備えよつねに

2010-09-30 09:10:47 | インポート
「備えよつねに」、これはボーイ・スカウト、ガール・スカウトの標語らしいのですが詳しくは知りません。ただ、ナルニア国物語の中で、冒険に巻き込まれた女の子がガール・スカウトの活動で教わったこの標語に従って行動し、事態を切り抜けていくのが印象的でした。

昨日の福島県の地震ではケータイの緊急地震速報が話題になっていました。しかし、ある方は地震速報より、みんな誰もこれを何も言わないけど大丈夫なのかと、防災技術科学研究所の「日本全国 広域 ・ 最新30日間 の震央分布図」を出してきました。日本列島周辺のある部分が突出して異常なことになっています。

誰も何も言わない。言っても仕方がないし、やたらなことをいうと人心を惑わすだけでしょう。なるようにしかならないとすれば、出来ることだけはしておくしかないというのが今回のケータイの緊急地震速報騒動かもしれません。だって、この震源分布、まさに日本の噴火地震史でこれまでにも数百年,数十年毎に繰り返して起きてきた大地震の巣の中心そのままに見えるのですから。

というわけで急いであるHPを見ました。現在はニューヨークにいる知人に教わった地震予知サイトです。一見すると怪しげですが、実はかなり信用できる情報なのです。ここもやはり危険を感じているようです。ニューヨークの知人いわく、とうとういよいよかも、運動靴を履いて行動するように、だそうですがさてどうなのでしょう。大自然の動きとなるとちっぽけな人間たちはみんな、なるようにしかなりませんなあ。

しかし、とりあえずいつどこで何があっても驚かないだけの心構えくらいはしっかりしておかないと助かるものも助からなくなります。「備えよつねに」これは決して忘れてはならないことだと思います。





今日は半年に一度の視野検査

2010-09-27 09:35:19 | インポート
昨日は日曜日だったので、松本神父様の詳しい病状等、ほとんどわからなかったわけですが、月曜日になってようやく詳しいところが入ってきました。

松本神父様は24日にくも膜下出血で倒れて入院、土曜日に手術を受け、現在予断を許さない状況だそうです。

知り合いにも若くしてくも膜下出血であっという間に亡くなり、ご主人が帰宅して発見されたということもありました。それでくも膜下出血の致死率の高さはわかっていますから、病名がわかった段階でこれは大変と思いました。同時になぜか、行軍中の兵士達が仲間が倒れても、それでも進んでいくイメージが思い浮かび、これは、この軍列は教会だ、イエズス会だ、仲間が倒れても、その場所に立ち止まりっきりではないのだ。前へ、前へ、進まなくてはいけないのだ、と思いました。

松本神父様には元のように元気な姿を見せていただきたいけれど、最後のところは神さまにお任せするしかありません。今は、軍列の一員として前進していかなくてはならないのでしょう。

というわけで、今日は夕方、午後遅く、視野検査の予約があるので言ってきます。緑内障で眼圧をさげるために毎日朝昼晩3種類の点眼薬を使っていますが、同時に月に1度の定期検診と、半年に1度の視野検査があるのです。緑内障は手遅れになると、ほぼ失明してしまう恐い病気ですが,きちんと眼科の治療を受けて,お医者さんの指導に従っていれば今の医学ではそれ以上の進行は抑えていけるのです。ただし、ちゃんと毎日の点眼を忘れてはどうしようもありません。

自分が緑内障になってみて、結構この病気の患者が多いことにも気がつきました。眼科を面倒がらないで、手遅れにならないうちに診察を受けてみるように皆様にお勧めしたいと思います。

写真は貼り方を現在テスト中。修正方法、まだよくわかっていないので、しばらくお待ちを。



緊急手術

2010-09-26 22:29:43 | インポート
今日の夕方のこと、ふと、twitterを開いてみるとカトリック信者の方が、松本神父様が昨夜緊急手術をうけたのでお祈りくださいという、知らせがミサの後にあったことを伝えていた。これはちょっとびっくり、松本神父様には木曜日の叙階式のときに3年ぶりにあって、写真も撮らせていただいて、twitterとtumblrにアップしたばかりではないか。お元気そうだったのに緊急手術で入院とは。

木曜日にはお元気で金曜日の夜は緊急手術。まったく人の命は次の瞬間にはどうなるかわからないものだ。フィリピンにいる知り合いも今,体調を崩していて精密検査を受けている。昔、大きい病気をしているので健康がどうもネックになっているようだ。心配でならないが神様にお任せするしかない。

