単価が低くて稼ぎの薄い私は今連休も煎餅焼きの一環で
関西方面に来てる。昼はどしゃぶりの雨に見舞われ、
ヘロヘロになってホテルに投宿して関西系のTVをつけて関西系の番組をみてたら、
昔の知り合いのタレントのおねえさんが出演してて笑ってしまった。というのは、
つい先日、東京で何年かぶりにばったり会って互いに急いでて
とりあえず月末に食事をする約束だけをして別れたので、
関西での仕事をしてるとは知らなかったからである。
山田というのは全国的に多い名字ではあるが、
大阪を中心に関西に特に多い。ところで、
文化庁が毎年行ってる国語に関する調査を、今年は
16歳以上の男女およそ3500人を対象に実施した結果が
先日発表された。今回の設問に、
[雨模様]の意味を尋ねるものがあって、
正解の"雨が降りそうな様子"と回答した人は43%だったのに対して、
本来の意味ではない"小雨が降ったりやんだりしている様子"
と回答した人は47%だったとのことである。しかも、
おそらくは選択式の回答だろうから、選択肢を与えられなかったら、
"正解率"はもっと低かったはずである。いずれにしても、
今日の関西方面の天気を言い表すのに、
[雨模様]は[的を射て]もないし[的を得て]もない。ともあれ、
この調査結果を日テレの「スッキリ」でも紹介してた。そこで、
テリー伊藤が亡くなった金田一(テリーは春彦という名が出なかった)さんが
言葉は変化するものだから間違った意味が多数に認識されてそれが
まかり通ったとしてもそれでいいと言ってたという旨のコメントをしてた。
山田耕筰は歌を作るにあたって歌詞の日本語の(高低)アクセントに
"忠実"な曲づけにこだわった、といわれてる。だから、
♪ゆ<う・やー・ー<け│<こ<や・<け>ー・>のー│
<あ>か・とー・<んー│<ぼー・ーー・ーー♪
という節回しにしたのだという。この箇所の
(すべてを網羅するのは厄介なので初めの2句だけ取り出すと)
歌詞のmoraごとに区切った高低アクセントが、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→or↓の、(↓or→)あ↑か→と↓ん→ぼ]
であれ、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→の、(↑)あ↓か→と→ん→ぼ]
であれ、
当然ながら完全に一致することはない。そもそも、
日本の(近代)詩には欧米の詩歌のような
押韻も雙葉も女子学院も豊島岡女子も慶應女子も愛国も蒲田女子もない。
そういう詩にアクセントの整合性をくっつけようとしても、土台それは
ナンセンスというものである。
他の歌謡歌手と違って音楽学校を出てて、表では
クラシックのバリトンとしても歌ってたことを鼻にかけてた藤山一郎は
岡晴夫と双璧をなす音程が非常に悪い歌謡歌手だったが、この人物は
"日本語のアクセント"に山田耕筰以上にこだわったらしい。
NHKの紅白歌合戦の終幕の「蛍の光」を指揮してたが、そのとき、
歌の初めの[ほー<たーー→る→のー]という箇所だけを
けっして歌わなかったという。
[蛍]は[ほ↓た→る]であるから[ほ↑た→る]という
音のつながりが許せなかったとのことである。が、
同人が歌ってヒットした歌謡曲には、たとえば、
長崎の鐘が[なー↓るーーー]と平気な面で歌ってたし、
他にも無数に同様の例がある。さらには、
てめえが"作曲"した「ラジオ体操の歌」では、
♪あたらしい朝が[きた]♪の[きた]を
[ド<レ]とあててる。が、それでは、
[き↑た]となって[来た(き↓た)」ではない。
[胸(2度出てきてそのどちらも)]も[大空]も[健やかな]も[風]も、
間違い。1番の歌詞だけでもこれだけの瑕疵だらけの体たらくである。
さて、
[あかとんぼ]という語に対して、山田耕筰の弟子の
團伊玖磨がアクセントが身についてないとイチャモンをつけた話は
さかんに語られてる。茅ヶ崎に住んでたこともある
