米国のTVドラマの脚本家以外に、私自身で見聞きできる
文化・知識や自分の想像力以上のものを
期待できないであろう現代作家の
小説を読もうとは思わない。そうはいっても、
生来のミーハーな性分ゆえに、ノーベル賞有力候補と
何度もマスコミが持ち上げる流行作家の新作発売に
徹夜で並んでる庶民の姿が報道されると、
我が低俗なる好奇心はおおいに刺激される。
村上春樹の新作、
「色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年」
が一般発売されて約2週間が経った。
ネットを見てみると、ネタバレを書いてくれてる人が
何人かいた。それらを読んだだけで
実際に本は手にしたこともないので、
トンチンカンなことを書くかもしれないが、
あらかじめ了承されたい。
主人公=多崎つくる(男)、は"色彩がない"のだそうだ。
同人の名古屋の公立高時の仲良し4人は、
赤松慶(あかまつ・けい)=アカ・男、
青海悦夫(おうみ・よしお)=アオ・男、
白根柚木(しらね・ゆずき)=シロ・女、
黒埜恵理(くろの・えり)=クロ・女、
という、それぞれに「色」を持ってるキャラだという。
警察が使う詐欺の種別を表す「赤、青、黒、白」という
符牒ではないようである。ちなみに、
多崎だけが"作"という名をことさらに
"ひらいて"る。
ともあれ、
この友人4人の"色キャラクター"は、米国の作家
Paul Auster(ポール・オースター、1947-)の「NY三部作」の一、
"Ghosts(邦題=幽霊たち、1986刊)"
のネタである、とネットで書いてるかたがいた。村上春樹はこの作家の
「オーギー・レンのクリスマス物語」を共同翻訳してるらしい。
いっぽう、村上春樹の後だしのほうは、
4人が青赤白黒ということであるから、
"風水"である。とすると、
多崎は本来"黄色"であるはずだった。
色の三原色と違って、"光の三原色(赤青緑)"では、
赤と緑を重ねると黄ができる。また、
赤青緑3つを合わせると一般には
"白色"になる、とされてるが、そのじつ
"無色"の光になるのである。小説の中では、
大学時代の多崎の知人となる
灰田文紹(はいだ・ふみあき)=男、の話の中に、
"緑川(みどりかわ)=男"という
ジャズピアニストが出てくるという。
黒埜女史は結婚してフィンランド暮らしという設定である。
フィンランドの国旗は雪を意味する白地に
湖を表す青のスカンディナヴィア十字である。だから、
クロへの土産を南「青」山の店に買いにいったのである。
青山というエリアも、関西圏出身の村上春樹には
異様に執着がある場所である。
ところで、
他の村上春樹作品と同様に、この新作でも
クラ音をフィーチャーしてるらしい。
フランツ・リスト(リスト・フェレンツ)のpf曲、
"Annees de pelerinage(アネ・ドゥ・ペルリナジュ=巡礼の年)"
第1年(全9曲)「スイス」の第8曲、
"Le mal du pays(ル・マル・デュ・ペイ=地域的な問題による不調
=ホームシック→郷愁)"(ホ短調)
である。「多崎」の出版が昨年だったら、
「グリム童話」初版第1巻が出てちょうど200年だったから、
グリム弟Willheim(ヴィルヘルム)にちなんでpilgrimならぬ
WillGrimm(ヴィルグリム)な年だったし、
一昨年だったらリスト生誕200年だったのだが。ともあれ、
リストといえば"黒衣"がトレイドマークであるが、この「郷愁」は
高校時にシロが弾いてて、大学時に多崎が灰田にタイトルを尋ねた曲である。
アルプスで死にたいという望郷の念にかられた音楽、
ということらしい。
[Lento(レント=物がグニャっとなるほど遅く)、4/4拍子、1♯(ホ短調)]
♪ラー・<ド<レ・・<ミー・ーー│>♯レー・<ミ>ド・・>ラー・ーー♪
ケルビーニの弦楽四重奏曲第4番(ホ長調)の第3楽章スケルツォ中間部の
