チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ラスヴィェート(暁)/チャイコフスキー『6つのデュエット(op.46)』第6曲(1880)」

2012年04月01日 17時26分13秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
今週末は頭髪と稼ぎが薄い私に
恵みの煎餅焼きの雨あられがまとめて舞い込んだために、
遊びにいけない。が、
雨が降ったので、どっちみち、
花見もできなかったから、まあいいかという感じである。
西行法師は[花の下]で死にたいと願ったが、
昨日のニュース・ヘッドラインには、
「オリンパス菊川前社長保釈」というニュースと、
「作家の田中光二さん(71)が港区の霊園にある家族の墓の前で
首と手首を切って自殺未遂」
という記事が並んでた。
"オリンポスの黄昏"である。
この「黄昏」と対照を成すのが、
「暁」である。現在では「夜明け」を指す語であるが、原義は
「明るくなる前」つまり「夜が明ける兆し」である。

1880年の5、6月、オペラ「オルレアンの少女」校正中のチャイコフスキーは、
声楽曲の作曲を思い立った。これは私の
まったくの推測であるが、後述する
詩人のスーリカフがこの5月に死んだことも、その作曲の
動機付けになってるのではないかと思う。チャイコフスキーは
8月までに、妹アレクサーンドラの嫁ぎ先であるカーメンンカと
フォン=メック夫人の別荘ブラーイロフとその領地内のシマキで
パチパチパンチをして創作意欲をかきたてながら
6曲の「デュエット」を書き、キエフで仕上げた。この6曲は、
妹アレクサーンドラの当時18歳だった長女(今流に言えば第一子)、
Татьяна Львовна Давыдова
(タチヤーナ・リヴォーヴナ・ダーヴィドヴァ、1861-1887)
に献呈された。後年、
最愛の妹の初子であるタチヤーナとその長男のために、
チャイコフスキーは他の兄弟たちとともに、
涙ぐましい尽力をする。ともあれ、この「6曲のデュエット」の
第6曲は、第1曲・第4曲と同じく、
この年1880年の5月に結核で死んだ
Иван Захарович Суриков
(イヴァーン・ザハーラヴィチ・スーリカフ、1841-1880)
が若き日に書いた無題の詩に曲づけして、
"Рассвет(ラスヴィェート=英語:Dawn、仏語=L'aube)"
とチャイコフスキーがタイトルを附したものである。
いわゆるスリコフは農奴の家に生まれ、
農奴解放令によって父がモスクワで八百屋を始めたため、
成人して都会に出るまで田舎で育った詩人である。
チャイコフスキーの作品としては、やはり1880年の
「7曲のロマンス」(op.47)の第7曲、
"Я ли в поле да не травушка была?
(ヤー・リ・フ・ポーリェ・ダ・ニ・トラーヴシカ・ブィラー?
=邦題「私は野辺の草ではなかったのかしら?」)"
でも取りあげられてる。また、
かつてのマルクス・レーニン思想かぶれ親ソどもの拠点だった歌声酒場などで
よく歌われてた"ロシア民謡"の
"Степь, да степь кругом
(シチェーピ、ダ・シチェーピ・クルゴーム=邦題「果てもなき荒野原」)"
の作詞者として知られてる。ときに、
左翼反日といえば、巷で
[アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む]
新聞、と言われてる
「嘘ツキジデス歴史観」をまき散らし、
無垢な国民に貶日思想を植えつけてきた
朝日新聞社が、2億5千万円の"申告漏れ"を
東京国税局に指摘されて、
慌てて3月29日に修正申告をして約7500万円の
"漏れ"を納付したものの、一部は明らかに
「仮装隠蔽を伴う所得隠し」と判断されてて、今後さらに
重加算税400万円を含む加算税約1100万円が課される見込み、
という報道が、やはり昨日、
朝日新聞以外のマスコミに報じられてた。そして、
"朝日新聞社広報部の話"として、
[指摘を真摯に受け止め、今後一層、適正な経理・税務処理に努める]
という木で鼻をくくったような態度のコメントが附されてた。
この朝日新聞は、
「虚構南京大虐殺」や「虚偽従軍慰安婦強制連行」を創作した
貶日でありながら、また、公立学校などで
日の丸を揚げることに反対するくせに、社旗として未だに
「旭日旗」を掲げてるという厚顔傲慢ぶりを発揮してる。ともあれ、
「朝日」といえば「日の出の太陽」のことである。

