コリニーによれば、ケルトの暦は太陰太陽暦で、
[5年*12月+2閏月=62月]
を1サイクルとしてたらしい。
1月から6月までが暗い半年、7月から12月までが明るい半年、という2季節制で、
3年目の6月(秋分がある月)と5年目の12月(春分がある月)に閏月が入る。
40年に一度、閏月を入れない。その
1月は現在のグレゴリオ暦で10月末から11月初にあたる。その時期が、
「サーウィン(Samhain)祭」→ハロウィンである。このとき、
ケルト人(アイルランド、スコットランド、ウェイルズ、フランスのブルターニュ)は、
かがり火を焚いてその火を火だねとして各家庭の炉を灯し、
集落の一体感を確認したという。その
かがり火にはした牛の骨を投げ入れた。それで、
英語でかがり火のことを"bonfire"というのである。
ボンと正月がいっしょにやってきたようなものである。
向井理と谷原章介と石田純一の口元が完璧には区別できない拙脳で、
ボンな能しかない私はかがり火で煎餅を焼くことしかできない。が、
年末から新年初めにかけて、煎餅焼きをウダウダと進めるカメではなく、
「いつでもできるさ」と寝て怠けてフサギこんでるウサギである。そんなとき、
「今年は干支では何年?]
というクイズが出されたとしたら、私の解答アルセーヌ・ラパンは、
「卯年」である。
中山正実作「阿騎野の朝」(昭和15年=西暦1940年制作)は、
橿原神宮外苑の大和国史舘の壁画として依嘱された。現在は、
奈良県宇陀市の中央公民館の大ホールに飾られてるという。宇陀はかつて、
「菟」田と書いた。野ウサギがいっぱい棲息してたのだろう。
その菟田(ウダ)の阿騎野(アキノ)とは、大和朝廷の御狩場のひとつだった。
持統女帝の御世に、その孫のカルの皇子(=当時10歳、のちの文武天皇)が、
そこで狩を行ったとされる。柿本人麻呂が随行してた。
そのとき詠んだとされる一首が、いまとなっては
人麻呂のもっとも有名な歌である。
[軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌](万葉集巻1-0045乃至0049)
スィークェンスの中の反歌のひとつ0048、
[東野炎立所見而反見為者月西渡]
(一般的な読み下し=
江戸時代中期、賀茂真淵によってそれまでの読み下しから読み替えられたもの=
ひむかしの、のにかぎろひの、たつみえて、かへりみすれば、つきかたぶきぬ)
「その場合の大意=
東の野に曙光が立つのが見えて、振り返って見ると、月が西に傾いてた」
曙光(ショコウ)とは、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の主役舞踊手
Aurore(オロル、=英語のAurora)姫の名の意味である。
全体としてはそれほど間違った「解釈」でもないのだろうとは思う。が、
万葉仮名「炎」に関しては、いただけない。
たとえそれが「曙光」の類であれ、光という主体に対して
「立つ」
という述部はきわめて不自然である。
光が立つ、なんて、古今東西、見たことがない。
波動説派からも粒子説派からも聞いたことがない、
光は「射す」ものである。「常識的」には。いっぽう、
「立つ」という用言の主体として相応しいのは、
「煙」「炎」「陽炎(カゲロウ)」といったグループである。
マブチが主張するように、はたして
「曙光」の類だろうか。実際、
マブチ説が打ち立てられるまでは、0048番歌は、
「あづまのの、けぶりのたてる、ところみて、かえりみすれば、つきかたぶきぬ」
と読み下されてた。「煙」である。
中山正実の「阿騎野の朝」は、
上記の軽皇子の阿騎野での狩を想像して描いたものである。
制作にあたって、中山はその時期・時間にこだわった。
東京天文台にその調査を依頼したのである。そして、
実地検証がなされた。結果、
持統6年(およそ西暦692年)11月17日午前5時50分、
と特定したという。たしかに、この日付は、
現在の暦では12月中旬から下旬になる。その時期の
奈良での日の出時刻は午前7時あたりなので、
「曙光」は午前6時くらいになる。いずれにしても、
我が国における陰暦の11月は
「冬」である。もっとも、そのことは、
0045の長歌の[夕去来者三雪落阿騎乃大野尓]=
「夕去り来れば、み雪降る、安騎の大野に」
という箇所でも判る。ともあれ、
その時期・時間の特定が正しいと仮定すれば、
「立つ」という用言の主体として相応しい
「煙」「炎」「陽炎(カゲロウ)」といったグループのうち、
「熱に起因する」もやもやとした空気の揺らぎから生じる
「陽炎(カゲロウ)」は、(現在の季節感覚でいう)春・夏のものであるので、
いの一番に外すことができる。
ここでちょっと、
はじかれてるべき「陽炎(カゲロウ)」についての話に逸れるが、
kagerohuのkage(kaga)は、
屈(カガ)めるのkagaである。
光の屈折現象を表す。したがって、