強烈なユニゾン、
[Andantino con moto、3/4拍子、無調号(実質、ホ短調)]
♪ラ>♯ソ<ラ>ファ・>ミ<♯ソ<ラ<シ・<ド>【ラ<ド<レ│
<ミ>♯レ<ミ>ド・>ラ】<シ<ド<レ・<ミ<♯ファ<♯ソ<ラ♪
に内包されてる音型と「類似」ケルビーニしてるのである。
フランツ・リストは音ごとに色が見える"共感覚者"だったという。
凡人もいいところな非共感覚者の私には、ピアノの音は
黒鍵と白鍵の別しか判らない。そんな黒白だけの単調で、
中村晃子女史が歌った「虹色の湖」のような七色の光を放つこともない、
ピンクレディの「UFO」のような未確認飛行物体との遭遇もない、
銀色のはるかな道な鴻紋軌道のレイル跡の水たまりに月の光も映らない、
リストの「霊感ヤマカン第六感」が閃かなかった駄作である。
(この「ル・マル・デュ・ペイ(邦題=郷愁)」の冒頭18小節を、
25日に亡くなったバタヤンのように、キーを換えずにホ短調で
アカペラの混声合唱ヴォカリーズにアレンジしたものを、
http://twitsound.jp/musics/tsCzUsO6o
にアップしておきました)
Alps(アルプス)という語はラテン語の形容詞
albus(アルブス=白い)が語源である。だから、
シロは「ル・マル・デュ・ペイ」を好んで弾いてた、という仕掛けなのである。
というわけで、こうしたプロットはバイロンの二番煎じである。ともあれ、
これでまた、ジャズ好きなクラ音ファンという層の人々が好むレヴェルの
演奏者であるベルマンとかブレンデルといった、
音楽センスに欠けてたのに生前やたらもてはやされた"ピアニスト"がまた
"亡霊"のように蘇って、音楽のオの字も解らない
読者たちに聴かれることになるのだろう。
余談だが、
緑川がピアノの上に置いた袋の中身と推測される
"6本めの指"というネタであるが、村上春樹が
"新訳"を出した「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」の作者
J.D.サリンジャーは……真偽のほどは定かでないが……
右手指が"6本"の"多指症"だったと言われてる。ここに、
村上春樹のサリンジャーに対する異様なまでの執着が窺われる。
"現在"、多崎は36歳。リストが上記ピアノ曲を仕上げたのは
1836年のことである。ともあれ、多崎は38歳の
"木元沙羅(きもと・さら)=女"と交際してるようである。
沙羅双樹は常「緑」の木である。そして、その5枚の花弁は
銭の花の色のように清らかに「白い」。が、
花弁の"中心"にある雄しべは
「黄色」をしてるのである。つまり、
木元女史とめでたく"結婚"できれば、
多崎は本来の「黄」と合体できるが、
結ばれなければ死を迎えるかまたは
死んだも同然にただ無為に行きつづけるか、
ということなのだろう。
さて、
「多崎」というキャラ名であるが、
tazaki(多崎)の崎は「saki→sai」とイ音便化することもある。
彩の国・埼玉(サキタマ→サイタマ)のように。ここで、
「多彩(tasai)」にイ音便化の逆行を施せば、
tasai→tasaki(→tazaki)となる。リストの「巡礼の年」のタイトル他は
フランス語で記されてる。このことにあわせて
フランス語を持ちだして、文法的な正誤はともかくも、
tout(すべての) couleurs(色)を単純に繋げると、
tout couleurs(トゥクルフ→トゥクルァ→トゥクル→ツクル)となるのである。
本当はtoutes les couleurs(トゥテ・レ・クルァ)であるが。
また、
「多崎」を清音化してローマ字表記すると、
"tasaki"である。母音を省略すると、
"tsk(ティスク)"である。これは、英語のスラングで、
「舌打ち」を意味するのである。
多崎がアラフォーで出会った女性の名である
沙羅(サラ)は、西欧ではSarahであり、
