先週金曜、家族が呼ばれ緩和ケアの先生と面談。
最後通告のお話かと思って緊張。でも違いました。
確かに状態は刻々と進んでいますが、先生の話は、入院中と退院後の緩和ケア科のサポート体制のお話でした。大まかに言えば入院中は衰えた足の筋力のリハビリまで、退院後は、母が病院にいかなくても緩和ケア科のスタッフが家に訪問して生活支援までしてくれ、緊急時の対応までの説明を受けました。私たち子供の生活環境のことまで考慮してくださり、支えてくれる内容で、安心もしましたがそれよりも感動した、というのが本音です。
そのなかで、延命の説明も受けましたが、それよりなにより、病院が母の限りある時間に前向きに対応しようとしていることに私たちも希望の気持ちが出来た、というのが素直な気持ちでした。
先生曰く、私たちがイメージした緩和ケアは「ホスピス」で、緩和ケアは支援とのこと。希望をくれました。
母はというと同じ病室の方が余命1年の宣告を受けながらも、抗がん剤治療は拒否して最期の時間をやり残したことに使うため退院していったことにかなり感銘を受けていました。子供に迷惑をかけたくないとの強い決心があり、子供の前では弱音をはかず子供を励まして送り帰したあと、夜わんわん泣いていたそうです。
母は、私はあんな風に強くなれないと言い、私たちも頼ってもらえたほうがいいのだから、と話して…。
今の母の状態は、酸素摂取濃度?が薄く鼻から酸素を取り入れています。腹水が溜まり、両足はパンパンに膨れて歩けない状態。
この状態が緩和ケアでどのくらい改善されるのか…ですが
緩和ケア科を信じたいと。
希望がなければ、言わない説明だと感じたので…信じます。
それと何より、母の生きたいとの強い精神力。これは元来の母の強さと楽観的前向きさがあれば、復活するのではないか。そしてそれを支えるのが、家族の精神的支えなのだと思います。
病院帰り、姉弟と三人で
餃子をつまみにビールを飲んでいろいろ話しました。
思ったことは、きょうだいってやっぱりいいな!ということ。
最後通告のお話かと思って緊張。でも違いました。
確かに状態は刻々と進んでいますが、先生の話は、入院中と退院後の緩和ケア科のサポート体制のお話でした。大まかに言えば入院中は衰えた足の筋力のリハビリまで、退院後は、母が病院にいかなくても緩和ケア科のスタッフが家に訪問して生活支援までしてくれ、緊急時の対応までの説明を受けました。私たち子供の生活環境のことまで考慮してくださり、支えてくれる内容で、安心もしましたがそれよりも感動した、というのが本音です。
そのなかで、延命の説明も受けましたが、それよりなにより、病院が母の限りある時間に前向きに対応しようとしていることに私たちも希望の気持ちが出来た、というのが素直な気持ちでした。
先生曰く、私たちがイメージした緩和ケアは「ホスピス」で、緩和ケアは支援とのこと。希望をくれました。
母はというと同じ病室の方が余命1年の宣告を受けながらも、抗がん剤治療は拒否して最期の時間をやり残したことに使うため退院していったことにかなり感銘を受けていました。子供に迷惑をかけたくないとの強い決心があり、子供の前では弱音をはかず子供を励まして送り帰したあと、夜わんわん泣いていたそうです。
母は、私はあんな風に強くなれないと言い、私たちも頼ってもらえたほうがいいのだから、と話して…。
今の母の状態は、酸素摂取濃度?が薄く鼻から酸素を取り入れています。腹水が溜まり、両足はパンパンに膨れて歩けない状態。
この状態が緩和ケアでどのくらい改善されるのか…ですが
緩和ケア科を信じたいと。
希望がなければ、言わない説明だと感じたので…信じます。
それと何より、母の生きたいとの強い精神力。これは元来の母の強さと楽観的前向きさがあれば、復活するのではないか。そしてそれを支えるのが、家族の精神的支えなのだと思います。
病院帰り、姉弟と三人で
餃子をつまみにビールを飲んでいろいろ話しました。
思ったことは、きょうだいってやっぱりいいな!ということ。