facebookから

2014-06-30 23:04:11 | Weblog
朝からキイキイカアカア、facebookやブログでも文句タラタラ、出掛けまでブツブツ、だったはずなのだが、午後の講座でちょうど抱えている問題にぴったりの話を聴いて、なぜか大人しくなって帰ってきた。今日もまた赦しの話だったのだ。

簡単に赦せるわけはないが、考えさせられて帰ってきたのだな。なんたって40年目にして初めてルカ福音書の不正な管理人の話の意味がわかったのだから。

天知る、地知る、我知る、汝知る (これは一部の限定された方々向けです)

2014-06-30 09:47:50 | Weblog
真実は誰にも知られていないつもりの誰かさんたち、自分の心をよく見たんさいよ。

そちらは誤魔化し続けるかもしれないけど、こちらももう我慢の緒がきれてきているのだ。秋口には生活保護の住宅補助費の引き下げ検討ですと。

言いたくはないけど、なぜ私がいつまでも黙って我慢する必要があるのか、まったく納得できない。身勝手な日本のイエズス会って、いい加減にしてよ。

このままでいくと、本気で都会の片隅の隠遁生活を生きるしかなさそう。利用されるばかりの情報発信なんてじょうだんじゃないわよ。やってられません。

誰かさんの失敗を何十年も引きずっている私の生活、もうすぐ65歳だし、もういい加減にさせていただきたいと思う。

以上

・・・もっとも、状況の波に乗って散々こちらを利用した、文春、新潮社、朝日新聞、この怒りとうらみ、そう簡単に消えそうもありません。ずいぶんじゃありませんか。真相を知りもしないくせに。





6月29日

2014-06-29 19:16:45 | Weblog
明日で6月が終わる。何年もお世話になったplalaのブログサービスも明日で正式に終わりだ。ちょっと他の方々の様子を覗きにいってみるとさすがに皆様どちらさまもお別れのご挨拶ばかりだ。

始まりがあれば終わりがある。以前、日経のSNS、ワガマガのサービス終了の時にもいやというほど考えさせられた真実ではあるけれど、同時にまたその先の新しい出発も教えられた。

昔の仲間の多くは今、facebookのほうに終結して何だかんだと言いながら関わりが続いている。終わりは新しい出発でもあるのだ。plalaのブログもこれがなくなっても、そこに書いていた人たちがいる限り、別のどこかでそれぞれの何かが続いていくのだろうと思っている。

寂しさもあるけれど、あたらしいことへの期待感もある最後の一日だ。

たぶん、これが最後のブログ画像(原寸のまま記念に)


この時間、やっと平穏

2014-06-29 18:17:05 | Weblog
ほんのちょっとまえまで東京西部はどしゃ降りの雨とカミナリで、パソコンを切ったままだったのでタブレットやケータイ以外は使えない状態だった。当然、インターネットも簡単なことにしか使えずブログもまだ何も書いていない。

今年の天候はすごく変な感じでいつもの梅雨時の天気ではない感じだ。この間のまるで雪が降ったような雹の写真にもおどろいたけれど、その数日かもうちょっと前、西荻でパラパラと雹が降ったのにも驚いた。雹なんて何十年ぶりに見たのだろう、親元にいた若い頃以来だったのだから。

こういう天候の変事ってもしや、少し前に一部では大きく取り上げられていた太陽活動の大きな変化などが関係しているのだろうか。だとするとこれはこの先の地球の気候変動にもつながっていくはず。

典礼聖歌の、風はどこからに、時が今しも過ぎて行くのに人は誰も気がつかない、という一節があるけれど、もしかしたら気がつかないまま地球環境の変化の始まりを迎えているのかもしれないわけだ。

大聖テレジアの生きた時代のスペインの気候が世界中に広がったりしたら、この時代、どうなっていくのだろう。気候の変化は食糧事情にもつながる問題だし、そうなればいろいろ危険な問題も増えていく。

非常に気にかかる気候の変化だ。ただの危惧におわってほしいものだ。

値上げ

2014-06-28 23:11:54 | Weblog
これまで鯖缶と言えばスーパーの特売品の代表格だったはず、ちょっと高い鮭缶はそうそうは使いきれないけれど、鯖の水煮缶を戸棚にいくつか転がしてあれば何も無い時や、月末のお金の無い時、これに野菜を加えればいろいろな料理に変身させられる有難い食材だったのだが、今日、久しぶりに水煮缶をかったところ、100円ローソンでこれまでは108円だったものが一挙に138円に値上がりしていた。

鯖缶よ、お前に何が起こったのだ?