松本神父様は、年齢等からいって、事故にあったとかでなければ、たぶん血圧血管に問題が出たのかもしれない。頭か、心臓か、いずれにしても容易ならないことだ。心配してどうにかなるというものでもないことはわかっているが、わかっていても心配せずにいられない。最後のところは神さま次第なのだが、何とかしてくださいと頼み込まずにいられない。

とりあえず、明日の昼のミサに行って、情報を探ってみよう。今日は日曜日でどこに電話をかけても誰もいないのだ。明日は夕方に眼科の視野検査で千駄木に行かなくてはならないから一日中出かけていることになる。

それにしてもまったく、いつ何が起るかわからないものだ。

(今、知り合いからメールが来て、松本神父様は土曜日の午後、くも膜下出血でお倒れになったのだそうです。まだ容態はわからないようです。)



お話づくり

2010-09-24 20:47:33 | インポート
こんにちは、マリーで~す。ご無沙汰さんで~す。

猛暑だ、熱帯夜だって言っていたのがうそみたいよね。昔の人が、暑さ寒さも彼岸までって言い伝えていたのは本当だわ。うちのおばはんも夕べは流石に毛布を2枚かけてたわ。あの人って、風邪ひくとすぐに咳がひどくなっちゃうもんだから自分でも用心してるみたいよ。

それはそうと、実は昨日はあの人、四谷の教会のイエズス会の司祭叙階式に出かけてたの。あたしはポーチに入れられてあの人の首からぶら下がって一緒にいたわよ。時々、カメラ機能をつかって式場の大聖堂の中を写真にとってはtwitterに送ったりしてたのはあたしよ。うちのおばはんの左隣に援助修道会のシスターが二人座っていらっしゃったのにさ、おばはんときたら平気で写真撮ってるんだもん、まったく困った人だわ。

あたしのほかにコンデジカメラのキャノ子も一緒だったの。キャノ子は式が終わってからのレセプションの会場のほうを撮ってたのよ。この頃あの人あんまりyoutubeに投稿してなかったんだけど、昨日はキャノ子の撮ったオカリナの演奏とか、神父様と援助修道会のシスターの写真もインターネットで修道院に送ったみたい。でもさ、ちゃんと着いたかどうか心配。うちのおばはんて、相当ドジなんだもんね。

あたしたちは只のおばはんのお供だから、よくわかんないんだけど、昨日の叙階式は祝日だったから、信者や見学の人で大聖堂も満員になるくらいの大きな儀式だったらしいのよ。それでもって、大司教さまと一緒に共同司式に参加した神父様たちも、日本各地はもちろん、海外からも集まってたんですって。

今、twitterでは昔からの知り合いだった神父様がフィリピンに第三修練に行っていて、様子を知ることが出来るんだけど、もう一人、前の四谷の教会の主任司祭で、イエズス会の管区長もした神父様も3年前からフィリピンに行っていたの。それが昨日は育てた神学生だった方たちの叙階式のために日本に戻ってきていたのよ。うちのおばはん、びっくりしてたわ。流石に昨日は大勢の知り合いの人たちと会ったみたいよ。

薄田神父様もいらしたの。薄田神父様が四谷の主任だったころ、いろいろごたごたがあって仕方なく相談したら薄田神父様はその頃の管区長さまだったピタウ師に話してくださって問題が収まったということもあったし、聖歌隊の黙想会を開いた時、テーマを決めて、教会学校の子どもに話すとしたらどういう話をするか、信者のテストをしたこともあって、プロテスタントの信者だった頃は毎週子どものためのお話作りをしていた、うちのおばはんは楽々とその場でおもしろいお話をして見せたの。薄田神父様は、そのときに持っていないものは出せませんよとおっしゃったから、あの人、それじゃ、どんなものを持ってるか見て頂戴ねって思いながら大勢の前でお話したの。そんなこともあって、遠くにいてもちゃんと覚えている神父様だったから、昨日会えて、うちのおばはんもすごく喜んでたわ。

だって、そういうことがあったから、あの人、いくつもお話を書いてみたんだもの。あたしが今こうして、おばはんの代わりにしゃべってるのだって、実はルーツは薄田神父様がみんなの前でお話させてくださったからなのよね。あの人ほんとに会えてうれしかったみたい。