[Рассвет]……(チャイコフスキーが附けたタイトル)

"Занялася заря;
Скоро солнце взойдёт.
Слышишь... чу!.. соловей
Громко песни поёт.

Все ярчей и ярчей
Переливы зари;
Словно пар над рекой
Поднялся, посмотри.

От цветов на полях
Льётся запах кругом,
И сияет роса
На траве серебром.

И к воде наклонясь,
Что-то шепчет камыш;
А кругом, на полях,
Непробудная тишь...
Ах!

Как отрадно, легко,
Широко дышит грудь!
Ну, молись же скорей!"

(拙カタカナ発音)
(ラスヴィェート)……(チャイコフスキーが附けたタイトル)
ザニャラーシャ・ザリャー、
スコーラ・ソーンツェ・ヴザィヂョート、
スルィーシシ……チュー!……サラヴィェーィ・
グロームカ・ピェースニ・パヨート。

フスィェー・ヤールチェィ・イ・ヤールチェィ、
ピリリーヴィ・ザーリ、
スローヴナ・パール・ナド・リコーィ、
パドニャールシャ、パスマトリー。

アト・ツヴィトーフ・ナ・パリャーフ、
リヨーツァ・ザーパフ・クルーガム、
イ・スィヤーエト・ラサー、
ナ・トラビェー・スィリブローム。

イ・グ・ヴァヂェー・ナクラニャーシ、
シュトータ・シェープチェト・カムィーシ、
ア・クルゴーム、ナ・パリャーフ、
ニプラブードナヤ・チーシ、
アフ!

カーク・アトラードナ、リェフコー(軽く、ではない)、
シラコー・ヂシート・グルーチ!
ヌー、マリージ・ジ・スカリェィ!

(拙大意)
「暁」……(チャイコフスキーが附けたタイトル)
空が明らみ始めた。
まもなく陽が昇るということ。
耳をすましててごらん……ほら! ナイチンゲールが
大きな声で鳴いてる。

瞬く間に鮮やかになる
朝焼けの色の移ろい。
あたかも川面の靄が
立ち昇るように。見てごらん。

さまざまな色を経て野火の赤みへと移り変わり、
香りがあたりに立ちこめる。
露に濡れた草はきらめき、
白露の草原へと生まれ変わる。

水面に傾いた
油萱(アブラガヤ)か何かがサヤサヤと音をたてる。
草原じゅうに、
目覚めることのない静寂……
そこに、突然の音が!(起床の合図)

なんと心地好いことか、朝のまどろみは。
胸にいっぱい空気を吸って!
ほら、もうじき朝のお祈りの時間だよ!

[Allegro moderato、3/4拍子、4♯(ホ長調)」
伴奏pfが短い導入部をdolceで奏で、その
シンコペに乗って、
ソプラーノとメゾソプラーノ(もしくはアルト)が、
はなから重唱を歌い出す。

s=♪●●・●●・●●│●●・【ファー・ファー│ファー・ファー・ー<ソ│>ミー・ーー】・●●│
m=♪●●・●●・●●│●●・『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー・ー>シ│<ドー・ーー』・●●│

(s=)●●・●●・●●│●●・<『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー・ー>シ│>ソー・ーー』・●●│
(m=)●●・●●・●●│●●・<【ファー・ファー│ファー・ファー・ーファ│>ミー・ーー】・●●│

