※ 突然でなんですが、今回は大きな話のごく一部と思って読んでいただきたいと思います。
今、ちょっと頭に浮かんでくるのは来年のゴールデンウイークの頃に上映されるという、水谷豊さん主演の映画「HOME 愛しの座敷わらし」や、昔読んだ宮沢賢治の童話「ざしき童子のはなし」などです。
昔々の子供の頃、農家だった母方の実家にいくと、裏庭に小さな稲荷の社があったのを覚えています。今の東京でも、古い大きな農家だったお宅の庭には鳥居や社が残されています。これは関東地方の場合で、地域が変わると家々で代々祭っている、その家の守り神も変わってきます。その土地、その土地で代々伝えられてきた、土地の氏神さま、それから、各家の先祖代々の家の神さまというのが昔の日本にはいたわけです。今も地方の古い家柄のお宅、いや、東京でも古い古い家柄に連なるお宅にはそういったものの名残が伝わっているかと思われます。
東北の場合、それがざしき童子とかおしらさまになるのでしょう。それは各家の守り神なので、その家の人々を守る存在です。代々、その家で受け継がれ、守られてきた存在で、一見多神教的なものに見えますが、実際はその家を守る精霊とか妖精といったところで、本来のこの世界をおつくりになった絶対者に反する存在ではありません。せっせとそのお手伝いをしている連中のようなのです。
実はあることからそのへんに気がつき、今、カトリック教会のすごさにも気がついて驚いているところです。今の時代は目に見えない世界が疎んじられ、忘れられかけている時代です。だから善霊の働きも悪霊の働きも殆ど信じなくなっていて、その隙に乗じた悪いものが跋扈している時代なのかもしれません。
でも、今回思い出させられたのは、カトリック教会の語る「守護の天使」の存在です。もしかすると太古の昔、シベリアのほうから凍りついた海を歩いたり、南のほうの海を渡ってきたりして、日本列島にやってきたはるか遠い昔の人々が持ってきたのかもしれない、一族の守り神への信心。今の日本人にはほんの欠片ほどしかないのかもしれませんけれど、現実にそれが生きている地域もまだまだあるのです。
その土地の神、一族の神と、天地万物の造り主、唯一全能の父なる真の神は相容れないものでしょうか。大自然の持つ荘厳さをも神の表れと見てきた日本人の感覚と、唯一神を奉じる信仰は相容れないのでしょうか。いや、そうではないはず、大自然の子らともいうべき存在、土地の神、一族の神、家の神と呼ばれる連中は真の神に仕える妖精、精霊だとしたら、それはある意味、日本の守護の天使なのではないでしょうか。
こちらは神学の知識は殆ど持たないど素人のただの信者ですが、ここしばらく、驚くようなことに出会ってこんなことを考えるようになりました。日本とキリスト教を考えていく上で、日本人の魂の根源にあるアニミズムの問題、無視してはいけないのではないかと思っております。