他にも、コンベントゥアル会の山口こんぶ神父様(ネットでおばはんが勝手にそう呼んでるだけで、本当は雅稔神父様って言うのよ)にも、ひさしぶりだったし、懐かしい顔がいっぱいだったの。

というわけで、今月はWagaMaga時代からの知り合いの人たちが関係しているB-1グランプリも終わったし、イエズス会の叙階式も終わったし、今度は来週からちゃんと今後のための自分のまとめの最終章を書かなくちゃいけないのよね、あの人。これがまた面倒な仕事で、考えると頭を抱えるようなことらしいんだけど、がんばってもらわないと困るんだわ。やるっきゃないのよ。

ほんじゃ、またね。






アンデルセンと宮沢賢治

2010-09-21 09:47:54 | インポート
父方が鎌倉時代から中山法華経寺にゆかりのある家だったから、小さい時から親に連れられて度々法華経寺には行っていた。母方も法華経寺の末寺だった寺の代々の檀家だから、子どもの頃、お経と言えば法華経のことだと思っていた。

また、家の近くにはカトリック市川教会の教会墓地があった。幼馴染の家に遊びに行く途中の道の傍らが墓地で、十字架の墓石は印象的だったものだ。

幼年期の環境がそんなもので、おまけに父は実の親がお寺さんだったのだそうだが、確かに世の普通のお父さん達とは一味も二味も違っていて、父自身、世間的な知識はまるでだめな人だったのだが、お金にならないことだったら人一倍よく知っていて、子どもの私にも教え込んだものだ。長女で一番上の子で、顔も親父似の、父親っ子の娘だったから、しっかりと親の影響を受けて育ったのである。

それでどうなったかというと、子どもの頃からお寺さんの姿を見ては、この人たちは一生、神さま、仏様にお仕えしている人たちだ、と思い、一種の憧れを感じて育っていくことになった。子どもの頃は父の出生の秘密など知らないから、お寺さんは一生懸命世のため、人のために修行しているのだとばかり思っていた。

そんな子ども時代に親が買い与えてくれたのが、新潮文庫版のアンデルセン童話集、全3巻と、岩波文庫の旧かなの宮沢賢治の童話、風の又三郎だった。これ、小学年生の子どもに与えるような本かと今なら思うが、ちっちゃいときから本が大好きだった子どもとしては大喜びで読めない文字もなんのその、ちゃんとストーリーくらいは読んでいたのだから我ながら呆れる。

それから、まともな子どもにも簡単に読める本で、銀河鉄道の夜、そのほか、賢治の童話を買ってもらって読んだ。しかし、賢治が法華経の熱心な信者だったとはおとなになるまで知らなかった。

賢治の童話に表わされる、自分を捨てて他者のために尽くす生き方、これは私にとっても一つの理想として心に焼き付けられている。アンデルセンの童話が教えてくれたのは、賢治とは違い、絶対者の前での人間のあり方だったといってよいと思う。賢治の姿勢は自分から動いていくが、アンデルセンの作品の登場人物は絶対者の前にはただただ受身になって、わからなくても頭を下げている。人間の思いを越えた存在があることを教えられるものだった。

そして、この二つが両方とも「信仰」というものにとっては重要なのだろう。

人間が生きていくのは現実のこの世界だから、かなり理想とはかけ離れているのも事実だ。それでも、自分に可能な何らかの形で、理想を追い求めていきたいものだ。

眠りの精

2010-09-21 03:16:07 | インポート
アンデルセンの童話に眠りの精、オーレルゲイエが出てくる。夜になると眠った子供をゆめの世界に連れていってくれるのだ。

だが、大人たちの現実にはオーレルゲイエは存在しないから、夢の国に行くためにはさまざまな就眠儀式が必要になる。

アルコールさんの助けを借りたり、音楽さんに頼んだり、手っ取り早く導眠剤さんに手伝ってもらったりして、なんとか眠りの国に渡ろうと四苦八苦。

でも眠れない時は眠れないのだよ。ましてやうかつに夜に紅茶を飲んだりしては尚更だ。

こういうときは自然に任せて眠くなるまで起きているしかない。その代わり明日の一日はアクビばかりでるんだが。

オーレルゲイエに会えなくても、夢の国に行けなくても、朝になれば新しい一日が始まるんだ。昨日とは違う一日だよ。楽しみじゃないかい。ほら、こころがワクワクしたら自然に眠くなるじゃないか。

小氷河期の到来?

