お久しぶりで~す。ご無沙汰続きのマリーで~す。
うちのおばはんときたら今朝、自分のブログを開いて頭を抱えちゃってたのよねえ。普通だったら金曜日に更新して今日は日曜日でしょう。三日めの朝にこんなにアクセスがあるはずないじゃない。思い当たるのは昨日のフェイスブックにあとでブログのほうに書くかもしれないって書いたまま忘れてたあれが怪しい。いやぁ、申し訳ないってんで自分は隠れちゃって、仕事はあたしに押し付けたってわけなのよ。
まったくもう、しょうのないおばはんだわ。昨日ねえ、あの人、上智大学に行って、千代田区と上智大学が一緒に開催した「真田濠の桜の花数調査とミニセミナー」の午後の講演を聞いてきたの。もう古い話になるけど、日本が戦争をしていた頃、広島と長崎に原爆が落とされて敗戦が決まって戦争が終わったのよね。その辺から始まるのよ。
長崎には今もそうだけどキリシタン禁制の時代からの隠れキリシタンの子孫の人たちが、代々ずっと住み着いていて明治になって信仰の自由が認められてからはカトリック教会に戻ってきていたの。ところが、原爆が落とされた時、代々のカトリック信者のたくさんいた浦上地区も、原爆の落下地点に近かったから、本当にたくさんの人が亡くなったし、浦上の大聖堂も完璧に破壊されたの。大勢の被害を受けた人の中に、有名な永井隆という放射線医学の専門家の先生がいたわけよ。この先生もカトリック信者だったの。
実はこの先生は原爆にあうちょっと前に、ご自分の専門の仕事で放射線を浴びてきていたために白血病で余命三年て宣告されていたのに、原爆が落とされてたくさんの人が大怪我をしているのを助けようと自分の病気もかまわずに活躍したのよ。戦争が終わってからは亡くなるまで、残された二人のお子さんと一緒に小さな小さな家で暮らしながらたくさんの本を書いたの。その本の印税や何かで永井先生が植樹した、永井千本桜って呼ばれている桜の二代目の中から二本の苗木が上智大学に贈られたんですって。
そんでもって、昨日はうちのおばはんもその話を聞いてきたわけよ。その時にねえ、浦上教会の原爆で破壊された大きなマリア像の話が出て、そのマリア像はムリーリョの絵のマリア様の姿をモデルに彫刻されたものだったことがわかったの。ムリーリョのマリア様だとあれは無原罪のマリア様じゃないの。うちのおばはんはずっと悲しみのマリアさまとばかり思い込んでいたのよねえ。
だとすると、昔、あのひとが『スタバト・マーテル』っていう物語を書いた時、ブルドッグの子犬の頑固丸のいつもお世話になっている獣医さんの奥さんは浦上の出身で隠れキリシタンの子孫という設定にしたから、浦上教会の原爆で焼け焦げたマリア像の写真を見て登場人物の冬見という女の子がショックを受ける話を書いてるのね。でも、あのマリア像を悲しみの聖母って紹介しちゃってるわけよ。昨日の講演で無原罪のマリアさまだったってわかったけど、修正したくてももうあの人の手元に原稿もコピーも一部も残ってないから無理だわさ。
だいたい、あの人のこれまで書いてきたもので信用して人に渡して行方不明になったものというのは、どれも普通の方ではないお方がお読みになったりしているものばかり。無事なのは初めて書いたものだから当人も大事にしているお風呂ダヌキだけ。これを考えれば嫌でも何かが見えてきちゃう感じ。まあ、いまさらとやかく言っても仕方ないわね。三つ子の魂百までで、多分、あのひと一生こんな調子なんじゃないかなあ。
頑固丸はねえ、藤沢さんという(うちのおばはんのお父さんのお世話になった昔のホンダのえらいひとの名前をとったの)おうちにいるブルドッグの子犬だったの。始めはお父さんとお母さんとお父さんのお母さんにあたるおばあさんの三人の一家だったのだけど、お嫁にいったお父さんとお母さんの娘さんが三人の女の子を残して急病で死んでしまうの。でもって遺された三人姉妹が家庭の事情でお祖父さんとお祖母さん、それにひいお祖母さんに当たるこの家族のところにやってきてからの話を頑固丸が狂言回しというか、話しを進めていく役だったわけよ。今でもうちのおばはんの心の中では頑固丸は元気に生きているわよ。
とにかくそんなわけよ。説明だけじゃわからないって? でもまあ、時間もないし、今日はこのはなしはもうここまででおしまいよ。
ほんじゃ、またねえ。