山田耕筰の[こうさく]と鎌倉に住んでた團伊玖磨の[だん]を併せて
"作曲"時のペンネイムにしたのが加山雄三であるが、
桑田佳祐は[やまだいくま]という名は使わなかった。それはさておき、
山田耕筰の「赤とんぼ」
[作曲当時の東京でのアクセントは"あ↓か→と→ん→ぼ"だった]
というオチで決着されてる。池田弥三郎も古今亭志ん生も
[あ]が高いアクセントで話してた、ということである。ゆえに、
[あ]が[ラ]で、つづく[か]がそれより長6度低い[ド]、
と山田耕筰は"作曲"したのだそうである。
高い[ド]でも西永福でも桜上水でも、
[シ]も高い[ド]でも明大前でも、序奏とアレグロでもないのだという。
山田の「赤とんぼ」はそういう理屈で
"1番"の歌詞は"正しい"日本語のアクセントに従ってる、
と裏づけされたという。が、所詮、
"2番"以降はもともとの語が違うアクセントを持ってる詩なので、
アクセントに合わせるなどということ自体、
それほどの意味を持たない。
山田耕筰は指揮の弟子である近衛文麿と大正14年に、
「日本交響楽協会」を設立した。が、
現在でも文化庁からの補助金を
複数のオペラ団体が不正に請求した問題が露見したように、
こういう団体や協会では横領が発生しやすい。
山田は寄席のトリのごとく儲けを占し、
多数の楽員にはその一部を山分けさせたことで団員の怒りを買い、
追い出されてしまったという。その結果、
山田は借金を負い、都落ちして茅ヶ崎に居を構えた。そして、
オケの仕事がなくなって、それまでバカにしてた
「童謡」であったが、北原白秋の童謡詩の人気に目をつけた。
東京までの往復で利用してた湘南電車で揺られながら、
山田は童謡の曲付けにハゲんだという。すでに作られてる
童謡詩に曲をつけるのであるから、現在の、
まず曲ができててそれに売れっ子作詞家の大先生が歌詞をつけるのか、
歌詞に歌謡歌作曲家の大家があとから曲をあてるのか、
どっチガサキかという問題はなかった。いずれにせよ、
横須賀線のグリーン車内でラップトップを開いて仕事をしてる
現在の会社員とまったく同じ風情である。
[あ↓か→と→ん→ぼ]
というアクセントは本当に当時の東京の"主流"だったのだろうか。
現に山田と同じく東京生まれの團伊玖磨が
上記のアクセントがおかしいと詰め寄ったのは、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]
というアクセントが当然だと思ってたという証左である。
山田が「赤とんぼ」を"作曲"したのは、
昭和2年(1927年)のことである。團伊玖磨3歳のときである。
アクセントは子供のうちから身につく。だから、
山田が"作曲"した1927年には[あ↓か→と→ん→ぼ]だったアクセントが、
團が少年期の1930年代に入って突然、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]にヤゴのように不完全変態したとしか
説明がつかない。ここ20年の関西芸人東京進出で、
東京アクセントが関西アクセントに替わってった例は多い。
昭和までは[二月]は東京では[に↑が→つ]だったが、
現在では東京生まれの若者も[に↓が→つ]と何の疑いもなく言う。が、
昭和初期にそのような要因はなかった。
ところで、
[あかとんぼ]という語は[赤]と[蜻蛉]の複合語である。
複合された当初はそれぞれに原型の姿が主張されがちで、それが
やがて自然の流れで全体で一語だったかのようなアクセントに様変わりする。
NHKのアナウンサーが平成初期までこだわってた
[甲子園(こ↑う→し↓え→ん)]+[球場(きゅ→う→じょ→う)]
→
[こ↑う→し↓え→ん、→きゅ→う→じょ→う)]
も、現在では、
[こ↑う→し→え→ん→きゅ↓う→じょ→う)]
と元から一語だったかのように発音されてる。こういう原理でいえば、
[(東京)あ↓か/(関西)あ↑か]と