2010-09-21 02:36:19 | インポート
だいぶ前に京都の知り合いから、専門家に言わせると今や小氷河期がいつきてもおかしくないという説もあると聞いて、それでは温暖化はどうなるのだと思ったのだが、どうも現実は温暖化より小氷河期のほうが可能性が高いらしい。

いくら平均寿命が伸びたとはいっても、大自然の変化は人一人の一生よりも遥かに長い時間で動いているものだから、ちょっと見ではわからないのだ。

そして先日は電車の車内広告に、朝日新聞の科学記事から、まもなく太陽が冬眠に入るとかいう話しがでていて、流石にオヤッと思わされたのだった。太陽が冬眠とはなんだ、どういうことだ、と言うわけで検索してみると太陽の黒点の活動が鈍ってきているのだそうだ。

詳しくは知らないがこれが知り合いの言う小氷河期に繋がる原因になるらしい。これが本当だとすると相当大変なことになるはずだ。猛暑の夏でも人が簡単にばたばた倒れ、命を失うことがわかった上、作物の成長にもどんな障害がでるかがわかった。しかし、小氷河期となると、これはもう確実に農作物の不作、へたをすれば飢饉、それも世界的な広範囲のそれが起こりかねない話になる。

日本史に飢饉の記録はいくらでもあるし、世界史をみれば民族の大移動や戦争を引き起こし、人類史で見れば飢饉と疫病はたちまち人口減少をもたらしてきたことを思い出させられる。

その時、どの地域が一番酷い被害をうけるかはわからないが、確かなのは貧しい人たち、弱い立場の人たちにまずしわ寄せがいくだろう。

今の段階であれこれ心配しても仕方がないのだが、今日は昨日の続きで、明日も今日の続き、とばかりは限らないことを心に留めておきたいものだ。

どうもなんとも面倒で難しい問題です

2010-09-20 21:49:05 | インポート
東京カテドラル聖マリア大聖堂で、年に一度教皇大使閣下や大司教様たちの司式による、グレゴリオ聖歌の荘厳ミサがあります。そこで問題は信者の女性はベール着用をお勧めいたしますという注意書きのことです。

日本では一部信者の間でしか、それほどの話題にもならなかった教皇ベネディクト十六世の史上初めての英国公式訪問のときの、教皇様司式のごミサでさえヨーロッパの女性達はベールはつけていなかったそうで、教皇庁からも別段なにもおっしゃってはこなかったといいます。

であれば、今年はぜひこのごミサに与りたいと思っているのですが、たった数時間のためにベールを買いたいと思えないのです。現実問題として、現在の私の暮らし向きは全然楽ではありません。私の場合、パソコンやケータイといった通信費はこれのおかげでようやく20数年にわたるとんでもない話の真実を伝えることが出来たわけで、無駄なお金どころか、一種の自己投資、本当の必要経費です。一般的でなさ過ぎて普通の仕事には結びつきませんが、これがなかったら、今頃もっと大変なことになっているでしょう。ですから通信費にはお金をかけます。しかし、教会の義務でもないベールを無理して買う意味がわかりません。

ミサは神さまと出会う場であって、外見がどうあれ、内面こそ問題なのではないでしょうか。その辺を非常に疑問に思っております。当日は普段着にベール無しでうかがいます。

映画 ちょんまげプリン

2010-09-18 09:58:51 | インポート
先日、別の映画を見に行った時に本編の前の予告編で「ちょんまげプリン」という映画を知った。実のところ日本映画は普段あまり見ないので存在さえ知らなかった映画である。ところが、その予告編がなかなか面白そうだった。何分、元々がSFやファンタジーのファンなのだ。

これは面白そうだと思ったものの、いまやシニア料金適用になった分収入も減っている。毎月好きなだけ何本も映画を見に行くわけにもいかないから、DVDが出てから借りて見ればよいようなものは当然後回しにする。見に行くのは本当に見たいもの、これはっというようなものだけだ。

というわけであれこれ映画案内などを調べ、やっぱりこれが見たいと思ったので久しぶりに新宿武蔵野館に出かけた。ここはシネコンといっても昔ながらの映画館の雰囲気の残る、個人的には好みの映画館だ。同じ、ポップコーンに飲み物でも、ピカデリーのようなおしゃれな雰囲気は全然感じられない。かといって実用本位の恵比寿の映画館のように、館内では飲み物だけというのでもないから、本当に昔ながらの映画館の雰囲気が味わえる。その昔は今は亡き淀川長治氏の時代ではないけれど、幕間の売り子さんたちの姿などはどこにでも見られたものだったのを思い出す。もはや東京であれは見ることも出来まい。懐かしい思い出だ。