月に代わってお仕置きはしないかもしれないが、
"女王"を意味する。クロが移住したフィンランドでは、
sarastus(サラストス)という名詞は「夜明け」を意味する。
Jukka-Pekka Saraste(ユッカ=ペッカ・サラステ)という
フィンランド人クラ音指揮者のSarasteというサーネイムも
それから派生した語である。ともあれ、
"木元"は前述したように"黄元"と解するのがこの小説の
"肝と"思われる。このようなものに
40歳以下の多くの読者が熱狂するのだから、
大衆小説もそれなりに世の役に立ってるのだろう。ただ、
そういう類のものは一歩間違えると
"洗脳"という段階に進んでしまう。
オウムに入信してテロ犯罪を犯した者どものように。
識字者なら特段の能力・技術も要らずに書くことができて、
詠む側も識字者でさえあれば安易に接することができる
小説というものも芸術作品のはしくれであるとしたら、
大衆受けする時点でその小説なる代物はすでに
商業主義の歯車でしかない。昨年の
民主党野田政権末期に日本の領土である尖閣諸島の件で
中国様を怒らせたことで、日本人作家の本が
中国様の書店から撤去されたことがあった。そのとき、
流行作家村上春樹はウソツキジデス反日史観新聞に、
自分の本の売れ行きが落ちるのではないか、なかんづく、
ノーベル文学賞受賞に影響が出るのではないか、
という懸念を包み隠すべく、
<文化交流に影響を及ぼす>
という偽善をタテマエにして、真っ当な愛国者をなじる
<領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」>
というタイトルの声明文を"特別寄稿"した。
背伸びした中学生レヴェルの、事実をはきちがえたお寒い内容である。
人口が飛び抜けて多い中国様のような国家は、このような
商業主義作家にとって最重要"ターゲット"なのである。
やだ、やだ。あー、やだ。
文化・知識や自分の想像力以上のものを
期待できないであろう現代作家の
小説を読もうとは思わない。そうはいっても、
生来のミーハーな性分ゆえに、ノーベル賞有力候補と
何度もマスコミが持ち上げる流行作家の新作発売に
徹夜で並んでる庶民の姿が報道されると、
我が低俗なる好奇心はおおいに刺激される。
村上春樹の新作、
「色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年」
が一般発売されて約2週間が経った。
ネットを見てみると、ネタバレを書いてくれてる人が
何人かいた。それらを読んだだけで
実際に本は手にしたこともないので、
トンチンカンなことを書くかもしれないが、
あらかじめ了承されたい。
主人公=多崎つくる(男)、は"色彩がない"のだそうだ。
同人の名古屋の公立高時の仲良し4人は、
赤松慶(あかまつ・けい)=アカ・男、
青海悦夫(おうみ・よしお)=アオ・男、
白根柚木(しらね・ゆずき)=シロ・女、
黒埜恵理(くろの・えり)=クロ・女、
という、それぞれに「色」を持ってるキャラだという。
警察が使う詐欺の種別を表す「赤、青、黒、白」という
符牒ではないようである。ちなみに、
多崎だけが"作"という名をことさらに
"ひらいて"る。
ともあれ、
この友人4人の"色キャラクター"は、米国の作家
Paul Auster(ポール・オースター、1947-)の「NY三部作」の一、
"Ghosts(邦題=幽霊たち、1986刊)"
のネタである、とネットで書いてるかたがいた。村上春樹はこの作家の
「オーギー・レンのクリスマス物語」を共同翻訳してるらしい。
いっぽう、村上春樹の後だしのほうは、
4人が青赤白黒ということであるから、
"風水"である。とすると、
多崎は本来"黄色"であるはずだった。
色の三原色と違って、"光の三原色(赤青緑)"では、
赤と緑を重ねると黄ができる。また、
赤青緑3つを合わせると一般には