[(東京)と↑ん→ぼ/(関西)と↓ん→ぼ]が合わさって、
[(東京)あ↓か→と↑ん→ぼ]
[(関西)あ↑か→と↓ん→ぼ]
だったはずである、初めのうちは。それが自然の流れにしたがって、
あるいは関西系が優位に立って、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]に不完全変態したことになる。が、
言葉というのはそういう単純なものでもない。それより、もともと、
東京でもどちらも言われてたものだと推察できる。
子供の言葉のアクセントは昔は母親、学校の教師、級友の影響を受けた。
現在ではtvの影響がほとんどである。だから、
関西系芸人が主流のヴァラエティ番組での影響が
ほとんど全国の子供のアクセントを形成する。それから、
昔から首都の言葉はそこに流入してくる地方人の言葉が
とってかわることが少なくない。それは、
地方の"バルバロイな(ききなれない)"新しさをもたらし、
若者の間に浸透するからである。
東京や大阪(一部はそのかぎりではない)で主流だった
語頭以外のガ行鼻濁音が、
芸能事務所やレコード会社のプロデューサーによるレッスンや矯正を受けなかった
井上陽水、チューリップ、武田鉄矢、郷ひろみ、
松田聖子女史、坂井泉水女史、浜崎あゆみ女史
ら、福岡地方出身または福岡地方出身の親を持つ歌謡歌手、そして、
東京出身ながら八王子という、
埼玉や北関東あたりからの非鼻濁音区域の女子が
婚姻などで流入する地区で育った荒井由実女史の影響で、現在は
全国的に語頭以外のガ行も普通に非鼻濁音で発音されるようになった。
"美しい日本語"などという観念を私は抱かないが、
語頭以外のガ行非鼻濁音は歌謡曲に限らず、
TVのタレントやリポーターの言葉でも極めて粗野な響きに聞こえる。といっても、
三木露風とミッキー・ロークを聞き違えてネコパンチをかわせない程度の
拙脳なる私が感じることにすぎない。
関西方面に来てる。昼はどしゃぶりの雨に見舞われ、
ヘロヘロになってホテルに投宿して関西系のTVをつけて関西系の番組をみてたら、
昔の知り合いのタレントのおねえさんが出演してて笑ってしまった。というのは、
つい先日、東京で何年かぶりにばったり会って互いに急いでて
とりあえず月末に食事をする約束だけをして別れたので、
関西での仕事をしてるとは知らなかったからである。
山田というのは全国的に多い名字ではあるが、
大阪を中心に関西に特に多い。ところで、
文化庁が毎年行ってる国語に関する調査を、今年は
16歳以上の男女およそ3500人を対象に実施した結果が
先日発表された。今回の設問に、
[雨模様]の意味を尋ねるものがあって、
正解の"雨が降りそうな様子"と回答した人は43%だったのに対して、
本来の意味ではない"小雨が降ったりやんだりしている様子"
と回答した人は47%だったとのことである。しかも、
おそらくは選択式の回答だろうから、選択肢を与えられなかったら、
"正解率"はもっと低かったはずである。いずれにしても、
今日の関西方面の天気を言い表すのに、
[雨模様]は[的を射て]もないし[的を得て]もない。ともあれ、
この調査結果を日テレの「スッキリ」でも紹介してた。そこで、
テリー伊藤が亡くなった金田一(テリーは春彦という名が出なかった)さんが
言葉は変化するものだから間違った意味が多数に認識されてそれが
まかり通ったとしてもそれでいいと言ってたという旨のコメントをしてた。
山田耕筰は歌を作るにあたって歌詞の日本語の(高低)アクセントに
"忠実"な曲づけにこだわった、といわれてる。だから、
♪ゆ<う・やー・ー<け│<こ<や・<け>ー・>のー│
<あ>か・とー・<んー│<ぼー・ーー・ーー♪
という節回しにしたのだという。この箇所の
(すべてを網羅するのは厄介なので初めの2句だけ取り出すと)