味噌煮缶は以前と同じ108円だから、水煮缶には値上がり要素があるのか?急に日本中でそんなに鯖缶に需要が増えるとは、妙な話だなあ。理解に苦しむね。

鯖缶は味と安さが魅力なわけで値上がりしすぎればどうせなら鮭缶を使う。生臭味は鯖缶とは比較にならないほど少ない缶詰だ。だいたい魚缶はそのままより、さらに調理加工用に使うのだから高くなるのならどうせなら鮭のほうが味も上等なものになる。

他の缶詰で調理素材に使えそうなものを発掘して試してみなくては。生の物と違って備蓄できるところが重要な要素でこればかりを食べるわけではないし、消費者としてはこんな値上げには対抗せねばならぬと思う。ところがだ、ここにも問題がある。

痛風の原因のプリン体が多いとは聞くけれど、それでも煮干しの更なる利用方法とか、安い蛋白源の美味しい料理法を考えていったほうがよいかとかも思うが、当方、親譲りの遺伝的な痛風予備軍なのだ。食材も色々考えて使わないとならないのだが、高級なものでも安物でも結果は同じというのはなんともわびしい限りだ。


今月だけは長崎大司教区浜串教会の中田神父様の説教ブログ丸ごと転載

2014-06-28 20:23:52 | Weblog
(運用中)ケータイで録音説教を聞きたい方はこちら
↓↓通信料がかかります。ご理解の上、ご利用ください。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/i/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/140629.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
14/06/29(No.716)
‥‥‥†‥‥‥‥
聖ペトロ聖パウロ使徒
(マタイ16:13-19)
使徒の生き方を鏡として生きよう
‥‥‥†‥‥‥‥

聖ペトロ聖パウロ使徒の祭日を迎えました。日曜日と、この日が重なるのは数年
に1度しかなくて、わたしが司祭になってからの22年の間には今回で4回目です。

ちなみに次に回ってくるのは2025年なので、確実にこの場には立っていないと思
います。両使徒の祭日にあたって、2008年の説教を参考にしながら「使徒の生き
方を鏡として生きる」とまとめたいと思います。

黙想会に参加してきました。説教師は、フランシスコ会の桑田神父さまでした。
近づきやすい雰囲気を持った神父さまで、共同の食事の時に近くの席に座って談
笑しました。ふだんの黙想会でしたら、説教師の神父さまと雑談するなんてとん
でもないことです。

小教区に戻ったので、これからゆっくり説教に耳を傾けるつもりですが、今パッ
と思い出せる内容を紹介しますと、黙想会を機に、わたしたちがどれほど神さま
に愛されているかを考えなければならないのだと思い出させてくださいました。

考えるヒントとして、桑田神父さまはこの人生を終えて神さまの前に立たされる
と、2つの巻物を見ることになるというたとえを話してくれました。巻物の1つは、
「自分が果たせた善い行いを綴った巻物」です。そこには、自分が全く記憶して
いない善行まで綴られています。

もう1つの巻物は、「犯した過ちを綴った巻物」です。善行ですら、記憶にない
ことが綴られていたのだから、過ちはそれはもう思い出せない過ちが数限りなく
綴られているに違いないと推測できます。そして恐る恐る、犯した過ちが綴られ
た巻物を開いてみると、イエスの十字架上の贖いによって、巻物には何も書かれ
ていなかったというのです。

これは、どんなに感謝しても感謝しきれないことです。わたしたちはこんなに愛
されているのだと、黙想会のようなゆっくりとした時間の中で考えることは必要
なことだと思いました。

ではここから両使徒について学びを得ることにしましょう。まず福音朗読から聖
ペトロについて考えてみましょう。ペトロに期待されている1つの特徴は、「イ
エスの呼びかけに答える」「イエスの問いかけに答える」ということだと思いま
す。今週の福音朗読では、イエスの「それでは、あなたがたはわたしを何者だと
言うのか」(16・15)という問いかけに対して、シモン・ペトロが、「あなたは
メシア、生ける神の子です」(16・16)と答えています。

ほかにも、イエスが「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(14・27)
と話しかけた時に、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩い
てそちらに行かせてください」(14・28)と答えています。ペトロは、イエスに
答えるという使命を受けた使徒でした。

ペトロはイエスの問いかけ、呼びかけに答えたわけですが、それはそのまま、イ
エスに最後までついて行ったということでもあります。ただ返事をしたというこ
とではなくて、ペトロは困難を感じた時も、イエスに信頼を寄せて、最後までつ
いて行ったのです。そのことが、最後にはペトロの殉教につながっていきます。
言い伝えによると、ペトロはローマで殉教したのですが、イエスと同じはりつけ
の形は自分にはもったいないことだということで、逆さにはりつけになったとさ
れています。