"白色"になる、とされてるが、そのじつ
"無色"の光になるのである。小説の中では、
大学時代の多崎の知人となる
灰田文紹(はいだ・ふみあき)=男、の話の中に、
"緑川(みどりかわ)=男"という
ジャズピアニストが出てくるという。
黒埜女史は結婚してフィンランド暮らしという設定である。
フィンランドの国旗は雪を意味する白地に
湖を表す青のスカンディナヴィア十字である。だから、
クロへの土産を南「青」山の店に買いにいったのである。
青山というエリアも、関西圏出身の村上春樹には
異様に執着がある場所である。
ところで、
他の村上春樹作品と同様に、この新作でも
クラ音をフィーチャーしてるらしい。
フランツ・リスト(リスト・フェレンツ)のpf曲、
"Annees de pelerinage(アネ・ドゥ・ペルリナジュ=巡礼の年)"
第1年(全9曲)「スイス」の第8曲、
"Le mal du pays(ル・マル・デュ・ペイ=地域的な問題による不調
=ホームシック→郷愁)"(ホ短調)
である。「多崎」の出版が昨年だったら、
「グリム童話」初版第1巻が出てちょうど200年だったから、
グリム弟Willheim(ヴィルヘルム)にちなんでpilgrimならぬ
WillGrimm(ヴィルグリム)な年だったし、
一昨年だったらリスト生誕200年だったのだが。ともあれ、
リストといえば"黒衣"がトレイドマークであるが、この「郷愁」は
高校時にシロが弾いてて、大学時に多崎が灰田にタイトルを尋ねた曲である。
アルプスで死にたいという望郷の念にかられた音楽、
ということらしい。
[Lento(レント=物がグニャっとなるほど遅く)、4/4拍子、1♯(ホ短調)]
♪ラー・<ド<レ・・<ミー・ーー│>♯レー・<ミ>ド・・>ラー・ーー♪
ケルビーニの弦楽四重奏曲第4番(ホ長調)の第3楽章スケルツォ中間部の
強烈なユニゾン、
[Andantino con moto、3/4拍子、無調号(実質、ホ短調)]
♪ラ>♯ソ<ラ>ファ・>ミ<♯ソ<ラ<シ・<ド>【ラ<ド<レ│
<ミ>♯レ<ミ>ド・>ラ】<シ<ド<レ・<ミ<♯ファ<♯ソ<ラ♪
に内包されてる音型と「類似」ケルビーニしてるのである。
フランツ・リストは音ごとに色が見える"共感覚者"だったという。
凡人もいいところな非共感覚者の私には、ピアノの音は
黒鍵と白鍵の別しか判らない。そんな黒白だけの単調で、
中村晃子女史が歌った「虹色の湖」のような七色の光を放つこともない、
ピンクレディの「UFO」のような未確認飛行物体との遭遇もない、
銀色のはるかな道な鴻紋軌道のレイル跡の水たまりに月の光も映らない、
リストの「霊感ヤマカン第六感」が閃かなかった駄作である。
(この「ル・マル・デュ・ペイ(邦題=郷愁)」の冒頭18小節を、
25日に亡くなったバタヤンのように、キーを換えずにホ短調で
アカペラの混声合唱ヴォカリーズにアレンジしたものを、
http://twitsound.jp/musics/tsCzUsO6o
にアップしておきました)
Alps(アルプス)という語はラテン語の形容詞
albus(アルブス=白い)が語源である。だから、
シロは「ル・マル・デュ・ペイ」を好んで弾いてた、という仕掛けなのである。
というわけで、こうしたプロットはバイロンの二番煎じである。ともあれ、
これでまた、ジャズ好きなクラ音ファンという層の人々が好むレヴェルの
演奏者であるベルマンとかブレンデルといった、
音楽センスに欠けてたのに生前やたらもてはやされた"ピアニスト"がまた
"亡霊"のように蘇って、音楽のオの字も解らない
読者たちに聴かれることになるのだろう。
余談だが、
緑川がピアノの上に置いた袋の中身と推測される
"6本めの指"というネタであるが、村上春樹が
"新訳"を出した「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」の作者
