チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ウメは埼玉か、サクラは真間かいな」

2012年03月30日 00時31分50秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
今年の日本の桜は寒さのせいで開花が遅い。
今年は東京では「入学式」にさえ
間に合わないのではないか、
などという茶化しも聞こえてくる。
私がガキの頃は、
「梅」といえば「卒業式」、
「桜」といえば「入学式」、
というイメージだった。が、
"地球の環境破壊"による
"温室効果ガス"の"増加"のせいで
"温暖化"したために、年々、
桜の開花時期が早まってる、
のだそうである。確かに、
大気中に占めるCO2の割合は、
産業革命以前に比して現在では
"2倍近く"も"増えてる"のである。そう言われると、
とんでもない増量のように聞こえるが、
大気全体の主な組成は、
N2(窒素)が約78.1%、O2(酸素)が約20.9%と、この二つだけで
99.0%を占めてるのである。次いで、
希ガスのAr(アルゴン)が約0.9%。この三つだけで
マングローブの生態系が壊されるとも思えない
99.9%を占めてしまってるのである。では、
CO2(二酸化炭素)はといえば、
[産業革命以前]0.028%(280ppm)
→[現在]0.038%(380ppm)
という按配である。さらにもっと少ない
メタンガスなど、屁みたいなものである。
そんな微少な気体が温暖化に影響すると、なぜ
期待できるのだろうか……と、
「蝋梅は梅ではない」と聞いて
あわてふためきうろたえてしまう
拙脳なる私は懐疑的になってしまう。

清少納言が記してるように、
「梅は濃きも薄きも紅梅」
かもしれないし、
湯島の白梅ももちろんいいのだが、
現在の埼玉県行田市には、
「さきたま古墳公園」や
「古代蓮の里」などでは、
桜の前に見事な「薄紅色」の梅が咲く。
ところで、
この行田市は江戸時代は「忍(おし)」と呼ばれてた土地て、
譜代・親藩に与えられた、幕府にとって重要拠点である。
近年では、「のぼうの城」という歴史小説の舞台として
その手のファンには有名になったところである。いっぽうで、
この行田にはもっと古くからは
「さきたま→さいたま」
という名があった。
明治政府によって県が置かれたとき、
親藩・譜代が多く治めてた地は、
県名と県庁所在地名を別物にされる、
という"仕置き"を受けた。それで、
川越・忍・岩槻など、バリバリの譜代で占められてた
武蔵野国の埼玉県になる地には譜代の城下町だった
「岩槻(実際には諸事情で浦和に)」に県庁が置かれ、
県名はただの「一郡名」にすぎなかった
「埼玉」とされたのである。それが、
浦和と与野と大宮を合併するにあたって、
「さいたま」という市名にする愚を犯したのである。

万葉集巻9-1744(高橋虫麻呂歌集)
【前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯】
(さきたまの、をさきのぬまに、かもぞはねきる。
おのがをに、ふりおけるしもを、はらふとにあらし)
「(拙大意)埼玉(=前玉、さきたま)の、小崎沼で、
    鴨がね羽から霧のようなものを散らしてることだよ。
     どうやら、自分の尾(小崎の「を」とかけてる)に降りた霜を、
     払ってるようだよ」

いっぽう、
千葉県は当初の諸県を統合するにあたって、
城下町ではなかった千葉に県庁を置いたので、
すんなり同名の県名となったのである。で、
千葉県のもっとも東京寄りにある市川には、
真間というところがある。そこらへんから
須和田・宮久保・東菅野といったあたりは、
東京の西にある鎌倉・逗子と並んで、明治以来、
作家や学者など、"文化人"が多く住む町である。
親の知り合いもいたので、ガキの頃には
よく連れられて行ったものだった。
高級住宅地の割りには道が狭くて入り組んでて
海に近い低い土地であるところは、
鎌倉と似てる。防波・防風の松がよく植わってた。
真間川沿いには現在では桜が植わってて、
目黒川の桜程度には花見が楽しめるスポットとなってる。

万葉集巻9-1808(高橋虫麻呂歌集、1807長歌への反歌)
【勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水[手邑]家武 手兒名之所念】
(かつしかの、ままのゐみれば、
たちならし、みづくましけむ、てこなしおもほゆ)
「(拙大意)葛飾の、真間の井戸を見ると、
     ここによく来て、水を汲んだであろう、
     手児奈のことをね思い起こすことだよ」

手児奈(てこな)は、
祭で山車や御輿を先導する舞である
「手古舞(てこまい)」と関係がある。手古舞は、
「てんてこまい」の語源でもある。
山車や御輿は「重い」。つまり、
重い動物である「象」である。それを動かすのは
難儀なことである。てんてこまい、である。ともあれ、
重いものを動かすには、
「梃(てこ)」が要る。だから、
山車や御輿を先導するのが
「手古舞」であり、舞うのは
手児奈なのである。
信じるか神事ないかは、ヒトそれぞれである。
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