カガ見→鏡(かがみ)、である。
ヒトが見える鏡像は左右逆転するが、
「陽炎(カゲロウ)」とも表現された「蜃気楼」は、水嶋ヒロではなく
キム・ヒロによって天地逆転される寸又鏡である。また、
天橋立は体を屈めて股のぞきすると、逆さになった景色が
天に橋が架かったように見えるが、
クグると逆さになることから、朝鮮語でも、
逆さのことをコックロ(kokkuro)という。検索サイトで
ググルと出てくるはずである。
持統6年(およそ西暦692年)だろうが、
平成22年(およそ西暦2010年)だろうが、
旧暦換算の17日は、月齢16日乃至18日である。
旧暦16日は、いわゆる「立ち待ち月」である。
満月よりも出るのが遅いけど、でも、ちょっとだけだから、
立って待つ、という風流である。おしゃべりでもしてれば、
忽ち、出てくるというものである。そして、
望月からやや右側が欠けた月で、日没後まもなく昇り、
深夜にもっとも高い位置になり、そして、
太陽が昇ると西に沈んでく、のである。いっぽう、
月齢が17日あるいは18日だったとしても、
月は夜になって東の空に出て、未明にもっとも高い位置になり、
日の出前に西の空に移動(=月西渡)して、午前中に沈む。
だから、
万葉仮名「炎」がマブチ説「曙光」という意味でも、
充分に通じるのである。ただし、やはり
「立つ」が引っかかってしまう。とすると、
柿本人麻呂のお修辞ではないかと私は邪推してしまう。
「曙光」に見立てた「かがり火」を焚いてたのではないかと。
狩は春のものだから、この時期の狩はおかしいのではないか、
という考えがある。が、
冬だってウサギは野にいるし、実際、冬の狩もされてた。ただし、
この菟田という土地は、天皇家にとって重要な場所なのである。
東征に難儀したカンヤマトイワレヒコノミコト(=のちの神武天皇)が
八咫烏に導かれて大和国に入ってきたときに、
城を築いた場所なのである。タカミムスヒノミコトという
精霊が夢に現れて、敵地の土で瓦と御神酒を入れる器を作って
天神地祇を祀れといわれ、戦勝を祈願した。そのとおりにすると、
正夢となったのである。今年は、
皇紀2671年にあたる年である。
[5年*12月+2閏月=62月]
を1サイクルとしてたらしい。
1月から6月までが暗い半年、7月から12月までが明るい半年、という2季節制で、
3年目の6月(秋分がある月)と5年目の12月(春分がある月)に閏月が入る。
40年に一度、閏月を入れない。その
1月は現在のグレゴリオ暦で10月末から11月初にあたる。その時期が、
「サーウィン(Samhain)祭」→ハロウィンである。このとき、
ケルト人(アイルランド、スコットランド、ウェイルズ、フランスのブルターニュ)は、
かがり火を焚いてその火を火だねとして各家庭の炉を灯し、
集落の一体感を確認したという。その
かがり火にはした牛の骨を投げ入れた。それで、
英語でかがり火のことを"bonfire"というのである。
ボンと正月がいっしょにやってきたようなものである。
向井理と谷原章介と石田純一の口元が完璧には区別できない拙脳で、
ボンな能しかない私はかがり火で煎餅を焼くことしかできない。が、
年末から新年初めにかけて、煎餅焼きをウダウダと進めるカメではなく、
「いつでもできるさ」と寝て怠けてフサギこんでるウサギである。そんなとき、
「今年は干支では何年?]
というクイズが出されたとしたら、私の解答アルセーヌ・ラパンは、
「卯年」である。
中山正実作「阿騎野の朝」(昭和15年=西暦1940年制作)は、
橿原神宮外苑の大和国史舘の壁画として依嘱された。現在は、
奈良県宇陀市の中央公民館の大ホールに飾られてるという。宇陀はかつて、
「菟」田と書いた。野ウサギがいっぱい棲息してたのだろう。
その菟田(ウダ)の阿騎野(アキノ)とは、大和朝廷の御狩場のひとつだった。
持統女帝の御世に、その孫のカルの皇子(=当時10歳、のちの文武天皇)が、
そこで狩を行ったとされる。柿本人麻呂が随行してた。
そのとき詠んだとされる一首が、いまとなっては
人麻呂のもっとも有名な歌である。
[軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌](万葉集巻1-0045乃至0049)
スィークェンスの中の反歌のひとつ0048、
[東野炎立所見而反見為者月西渡]
(一般的な読み下し=
江戸時代中期、賀茂真淵によってそれまでの読み下しから読み替えられたもの=
ひむかしの、のにかぎろひの、たつみえて、かへりみすれば、つきかたぶきぬ)
「その場合の大意=
東の野に曙光が立つのが見えて、振り返って見ると、月が西に傾いてた」
曙光(ショコウ)とは、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の主役舞踊手
Aurore(オロル、=英語のAurora)姫の名の意味である。