J.D.サリンジャーは……真偽のほどは定かでないが……
右手指が"6本"の"多指症"だったと言われてる。ここに、
村上春樹のサリンジャーに対する異様なまでの執着が窺われる。
"現在"、多崎は36歳。リストが上記ピアノ曲を仕上げたのは
1836年のことである。ともあれ、多崎は38歳の
"木元沙羅(きもと・さら)=女"と交際してるようである。
沙羅双樹は常「緑」の木である。そして、その5枚の花弁は
銭の花の色のように清らかに「白い」。が、
花弁の"中心"にある雄しべは
「黄色」をしてるのである。つまり、
木元女史とめでたく"結婚"できれば、
多崎は本来の「黄」と合体できるが、
結ばれなければ死を迎えるかまたは
死んだも同然にただ無為に行きつづけるか、
ということなのだろう。
さて、
「多崎」というキャラ名であるが、
tazaki(多崎)の崎は「saki→sai」とイ音便化することもある。
彩の国・埼玉(サキタマ→サイタマ)のように。ここで、
「多彩(tasai)」にイ音便化の逆行を施せば、
tasai→tasaki(→tazaki)となる。リストの「巡礼の年」のタイトル他は
フランス語で記されてる。このことにあわせて
フランス語を持ちだして、文法的な正誤はともかくも、
tout(すべての) couleurs(色)を単純に繋げると、
tout couleurs(トゥクルフ→トゥクルァ→トゥクル→ツクル)となるのである。
本当はtoutes les couleurs(トゥテ・レ・クルァ)であるが。
また、
「多崎」を清音化してローマ字表記すると、
"tasaki"である。母音を省略すると、
"tsk(ティスク)"である。これは、英語のスラングで、
「舌打ち」を意味するのである。
多崎がアラフォーで出会った女性の名である
沙羅(サラ)は、西欧ではSarahであり、
月に代わってお仕置きはしないかもしれないが、
"女王"を意味する。クロが移住したフィンランドでは、
sarastus(サラストス)という名詞は「夜明け」を意味する。
Jukka-Pekka Saraste(ユッカ=ペッカ・サラステ)という
フィンランド人クラ音指揮者のSarasteというサーネイムも
それから派生した語である。ともあれ、
"木元"は前述したように"黄元"と解するのがこの小説の
"肝と"思われる。このようなものに
40歳以下の多くの読者が熱狂するのだから、
大衆小説もそれなりに世の役に立ってるのだろう。ただ、
そういう類のものは一歩間違えると
"洗脳"という段階に進んでしまう。
オウムに入信してテロ犯罪を犯した者どものように。
識字者なら特段の能力・技術も要らずに書くことができて、
詠む側も識字者でさえあれば安易に接することができる
小説というものも芸術作品のはしくれであるとしたら、
大衆受けする時点でその小説なる代物はすでに
商業主義の歯車でしかない。昨年の
民主党野田政権末期に日本の領土である尖閣諸島の件で
中国様を怒らせたことで、日本人作家の本が
中国様の書店から撤去されたことがあった。そのとき、
流行作家村上春樹はウソツキジデス反日史観新聞に、
自分の本の売れ行きが落ちるのではないか、なかんづく、
ノーベル文学賞受賞に影響が出るのではないか、
という懸念を包み隠すべく、
<文化交流に影響を及ぼす>
という偽善をタテマエにして、真っ当な愛国者をなじる
<領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」>
というタイトルの声明文を"特別寄稿"した。
背伸びした中学生レヴェルの、事実をはきちがえたお寒い内容である。
人口が飛び抜けて多い中国様のような国家は、このような
商業主義作家にとって最重要"ターゲット"なのである。
やだ、やだ。あー、やだ。
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