歌詞のmoraごとに区切った高低アクセントが、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→or↓の、(↓or→)あ↑か→と↓ん→ぼ]
であれ、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→の、(↑)あ↓か→と→ん→ぼ]
であれ、
当然ながら完全に一致することはない。そもそも、
日本の(近代)詩には欧米の詩歌のような
押韻も雙葉も女子学院も豊島岡女子も慶應女子も愛国も蒲田女子もない。
そういう詩にアクセントの整合性をくっつけようとしても、土台それは
ナンセンスというものである。
他の歌謡歌手と違って音楽学校を出てて、表では
クラシックのバリトンとしても歌ってたことを鼻にかけてた藤山一郎は
岡晴夫と双璧をなす音程が非常に悪い歌謡歌手だったが、この人物は
"日本語のアクセント"に山田耕筰以上にこだわったらしい。
NHKの紅白歌合戦の終幕の「蛍の光」を指揮してたが、そのとき、
歌の初めの[ほー<たーー→る→のー]という箇所だけを
けっして歌わなかったという。
[蛍]は[ほ↓た→る]であるから[ほ↑た→る]という
音のつながりが許せなかったとのことである。が、
同人が歌ってヒットした歌謡曲には、たとえば、
長崎の鐘が[なー↓るーーー]と平気な面で歌ってたし、
他にも無数に同様の例がある。さらには、
てめえが"作曲"した「ラジオ体操の歌」では、
♪あたらしい朝が[きた]♪の[きた]を
[ド<レ]とあててる。が、それでは、
[き↑た]となって[来た(き↓た)」ではない。
[胸(2度出てきてそのどちらも)]も[大空]も[健やかな]も[風]も、
間違い。1番の歌詞だけでもこれだけの瑕疵だらけの体たらくである。
さて、
[あかとんぼ]という語に対して、山田耕筰の弟子の
團伊玖磨がアクセントが身についてないとイチャモンをつけた話は
さかんに語られてる。茅ヶ崎に住んでたこともある
山田耕筰の[こうさく]と鎌倉に住んでた團伊玖磨の[だん]を併せて
"作曲"時のペンネイムにしたのが加山雄三であるが、
桑田佳祐は[やまだいくま]という名は使わなかった。それはさておき、
山田耕筰の「赤とんぼ」
[作曲当時の東京でのアクセントは"あ↓か→と→ん→ぼ"だった]
というオチで決着されてる。池田弥三郎も古今亭志ん生も
[あ]が高いアクセントで話してた、ということである。ゆえに、
[あ]が[ラ]で、つづく[か]がそれより長6度低い[ド]、
と山田耕筰は"作曲"したのだそうである。
高い[ド]でも西永福でも桜上水でも、
[シ]も高い[ド]でも明大前でも、序奏とアレグロでもないのだという。
山田の「赤とんぼ」はそういう理屈で
"1番"の歌詞は"正しい"日本語のアクセントに従ってる、
と裏づけされたという。が、所詮、
"2番"以降はもともとの語が違うアクセントを持ってる詩なので、
アクセントに合わせるなどということ自体、
それほどの意味を持たない。
山田耕筰は指揮の弟子である近衛文麿と大正14年に、
「日本交響楽協会」を設立した。が、
現在でも文化庁からの補助金を
複数のオペラ団体が不正に請求した問題が露見したように、
こういう団体や協会では横領が発生しやすい。
山田は寄席のトリのごとく儲けを占し、
多数の楽員にはその一部を山分けさせたことで団員の怒りを買い、
追い出されてしまったという。その結果、
山田は借金を負い、都落ちして茅ヶ崎に居を構えた。そして、
オケの仕事がなくなって、それまでバカにしてた
「童謡」であったが、北原白秋の童謡詩の人気に目をつけた。
東京までの往復で利用してた湘南電車で揺られながら、
山田は童謡の曲付けにハゲんだという。すでに作られてる
童謡詩に曲をつけるのであるから、現在の、
まず曲ができててそれに売れっ子作詞家の大先生が歌詞をつけるのか、
歌詞に歌謡歌作曲家の大家があとから曲をあてるのか、
どっチガサキかという問題はなかった。いずれにせよ、
横須賀線のグリーン車内でラップトップを開いて仕事をしてる
