一年前の今ごろ、主治医に「このままでは手術ができません。完全にゼロにしてださい」と厳しい言葉を受け、旦那は禁酒禁煙のGWを過ごしていた。
4月に、通院している大学病院の耳鼻科で、左頬に出来たシコリの細胞検査を受け、鼻と歯肉に癌が見つかった。
「うちでは手に負えない」と癌専門の病院を紹介された。
しかし肝臓の数値が悪く、タバコとお酒をやめないと10時間以上かかる手術に耐えられないと告げられ、4月下旬から「やめます」と言い切ったものの、少しぐらいならわからないと甘くみた旦那はほとんど止められず、再度検査を受けた際、「飲んでません、吸ってません」と言い放ったが、検査数値で簡単に見破られ、入院と手術の日程は一旦白紙に戻されGW中の禁酒禁煙は絶対だった。
20歳から今まで一度も止めなかった酒タバコをゼロにすることは旦那にとって、
地獄だったのだろうが、
なんとかギリギリの数値で、予定より1週間遅れで、予定が決まった。
12時間の大手術で、右足の骨と筋肉を口の中に移植した。
歯茎だけでなく顎の骨まで進行していた癌はそれ以上の転移はしていなかったものの、話すことと食べることが少し不自由になった。
鼻は内視鏡で切除できて大したことはなかったが、数年前毎日滝のような鼻血があったのは癌のせいだったのだろうか、と思う。
退院後の生活は一変した。口の中の腫れが引くまで唾液が飲み込めずに、苦しくて数十分ごとに起きてしまい眠れない日々が続き、右足や顔の傷跡に膿が溜まりなかなか傷が治らなかった。それらが落ち着いたのは、今年の3月に入ったころ。
楽しみは食べることくらいなのに、食べるものはすべてフードプロセッサーで砕いたもの、飲み物はストロー使用となった。
話すことは、聞き取りづらいことはあるが、日常生活に支障はない。
旦那も私ももう少しよくなることを期待していたが、1年前とあまり変わらない。
あるとき主治医からは「諦めなさい」と言われたという。命が助かっただけよかったということだろう。
命があれば、生きてさえいれば、と私も思う。
旦那には反論もあろうが、「生きていられれば未来がある」ことは認めるだろう。
今、コロナで亡くなる方は、家族に看取られることなく、ひとりぼっちで息を引き取る。遺骨となって帰宅する。
ご家族は、いきなり遺骨を渡されて、これが家族だと言われても受け入れられないだろう。
耐えがたいことだと思う。私なら気が狂う。絶対認められないと思う。
せめて死に顔くらい確認して、死んでしまったことの認識が出来るようできないものなのか。ガラス越しでもいい。
私の願いは、旦那の、死に目に立ち会うこと。
一人で、死なないでほしい、それだけ。
私の密かな願いである。
父も母も死に目に会えなかったから。
…私が旦那のような病気になったら耐えられるかと問われれば、耐えられないかも知れない。今の気持ちはあくまで家族として支える側の心持ちである。
旦那の精神はほんとうに強いと尊敬する。
今はタバコもお酒も復活してしまったが、私は止めない。
旦那の人生であり、私の人生ではないから。
助かった命だけど、好きなことを我慢して生き延びても
意味がないと思うヒトだから。