そこでペトロの姿から1つの模範を学びましょう。それはイエスの呼びかけ、問
いかけに、わたしたちも答えるということです。何も優秀な答えをイエスが求め
ているわけではありません。呼びかけに、「はい」とか「引き受けてみます」と
答えることが大切です。ペトロは常に、答えは不十分かも知れないけれども、問
われれば自分の言葉で返事をしたのです。1人ひとり、「わたしはイエスに問わ
れたら答えてみます」という気持ちをペトロに倣って育てていきたいと思います。

次に、聖パウロについて、第2朗読を通して考えてみることにしましょう。第2
朗読は「テモテへの手紙」ですが、選ばれている箇所からは殉教の時が近づいて
いることが分かります。「世を去る時が近づきました」(4・6)とあるからです。
死を目前にしての手紙なのですが、落ち着いた、静かな心でその時を待っている
ことが伝わってきます。

人生の最期の時を、落ち着いた静かな心でいられるというのは、並大抵のことで
はありません。そこまでたどり着くためには、それなりの自信が必要でしょう。
パウロはこれまでの歩みに自信があるので、静かな心でいられたのだと思います。
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜き
ました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(4・7-8)。

パウロは「義の栄冠を受ける」と言っていますが、「義の栄冠」とは何なのでし
ょうか。殉教の後にあるものですから、それは「永遠の生命」ということになり
ます。パウロは、なすべきことは果たしたし、「永遠の生命」が得られるので、
心静かに過ごせるのです。

わたしたちは「永遠の生命が得られるので、心静かにいられる」ときっぱり言え
るでしょうか。本当に、永遠の生命への希望だけで不安なく過ごせるでしょうか。
わたしたちが迷いなくこの生き方を貫くには、日頃から永遠の生命が何にも代え
がたい価値があると理解している、常々そう思っているのでなければパウロの心
境にたどりつけないでしょう。

実生活は、さまざまなものに価値を見て、「永遠の生命」だけを見つめて生きて
いるとは言えないと状態です。ですから、残念ながら、パウロのような心静かな
状態で人生の最期を迎えるのは難しいのではないでしょうか。最後まで心残りに
思うことがいろいろ浮かび、あーしておけばよかった、こうしておくべきだった
と悔やむのではないでしょうか。

聖パウロの生き方は、「永遠の生命」をしっかり見据えた生き方でした。パウロ
から、わたしたちも同じ生き方を写し取りましょう。「わたしが持っているのは、
棄てることができない教えです」ときっぱり答え、永遠の生命を見据えて生きて
いく。そのような信仰を目指して歩んでいきましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第14主日
(マタイ11:25-30)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼黙想会で、「説教師は皆さんを変えることはできません。皆さんを変えること
ができるのは皆さん自身です。」こう言い切る説教師に初めて会ったかもしれな
い。確かにその通りで、わたしたちが変わっていくためには、外からの力ではな
く、中から、自分自身が納得して自分を変えなければ、変わらないのだと思う。
▼もっとも印象に残ったのは、次の問いかけである。「聖フランシスコはたえず
次の問いをしていました。『主よ、あなたはどなたですか。主よ、わたしは何者
でしょうか。』皆さんも同じ問いを自分に投げかけてください。」わたしの中に、
生涯問い続けるテーマが植えられたと思った。「主よ、あなたはどなたですか。
主よ、わたしは何者でしょうか。」
▼なんだったら、このテーマ1つで黙想会を組み立ててもよいくらいの大きな問
いだと思った。この問いには、きっと一人ひとり別々の答えが見つかると思う。
その答えは、どれが正解というものではなくて、その人にとっての正解が見つか
ればそれでよいものなのだと思う。そして一人ひとりが見つけた答えに、自分の
生き方が逸れないようにすればよい。
▼わたしたちが見つけた答えは、きっと譲れないものだと思う。「主よ、あなた
は○○です。主よ、わたしはあなたの○○です。」その譲れないものを生き方の
中で表現していくために、黙想会というまとまった思索の時間はとても意義があ
る。わたしたちがたどり着いた答えをなかなか生活の中で表現できなくなってき
たら、それは一旦歩みを止めて、黙想する時である。

‥‥‥†‥‥‥


私だって叫びの壷がほしい!!