現在の会社員とまったく同じ風情である。
[あ↓か→と→ん→ぼ]
というアクセントは本当に当時の東京の"主流"だったのだろうか。
現に山田と同じく東京生まれの團伊玖磨が
上記のアクセントがおかしいと詰め寄ったのは、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]
というアクセントが当然だと思ってたという証左である。
山田が「赤とんぼ」を"作曲"したのは、
昭和2年(1927年)のことである。團伊玖磨3歳のときである。
アクセントは子供のうちから身につく。だから、
山田が"作曲"した1927年には[あ↓か→と→ん→ぼ]だったアクセントが、
團が少年期の1930年代に入って突然、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]にヤゴのように不完全変態したとしか
説明がつかない。ここ20年の関西芸人東京進出で、
東京アクセントが関西アクセントに替わってった例は多い。
昭和までは[二月]は東京では[に↑が→つ]だったが、
現在では東京生まれの若者も[に↓が→つ]と何の疑いもなく言う。が、
昭和初期にそのような要因はなかった。
ところで、
[あかとんぼ]という語は[赤]と[蜻蛉]の複合語である。
複合された当初はそれぞれに原型の姿が主張されがちで、それが
やがて自然の流れで全体で一語だったかのようなアクセントに様変わりする。
NHKのアナウンサーが平成初期までこだわってた
[甲子園(こ↑う→し↓え→ん)]+[球場(きゅ→う→じょ→う)]
→
[こ↑う→し↓え→ん、→きゅ→う→じょ→う)]
も、現在では、
[こ↑う→し→え→ん→きゅ↓う→じょ→う)]
と元から一語だったかのように発音されてる。こういう原理でいえば、
[(東京)あ↓か/(関西)あ↑か]と
[(東京)と↑ん→ぼ/(関西)と↓ん→ぼ]が合わさって、
[(東京)あ↓か→と↑ん→ぼ]
[(関西)あ↑か→と↓ん→ぼ]
だったはずである、初めのうちは。それが自然の流れにしたがって、
あるいは関西系が優位に立って、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]に不完全変態したことになる。が、
言葉というのはそういう単純なものでもない。それより、もともと、
東京でもどちらも言われてたものだと推察できる。
子供の言葉のアクセントは昔は母親、学校の教師、級友の影響を受けた。
現在ではtvの影響がほとんどである。だから、
関西系芸人が主流のヴァラエティ番組での影響が
ほとんど全国の子供のアクセントを形成する。それから、
昔から首都の言葉はそこに流入してくる地方人の言葉が
とってかわることが少なくない。それは、
地方の"バルバロイな(ききなれない)"新しさをもたらし、
若者の間に浸透するからである。
東京や大阪(一部はそのかぎりではない)で主流だった
語頭以外のガ行鼻濁音が、
芸能事務所やレコード会社のプロデューサーによるレッスンや矯正を受けなかった
井上陽水、チューリップ、武田鉄矢、郷ひろみ、
松田聖子女史、坂井泉水女史、浜崎あゆみ女史
ら、福岡地方出身または福岡地方出身の親を持つ歌謡歌手、そして、
東京出身ながら八王子という、
埼玉や北関東あたりからの非鼻濁音区域の女子が
婚姻などで流入する地区で育った荒井由実女史の影響で、現在は
全国的に語頭以外のガ行も普通に非鼻濁音で発音されるようになった。
"美しい日本語"などという観念を私は抱かないが、
語頭以外のガ行非鼻濁音は歌謡曲に限らず、
TVのタレントやリポーターの言葉でも極めて粗野な響きに聞こえる。といっても、
三木露風とミッキー・ロークを聞き違えてネコパンチをかわせない程度の
拙脳なる私が感じることにすぎない。
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