全体としてはそれほど間違った「解釈」でもないのだろうとは思う。が、
万葉仮名「炎」に関しては、いただけない。
たとえそれが「曙光」の類であれ、光という主体に対して
「立つ」
という述部はきわめて不自然である。
光が立つ、なんて、古今東西、見たことがない。
波動説派からも粒子説派からも聞いたことがない、
光は「射す」ものである。「常識的」には。いっぽう、
「立つ」という用言の主体として相応しいのは、
「煙」「炎」「陽炎(カゲロウ)」といったグループである。
マブチが主張するように、はたして
「曙光」の類だろうか。実際、
マブチ説が打ち立てられるまでは、0048番歌は、
「あづまのの、けぶりのたてる、ところみて、かえりみすれば、つきかたぶきぬ」
と読み下されてた。「煙」である。
中山正実の「阿騎野の朝」は、
上記の軽皇子の阿騎野での狩を想像して描いたものである。
制作にあたって、中山はその時期・時間にこだわった。
東京天文台にその調査を依頼したのである。そして、
実地検証がなされた。結果、
持統6年(およそ西暦692年)11月17日午前5時50分、
と特定したという。たしかに、この日付は、
現在の暦では12月中旬から下旬になる。その時期の
奈良での日の出時刻は午前7時あたりなので、
「曙光」は午前6時くらいになる。いずれにしても、
我が国における陰暦の11月は
「冬」である。もっとも、そのことは、
0045の長歌の[夕去来者三雪落阿騎乃大野尓]=
「夕去り来れば、み雪降る、安騎の大野に」
という箇所でも判る。ともあれ、
その時期・時間の特定が正しいと仮定すれば、
「立つ」という用言の主体として相応しい
「煙」「炎」「陽炎(カゲロウ)」といったグループのうち、
「熱に起因する」もやもやとした空気の揺らぎから生じる
「陽炎(カゲロウ)」は、(現在の季節感覚でいう)春・夏のものであるので、
いの一番に外すことができる。
ここでちょっと、
はじかれてるべき「陽炎(カゲロウ)」についての話に逸れるが、
kagerohuのkage(kaga)は、
屈(カガ)めるのkagaである。
光の屈折現象を表す。したがって、
カガ見→鏡(かがみ)、である。
ヒトが見える鏡像は左右逆転するが、
「陽炎(カゲロウ)」とも表現された「蜃気楼」は、水嶋ヒロではなく
キム・ヒロによって天地逆転される寸又鏡である。また、
天橋立は体を屈めて股のぞきすると、逆さになった景色が
天に橋が架かったように見えるが、
クグると逆さになることから、朝鮮語でも、
逆さのことをコックロ(kokkuro)という。検索サイトで
ググルと出てくるはずである。
持統6年(およそ西暦692年)だろうが、
平成22年(およそ西暦2010年)だろうが、
旧暦換算の17日は、月齢16日乃至18日である。
旧暦16日は、いわゆる「立ち待ち月」である。
満月よりも出るのが遅いけど、でも、ちょっとだけだから、
立って待つ、という風流である。おしゃべりでもしてれば、
忽ち、出てくるというものである。そして、
望月からやや右側が欠けた月で、日没後まもなく昇り、
深夜にもっとも高い位置になり、そして、
太陽が昇ると西に沈んでく、のである。いっぽう、
月齢が17日あるいは18日だったとしても、
月は夜になって東の空に出て、未明にもっとも高い位置になり、
日の出前に西の空に移動(=月西渡)して、午前中に沈む。
だから、
万葉仮名「炎」がマブチ説「曙光」という意味でも、
充分に通じるのである。ただし、やはり
「立つ」が引っかかってしまう。とすると、
柿本人麻呂のお修辞ではないかと私は邪推してしまう。
「曙光」に見立てた「かがり火」を焚いてたのではないかと。
狩は春のものだから、この時期の狩はおかしいのではないか、
という考えがある。が、
冬だってウサギは野にいるし、実際、冬の狩もされてた。ただし、
この菟田という土地は、天皇家にとって重要な場所なのである。
東征に難儀したカンヤマトイワレヒコノミコト(=のちの神武天皇)が
八咫烏に導かれて大和国に入ってきたときに、
城を築いた場所なのである。タカミムスヒノミコトという
精霊が夢に現れて、敵地の土で瓦と御神酒を入れる器を作って
天神地祇を祀れといわれ、戦勝を祈願した。そのとおりにすると、
正夢となったのである。今年は、
皇紀2671年にあたる年である。
地獄の扉を開いてしまった日本人(開かされてしまった?)=政権交代・民主党で日本人滅亡 外国人参政権反対
もう手遅れです。
民主党の外国人参政権が通るまでに、
自民党が今まで教えてくれた方法なり、
海外に亡命するなり、
日本人が生き延びるために、
おのおのの方法で生き延びてください
民主党で日本人滅亡 外国人参政権反対(旧外国人参政権反対【旧々日本愛国者】)
http://blog.goo.ne.jp/minshunihonjimetsugaijinsansei
人民の民主党による中華人民共和国のためのマエハラ政治(淋菅)