梅も今は紅梅が見ごろ、といっても井の頭公園の紅梅の樹、一本しかなかったっけかしら、記憶違いかな。まだつぼみのほうが多い白梅の中で紅梅が一本だけ咲いていた。
弁天池のほうからぐるっと回ってみると、ニュースにもなっていた池の大規模な清掃工事(こんな言葉でよいのか?)でかなり様子が変わっているところもあるとはいえ、弁天池の辺りは覚えている姿のままに見えた。暖かさに誘われて人出も結構多い。井の頭自然園のほうに言ってみると。分園も本園も若い人たちはもちろん、子供連れのお母さんたちも多かった。
こんばんは~、マリーで~す。
うちのおばはん、今すっごく大変なことになっちゃってるわよ。だから言わないこっちゃないのよ、もう。フェイスブックのアカウントがなんだかおかしいって騒いでたけどあの人、やっと状況を詳しく調べてみたのよね。そしたら、今までのアカウントはoperaのブラウザでしか使えないことがわかったの。あの人が腹を立ててる人たちだけ排除しようとしたのが、全体のバランスをおかしくしちゃったみたい。
今までのアカウントが使えなくなっていて、昔々、まだ日本でfacebookがまだ知られていなかったころに、坂本龍一さんのファンクラブか何かのために登録したアカウントにしか繋がらないのよ。半日あっちこっちいじってみて、結局これは駄目だってなってあの人、仕方なしに、そのアカウントに移ることに決めたの。だってoperaのブラウザって性能はいいけど、互換性が無いから不便なことも多いの。これからgooのブログに移る予定だけど,gooが推奨しているのはIEとファイアフォックスなのよね。どうしようもないわよ。
まだ半分くらいしか移せてないのよ。教会関係はこの際は信者同士以外、外すっていってもいくらなんでも司教様は外しにくいけど直接関わっていない司教様がたはどうせブログは読むからフォローだけにしておこうとか、あれこれ迷ってるみたい。
ほんとにもう、自分で面倒を引き起こしちゃってるんじゃ世話が無いわよ、まったく。元のように使えるまでは当分時間がかかるのにさあ、どうしてこうもお馬鹿なのかしらねえ。まあ、こうなったらしょうがないからゆっくり手直しするしかないんだわさ。
お付き合いさせられる皆様方、ごめんなさいね。あの人だってこれに懲りてもう余計なことはしなくなるんじゃないかと思うから許してね。
でもって今日はこれでおしまい。ほんじゃまたね。
以前、教会の知人がパソコンはケーブルテレビが安いと言っていた。実を言うと、今住んでいるところにも大家さんが一括でケーブルテレビを引いてあったのだが、最近までテレビは持っていなかったからケーブルテレビのなんたるかも知らなかったのだ。しかし、相棒見たさに中古の地デジを手に入れたところ、その便利さがやっとわかった。
今までは各部屋の通信の具合を定期的に調べにきても家はテレビ持っていませんで済ませていたのを今回は、部屋にあがってもらったところ、ついでにパソコンの話になり、plalaでつないでいるというと、XXcomならもっと安いのにと、延々と説明があり、以前、知人が言っていたのはこれかとやっと納得し、それならとplalaからxxcomに乗り換えることにした。
今はテレビのBSも入れての料金なのだが、独りになってから考えるとどうもテレビが見られるのはいいけどこれまでより2千円近く、高くなってしまうのだけど?? こちらは無いお金をなんとかやりくりしているのに、これはどうしたものかと思案中。ただし、あんまり無駄がなさすぎると全然自分が楽しくないのも本当なので、1ヶ月2千円出費が増えるだけの価値があるかどうかちょっと様子を見ることにした。
それにしても、今、杉並区はこのxxcomが殆どだというのだけどほんとかな。知人も地域は違うけれどケーブルテレビが一番安い。○○神父様のところだって(ということは修道院だ)もケーブルテレビよ、というはなしだった。そうかケーブルテレビだから修道院でもワウワウがはいっているということか。うちもBSくらいはやっぱりあったほうがいいかしら?
今日の一日の話の展開を振り返ると、なんとなく狐や狸に化かされているような気分になってくるのだが。
自分はどうしたいのか・現実の状況・他者の意見、この三点を総合して判断していくと教わった。それでいくと、自分はどうしたいのか、は簡単。祈りと日常を統合した生活だ。現実の状況は、お金はない。それにしては周りがどうもうるさい。利用しようとしてかかる連中に気をつけねばならぬ。食べていけない上にただ利用されるのは本物の馬鹿だ。そんなことではいけない。
人の意見といえば、昨日知人が言っていたことも真実を感じる。今の日本の有名修道会の第三会というのお金集めの要素が大きいとか。うーむ、たしかにそれは感じる。
ではどうすればいいか?
昔からのキリスト教国には、正式の修道者ではないけれど、自分で自由に世間から離れて生活する女性はいくらでもいた。その辺にヒントがありそうだ。組織に縛られない65歳になるおばはんならではの生き方があるはずだ。
お金はないけれど、まったくの無名でもないからいざとなったときにほったらかしにされるとも思えない。一応、世のため、人のためにも役立つ方向で、(でも無駄に利用されていたりしてはいけないが、)かつ、神を探し求める生活、こんなところか。
お金のかからない第三会のある修道会だってどこかにあるかもしれないし・・・