で、ちょんまげプリン。これは予想以上に考えさせられる作品であった。

江戸時代の侍が神隠しにあい、現代の東京に紛れこんで、幼稚園児の息子を女手一つで育てているキャリアウーマンと出会って、子どもを助けた縁でその家に引き取られ、一緒に暮らすようになるという出だしで、現代の働く女性の抱える問題、結婚とは、家庭、家族とは、男女のあり方とは、子どもは、などなど現代社会の抱える問題点満載の映画だった。

実際、現実に今の時代はニュースの先をいくように男から女に,女から男に変わらざるを得ない方々や、奥様が会社で働いて、ご主人が家庭の中の仕事をするご夫婦とか、これはもう物語ではなくて現実の話なのである。こういう時代に、社会で、家庭で、学校や幼稚園、保育園で、おとなも子どもも、どのように生きたらよいのか、今、真剣に考えねばならないのであろう。

子ども達を今のままに放置していけば、さらにいじめや引きこもりなどは増えることはあっても減ることはないだろう。父も母も、男として、女として、社会に生きるとき、昔ながらの「家庭」は正常に保たれなくなるのも当然だ。そのとき私たちの未来である子どもはどうなるのだろう。どうしたらよいのだろう。
映画のように簡単にハッピーエンドとはいかないのである。

普通のドコモのケータイだってtwitter

2010-09-17 10:40:00 | インポート
おっはようございま~ふ。うーん、まだちょっと眠いなあ。

あら、ゴメンナサイ。始まってたのね。はじめまして。たしか、あたし、ここは初登場よね。ケータイのマリーっていいます。うちのドジおばはんのお手伝いをしているケータイです。スマートフォンじゃなくて、ごく普通のケータイよ。あの人、今年は契約の切り替えだからスマートフォンにするつもりだったんだけど、おめめのことがあって、新規契約したのはパソコンのデータ通信だったの。だけど、ほら、パソコンて熱に弱いじゃない。今年の猛暑でせっかくデータ通信に切り替えたのに、パソコンのほうが熱暴走を起こしたり、ごたごたして、結局やっぱりあたしがお手伝いしてるの。

今日はねえ、うちのおばはんのtwitterの話よ。あの人、機械には弱いくせに好奇心だけは強くて新し物好きだから、とっくのむかしにtwitterとかtumblrとかも始めていて、tumblrなんか英語ばっかりだから細かいことになるとよくわからなくて四苦八苦してて笑っちゃうわよ。とにかく珍しいもの好きなんだから。

それでもねえ、twitterで何百人も、知ってる人や知らない人、いろいろな考え方の人を見て、すごく勉強になったみたいよ。今朝もねえ、静岡に住んでいる音楽家の方で、ろばさんという方におはようの挨拶をしたら、ろばさん、うちのおばはんだけじゃなくてあたしの名前もマリーたんて呼んで挨拶してくれたの。あたしだってうれしいじゃないの。

それでねえ、ろばさんが他のところで書いていたんだけど、twitterのすばらしさを教えられたり、その限界もみてわかったのはtwitterって人間なんだって。相手次第ってことかな。ちょうど家のおばはんもおんなじようなことを思ってたのね。昨日、twitterで、海外貿易のお仕事をしているkeninterさんという方から、東南アジアにデング熱の大流行の兆しがあるから、その方面の関係者は用心するようにって、ツイートが出たの。
うちのおばはんの知り合いは今フィリピンにいるし、他の方の情報では南フランスでもデング熱が発生してるんですって。交通の発達で地球はどこに行くのもあっという間だから、病気なんかもあっというまに広まっちゃう時代よ。こういうとき、twitterって本当に役にたつわよねえ。

twitterの限界はもちろんあるけどさ、普通のケータイからだってtwitterに参加出来るんだって、もうちょっと広く知ってほしいなって思っちゃったの。ほんでもって、今日はあたしがおしゃべりしてみることになったのよ。ちょうどよかったわよ、この頃、うちのおばはん、別のことで忙しくってあたしの出番ときたら毎朝あの人を叩き起こす目覚まし機能ばっかりなんだもん。あたしだってつまんない。もうちょっとあたしの出番を増やしてほしいって思ってるんだわさ。

ほんじゃあ、またね。