィンランド人にしても何にしても、
ストラディヴァリウスみないな、ちょっとめずらしいラテン的な名である。
よもや、「シベリア」と関係があるのではあるまい。ちなみに、
現在の「フィンランド人」に蒙古斑はほとんど出ないそうである。その代わり、
彼らが住んでるのはもう湖畔の回りでもないらしい。ともあれ、
「シベリア」の語源は蒙古のチンギス=ハーンの長子ジュチの系統である
シビル=ハーン(古代クシャナ朝にあやかってハッハッハッ・クシャン=ハーンともいう)
の治める土地の都「シビル」が、ルースキィによって「シビーリ」となったのである。
けっして、寒いから「シビァレルナィ」と言ったのではない。ときに、
どこかで誰かがシベリウスの「2番交」の録音物について宣ってるのを見たことがある。
主楽章の「遅い」テンポを賞賛し、
「シベリウスはこのように演奏されたかったにちがいない」
みたいなことを高らかにうたってたことである。付点2分音符=60くらいである。が、
そんなテンポでやったら、デフォルメされた「サン=サーンスの亀」である。
それを「オリジナル」などと言われでもしたら、
オッフェンバックはカンカンにお怒りになるにちがいない。
シベリウスは友人ロベルト・カヤーヌスが指揮する演奏のテンポをほぼよしとしてた、
のだそうである。であるからして、そんなグズグズ・テンポで演奏させる邪悪な指揮者が、
シベリ臼光線を浴びせられて地球上から退治されでもしたらかわいそうである。
それはそうと、おとといの中山競馬の新馬戦には、星野忍厩舎から、
「シベリウス号」という2歳牡馬が出走してたようである。単勝3番人気ながら、
結果は9着と振るわなかったようであるが、馬主の沼尻惇子女史は
シベリウス好きなのかもしれない。なほ、当日は中秋、満月が見えてたことである。
なほ北に、行く汽車停まり、夏の月。
月を見ずのシベリア超特急にはシートが固くてゴトゴトゴトーする五等車も、
反対に、リクライニング附きシートのみどりのグリーン車もなかったろうし、
いずれにしてもシベリウスが乗ったことはなかろうと思われる。
エレキギターの巻、カラテの巻、JR東日本宣伝活動の巻、バイリンガルの巻、
という5巻のセンスでガンバってるのである。が、箸はまともに持てないようである。
9月20日は、「ロマの調べ」で知られるパーブロ・デ・サラサーテと、
「アイノ・ウタ」で知られるアラ・ヤンネ・オツム・スィべリウスの命日である。
かたやvnの名手であり、いっぽうはvn奏者になりたくてもなれなかったくちである。
が、残された録音で聴くかぎりでは、サラサーテ自演の「ロマの調べ」はトホホである。
ちなみに、vnをガンバに挟んで弾く私は、カタアテよりも膝小僧のサラアテが大事である。
それはともかく、シベリウスはスウェーデン語を話す階級に生まれた(父は医師)が、
スウェーデン系ながらもフィンランド語派であるイェルネフェルト将軍の娘と結婚した。
スエーデン食わぬは男の恥である。といっても、淫蕩にふけるわけではない。
シベリウスは33歳のときに咽頭腫瘍の摘出手術を受けた。
悪性ではないか、転移、再発はないか、と不安にかられる毎日だったらしい。そして、
結果は予後良好。脚気は米糠が不足して起きると見抜いた鈴木梅太郎博士である。
ともあれ、やっと気を持ち直して書いたのが「5番交響曲」だそうである。
「シベ5(変ホ長)」(第3稿決定稿)の冒頭は、ホルン群が、
♪(ドーー・ー……)(<ソー・ーーー・ーーー|ーー……<)
【ド・<レ<ソー・>ミー>ド・<レーー(フェルマータ)】♪
という一節を吹き出すのである。これは、ベルリオーズの「幻想」緩徐章の
イングリッシュ・ホルン(とオーボエの応答)による、
♪【○ドー・<レッ<ソー|>ミッ>ソー・<ラーー(フェルマータ)】♪
の引用である。愛の相方がいる幸せ者ながら、人間、結局は
孤独と不安にさいなまれるちっぽけな存在でしかないのである。
全知全能の神の前にはただただヒレ伏すしかないのである。いずれにしても、
シベリウスといえば、やはり「フィンランディア」である。
この曲にはギョっとするような感動があるのである。ときに、
フィンランドのフィンfinnはヒレのfin、suomiは鱗、だそうである。
ちなみに、ラップ人はサーメというらしい。神部としえはイルカというようである。
ところで、スィベリウスとはまた北欧ではフィンランド人にしても何にしても、
ストラディヴァリウスみないな、ちょっとめずらしいラテン的な名である。
よもや、「シベリア」と関係があるのではあるまい。ちなみに、
現在の「フィンランド人」に蒙古斑はほとんど出ないそうである。その代わり、
彼らが住んでるのはもう湖畔の回りでもないらしい。ともあれ、
「シベリア」の語源は蒙古のチンギス=ハーンの長子ジュチの系統である
シビル=ハーン(古代クシャナ朝にあやかってハッハッハッ・クシャン=ハーンともいう)
の治める土地の都「シビル」が、ルースキィによって「シビーリ」となったのである。
けっして、寒いから「シビァレルナィ」と言ったのではない。ときに、
どこかで誰かがシベリウスの「2番交」の録音物について宣ってるのを見たことがある。
主楽章の「遅い」テンポを賞賛し、
「シベリウスはこのように演奏されたかったにちがいない」
みたいなことを高らかにうたってたことである。付点2分音符=60くらいである。が、
そんなテンポでやったら、デフォルメされた「サン=サーンスの亀」である。
それを「オリジナル」などと言われでもしたら、
オッフェンバックはカンカンにお怒りになるにちがいない。
シベリウスは友人ロベルト・カヤーヌスが指揮する演奏のテンポをほぼよしとしてた、
のだそうである。であるからして、そんなグズグズ・テンポで演奏させる邪悪な指揮者が、
シベリ臼光線を浴びせられて地球上から退治されでもしたらかわいそうである。
それはそうと、おとといの中山競馬の新馬戦には、星野忍厩舎から、
「シベリウス号」という2歳牡馬が出走してたようである。単勝3番人気ながら、
結果は9着と振るわなかったようであるが、馬主の沼尻惇子女史は
シベリウス好きなのかもしれない。なほ、当日は中秋、満月が見えてたことである。
なほ北に、行く汽車停まり、夏の月。
月を見ずのシベリア超特急にはシートが固くてゴトゴトゴトーする五等車も、
反対に、リクライニング附きシートのみどりのグリーン車もなかったろうし、
いずれにしてもシベリウスが乗ったことはなかろうと思われる。
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