さて、9月も今日でおしまい。今うちの近くの青梅街道では秋祭りの神輿行列が賑やかに通っていくところだ。でも、何とか雨が降り出す前に戻れるかどうか、ぎりぎりになりそうだ。これから関東甲信はいよいよ台風がやってくるわけで、今も窓の外の風が気になる音をたてていて不気味だ。
しかしこれで台風が無事に去って行ってくれれば明日からは10月。明日、10月1日は幼きイエズスの聖テレジア、ついで4日はアシジの聖フランシスコ、10月15日はアビラの聖テレジアと、よく知られた聖人たちのお祝いの多い月でもある。
幼きイエズスの聖テレジアはまだ中学高校のころに初めて知ったカトリックの聖人だったから、なんといっても一番影響を受けてきた。でも、いろいろ考えて自分の霊名にはアシジの聖フランシスコの名をいただいた。
これも実は親の影響がある。死んだ父は長女の私が生まれたとき、花子という名が可愛いから花子にしようと思ったのだそうだ、しかし、まわりで花子では年をとっておばあさんになってから可哀想だと反対されてやめたのだそうだ。名前は一生ものだからよくよく考えろというのだった。で、霊名だが、確かに幼きイエズスの聖テレジアは大好きだったのだが、おばあさんになったとき、少女趣味っぽい名前はちょっといやだなあと思い、二番目に好きな聖フランシスコの名をいただいたのだった。
もし花子だったら、今頃、井の頭の象さんと同じ名前だったわけで、反対してくれた親類に感謝している。最近のキラキラネームの子達、いろいろと大変だろうなあと思わずにいられない。
とはいえ、幼きイエズスの聖テレジアの、霊的幼子の道の教えがあって今日までこられたのだととも思っている。だが、なぜか全然カルメル会自体とはまるですれ違いのままだった。今は正しい情報が向こうにも伝わっているらしいのだが、ちょっと前まで、ある方々の中傷誹謗が教会中に流されていたから、カルメル会の司祭方もそれを信じていたらしい。まったく、わけのわからぬ世界だ。
だが、誤解が解けてきたころにはこちらはもうじき63歳の足腰に故障のあるおばはんと化してしまっていて、これからどうすればいいのだと、我ながら迷っているところだ。今の現実で可能なことってなんだろう。どうしたらいいのかわからぬ。生活もこのままでどうなるのだ?
とりあえず、10月後半からはせめて上野毛教会の講座には戻ろうと思う。焦っても仕方のないこと。ゆるゆると進んでいくしかなかろう。