数日、意味もなくぼんやりと過ごしているうちに、ささやかな庭がミニジャングルのようになっています。
昨日の日暮れ前の少し涼しい風が吹き始めた頃に、草取りを兼ねて茗荷を収穫....。.:*・゜
立秋が過ぎた頃から、そろそろ庭の茗荷がふっくらとおいしそうになっている頃...そう思って気にしていたのです。
茗荷の旬は秋...何十年も前に、そう聞いた時には、「茗荷は夏の味覚」と思い込んでいたので
少し不思議な気持ちになりましたが、確かに立秋が過ぎる頃からの茗荷はふっくらとしてきて、味もよいようです。
立秋は8月8日でしたから、「暦の上では秋」と言われても、まだまだ猛暑酷暑炎暑は続き...真夏のようですよね。
庭の手入れは、早朝と日暮れ前にしかできません...我が家のミニジャングル...さっさとスッキリさせたい私ですが...
心も身体も追いつきませんね...情けない状態が続いています...
茗荷は、亡き父の好物の1つでした。 幼かった頃の夏から秋にかけて、食卓の準備の仕上げに 味噌汁に添える茗荷を裏庭に採りに行く母の後ろ姿を 思い出します。 もちろん、この習慣はずっと続いていたのですけれど 幼かった頃の風景が特別に心に残っているのには 理由があるのです。 | |
幼い頃の私には、裏庭にひっそりと生えている茗荷の姿が 薄気味悪くて...独特の匂いも好きにはなれず 父がおいしそうに口にする、糠漬けや味噌汁が 気になって気になって...お箸を持ったまま、ぼんやりと 父の口許をじっと見つめていることが度々で... 「〇〇、さっさと食べなさい。」 その都度、父に言われていました。 〇〇の部分は私の名前です。 厳格な父の一声で、食卓の空気が変わってしまいますから 母は祈るような気持ちで... 私を見守ってくれていたのだと思います。 | |
そのことで母からは、1度も注意されたりしたことは なかったので、母がはらはらしながら見守ってくれて いたのだと察することができたのは... ずっと後のことでした。 | |
ぼんやりと、自分の想像の世界に入って行ってしまう私を 理解できなかった父は、きっといらいらしたのでしょうね。 こんな風で大丈夫なのか?と不安だったのでしょう。 晩年の父は、「〇〇」と呼んでいた私の名前を いつの間にか「〇ちゃん」と呼ぶようになりました。 通常とは逆の順番のようにも思えましたが、 私も違和感なく受け入れていて、そんな自分を不思議に 思うこともなかったような気がします。 幼かった頃の私には、ただただ「怖い」存在だった父。 晩年の父は、ぼんやりっ子の私がちゃんと大人に なれたように見えることで安心できたのかもしれませんね。 私が父に叱られると、母がつらい気持ちになる... そんな当たり前のことを、もっと早く気づいて理解できたら 私のことで母に悲しい思いをさせずにすんだのに... 母のことを想うと...切ない気持ちと感謝の気持ちが 入り交じリ... ありがとうとごめんなさいを心の中で囁きます。 |
糠漬けや炒めものに使った残りの茗荷は甘酢漬けにして、美しい赤紫色に変化する様子を愉しみます。
冷や奴、きゅうりの酢の物、蒸しなす...どれも、少し茗荷をあしらうだけでおいしさが増します。
そうそう、義理の息子が「茗荷好き」なのですよ。
マンションでもプランター栽培ができるなら、いつでも株分けしますよ♪と話しています。
茗荷について
暑さのピークは過ぎて行くような気配も感じますが...
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