声部が休みの間にはpfが合いの手で埋める。ともあれ、
このように、上声と下声が受け持ち旋律を入れ替える、
という趣向である。
曲は比較的淡々と進みはするが、
カルーセルに二人が乗ってるように、
景観は目くるめく変化する。一部に、
チャイコフスキーが「理想」「美」「幸福」を想定した調、
と説明されてる「ホ長調」の、
清々しい二重唱である。この第6曲は9年後に
イェヴギェーニナ・ムラヴィーナ(ソプラーノ)と
ニーナ・フリーデ(メゾソプラーノ)からの要請で
オケ伴奏版もチャイコフスキー自身によって編まれた。ちなみに、
このムラヴィーナは本名をムラヴィーンスカヤという。
察しのいいかたにはお分かりのことと思うが、
指揮者イェヴギェーニィ・ムラヴィーンスキィ、
いわゆるエヴゲニー・ムラヴィンスキーの伯母である。
このオケ伴奏版も美しいが、やはり
原曲のほうが趣がある。

このデュエットの導入部は、伴奏pfがdolceで2度奏でる。
♪●●・「ソー・<ラー│<シー・<ドー・<レー│
 >ドー、>シー・ー>ラ│>ソー」、<ラー・ー>ソ│>ドー♪
これは、8年後に作曲が開始されたバレエ「眠れる森の美女」の
「リラの精」の主題後半部、
♪●「ソ<ラ・<シ<ド<レ│>ド>シ>ラ・ソ」、
 >♯レ<ミ│<ソー>レ・●レ<♯レ♪
に転生される。また、
歌の主題の前半、
♪●●・【ファー・ファー│ファー・ファー・ー<ソ│>ミー・ーー】・●●♪
は、13年後の「交響曲第6番」終楽章の主題を受ける
♪【ファーーー・ーーファー・ファーー<ソ│>ミーーー・ーーーー】・●●●●♪
となり。歌の主題の後半、
♪●●・『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー』・ー>シ│>ソー・ーー・●●♪
は「眠れる森の美女」とほぼ同時期の1888年に作曲された
「交響曲第5番」第1楽章の副次主題の変則ワルツの後半、
♪●『ソー・<♯ソー<ラ│ー<レー』・>ドー>シ│ー、
 <ミー・>レー>ド│ー>シー・>ラー<シ│ ー>ラー・
 >ソー<ラ│ー>ミー・<ソー>ファ♪
へと、すべてが晩年の超傑作の種となったのである。いっぽう、
デュエットの主題の結尾の、
♪●●・ミー・ミー│ミー・>ドー・ー>シ│>ラー・ーー・●●♪
は、このデュエットの約5年前にチャイコフスキーが固執して
バレエ「白鳥の湖」や「交響曲第3番」に使用した
♪ミー・ーー・・>ドー・ー>シ│>ラー・ーー・・ーー♪
という動機である。が、これもまた、
バレエ「眠れる森の美女」の「リラの精」の主題前半部、
♪●ソ>ミ・ミ>レ>(♯)ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー♪
の初っ端、「ソ>ミ・ミ>レ>(♯)ド」と"長化"された形で
使用されてる。また、このリラの精の主題の主要動機は、
同バレエの第2幕第2場の間奏曲である
第19曲「眠れる森」では、その"短化"形の
♪●ミ>ド・ド>シ>ラ・・<ラ<シ<ド・<ミ♪
という「本来」の形に移されてる。
以上、つまりは、
この「ラスヴィェート(暁)」とチャイコフスキー自身がタイトルを附けたデュエットは、
チャイコフスキーの音楽のエッセンスがぎっしりとつまった曲なのである。
10代終わりの頃、当時この曲の楽譜を持ってなかった私は、
これらのエッセンスに気づき、レコードで聴いたデュエット部分をよく
ヴァイオリンでダブルストップにして弾く、ということをしてた。

(この二重唱曲をヴァイオリンとピアノにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-kamomeno-iwao
にアップしました)

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