2014-06-28 12:09:05 | Weblog
深い穴を掘って、王様の耳はロバの耳と叫んでやりたい。だが、だが、だが、だがだ、無駄に自制心が働いて書いたブログは削除してしまうし、でもやっぱり腹は立つし、まったく持って実にいまいましい。

こうなったら今日はまったく違うことに目を向けるしかない。とりあえず、期日前投票だけはして、ちょっとでかけることにする。痛み止めの薬が効いているから重いものを持たないようにすれば大丈夫だろう。後はまた帰ってきてから。


帰ってきたのではなく映画館の待ち合いでこれを書いている。なんとまだ1時間も待つことになった。もう上映も終わりに近い映画だからやっているところも少ないし、たいてい限られた時間だから一番近場に来てよかった。ここに来る前、地元の区民センターで区長選挙の投票に行ってみると予想以上に期日前投票に人が来ていてビックリした。杉並区ってそんなに民意が高かったのかしら。でもよいことだと思う。

しかし、今日は腹をたてたついでに言いたい。誰かさんたちは私が何もわからないとでも思っているのかね、何も知らないから黙っているとでも。冗談ではない、仕方がないから生きているうちは庇ってあげることにしたから黙っているだけだ。その後はもう黙らないからいずれは見ておれと思っているのさ。

うっかりしてあちらより先に死んでしまっては悔しいから長生きするように心して生きるつもりだ。あちらは長寿の系統だが我が家はどうもその辺は危ないのがちょっと問題だな、父方も母方も短命なのは情けない。でも気持ちは負けるものかと思っているぞ。でなければ正義はどこにあるというのだ!

真実が闇に埋もれてしまうのは許せない、必ずいつかは表にださずにおくものかと思っている。思い続けている。

以上、これを読んでも皆様気にしたり心配したりしないでくださいね。ちょっと時が経つとなんてこともないいつもにもどっちゃうのですから。


雨の日

2014-06-27 21:31:16 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

今日はうちのおばはん、吉祥寺のミサに出てから、買い物で四ツ谷に行ったのよ。なんたってカトリック教会関係のものはお店も多いから四ツ谷なのよね。お店の人が、銀座だったら教文館があるなんていうけど、うちのおばはんの家からの普段の行動範囲に銀座は入ってないんだもん、そりゃ無理だわさ。

この頃は特にごくたまに、どうしてもって時しか銀座にはいかないのよね。行きも帰りも不便なんですって。あの人、中央線沿線なのよ、どうしたって縁遠くなるわよ。

それはとにかく、あの人、今日は散々だったのよ。四ツ谷についたら大雨が降ってて、傘もレインハットも忘れてきちゃってるし、しょうがないからドンボスコとサンパウロで買い物してから、小降りになるまでサンパウロであれこれ品物を見て回ってたの。ほんで持ってついでに買ったのがfacebookやtwitterに写真を出したロザリオのブレスレットだったの。今回は8月まで無駄遣いはできないっていいながら、安物だけどそんなのまで買ってたのよ。なんか、きれいとか可愛いとかってのに弱いのよねえ。

ほんでもってやっと帰りの電車に乗ったら込んでてちょっと押された拍子にバランスを崩して車内でひっくり返っちゃったの。このところ用心して転ばないように二本杖を持って歩いてるし、急がないようにしてたから、前みたいに転んで顔面着地でメガネを壊したりはしてなかったのが、今日はドテッとゴキブリみたいに背中からひっくり返っちゃったわけ。あの人、具合が悪いのは足より腰だからバランスを崩すと立ち直れないで転んだり,ひっくり返ったりしちゃうのよ。肘はすりむいちゃうし、まったくひどいもんだわ。

そんなんでお家に帰り着いて、アパートだから大家さんのところによって、この間からまたトイレの水が漏れてるから修理を頼んだのよ。そしたらアパートの大家さん、奥さんのほうだけど、実は足を骨折したご主人の大家さんと一緒に奥さんも心臓の具合がよくないし、二人いっしょに老人ホームに入るようにって話になってきてるんですって。

うちのおばはんも時々自分も心臓から足首がむくむ人だから、大家さんの奥さんの足首のむくみのひどさに驚いて心配してたし、それは良いことだと思ったのね。ただ問題は大家さんご夫妻がいなくなると、うちのおばはん、来年の春以降ここに住んでいられるかどうか怪しくなっちゃうのよね。契約更新がどうなるか、大家さんの親類がどう動くかとか、今度はうちのおばはんのほうが頭が痛くなる問題がでてきちゃったわけよ。

このアパート、古いけど専用の洋式トイレもあるし、ベランダや台所も広いしこういう部屋はそうそうないじゃないの。足腰が悪いからどうしても洋式トイレつきの部屋でないとどうしようもないし、困った困ったって唸ってるわよ。このアパートだってほんというと某国会議員さんがちょっと介入してそれで住めるようになったんだけど、新しいところは、まず部屋探しから始めなくちゃならないし、これからちょっと大変な感じ。

阿佐ヶ谷のときでこりごりしてるから、国会議員や警察が介入してでも安全第一でないと困るんだわさ、福祉事務所なんてその辺のことは何も知らないのよ。大家さんの親類がこの先どう出るか次第かな、本当に世の中いろいろ大変なのよ。ま、今日はこんなところでおしまい。ほんじゃまたね。