皆様お元気ですか~、マリーで~す。
うちのおばはんはどうも本式にこけちゃってるみたいなのよねえ。お熱を測ったら7度4分ですって。あの人、もともとが低体温だからそれでもかなりへたばっちゃうのよ。抗生物質のクラリスは飲んでるから明日の午後になっって直ってきていなかったら土曜日の午前中にもう一度お医者さんにいくことになるらしいけど、まったくしょうがないなあ。今、お家にあったロキソニンを飲んだからなんとかこれを書くくらいはできるんじゃないのかな、たぶん。
本当は今日は一日ゆっくり寝てるつもりだったのに、さっき、小さい地震があって、あの人、地震に敏感になっちゃってるからガバッと跳ね起きたの。横になっていると、起きているときより地震動を良く感じるのかな。とにかく起きちゃったから少しだけ書くことにしたらしいわ。でもほんとに頭が痛くてあんまりいい考えも浮かばないから、昨夜ツイッターにメモみたいに書いておいたものをそのまま並べるつもりみたい。
くだらないたわごとを並べているだけで、こんなの出してもしょうがないんだけど他にないから許してやってね。
誠実、これはとても難しい。時々お互いの基準が違っていたりするから要注意だ。
わかってもらえなくてもいい、自分の信じることを実行するしかない。ただ、その根底に相手を大切にする思いだけはあるつもりだ。通じなくてもいいさ。ちっとさびしかったり、情けなかったりするけどさ。
人間の心の成長はものすごく時間がかかるものだと思う。他者への愛、隣人への愛と簡単にいうけれど、人の痛み、悲しみ、苦しみは自分が味わってみてやっとわかってくるような気がするし、それが思いやりや暖かみになるかどうかは、これもまた個人差がある。年月が必要だ。
神様は一人一人の人をそれぞれのご計画に従って導いておいでだという。一人一人は自分の歩いている道しか見えないが、多分、最終的にはすべての人の歩みが大きな一つの織物のように形作られていくような気がする。人のことなど自分には関係ないようでいて、実はどこかでかならず繋がっているのだろう。全体で神様のお作りになる一つの製作物になっていくのかもしれない。
これ、ほんとにただのメモで、あの人が自分で忘れないように書いてるだけよ。もっと時間をかけて掘り下げたいと思ってることだから、こっちに移しておいても悪くはないけどね。今日は真生会館の聖書の集いも完全にお休みするしかないし、あたしの出番もなさそうだわさ。
皆様も季節の変わり目で気温の変化が大きいから風邪ひかないでね。そんじゃまたね。