あの水攻めの高松城、蓮の花は
ちょっと早かったけど…
歴史を改めて目撃した気分です。
備中高松城の戦いは、日本の戦国時代におきた戦い。天正10年に織田信長の命を受けた
家臣の羽柴秀吉が毛利氏配下の清水宗治の守備する備中高松城を攻略した戦いである。
秀吉は高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻めとも呼ばれる。
この奇策を提言したのはあの、軍師「黒田官兵衛」だったのですねぇ。
高松城本丸跡
この辺りにはもう少ししたら、蓮のきれいな大きな花が
見られるのですが、今回はちょっと早すぎたようだ
宗治蓮の広がる池です
こんなに大きな見事な蓮が花開くのです(これは、以前撮った写真です)
出来事を完結にまとめて書いてある案内板、英語でも書いてあるぞ!ふむふむ…
その時の様子を詳しく説明してくれていた係の人
秀吉軍が見守る中、宗治は悠々と能の「誓願寺」を一舞披露する。
「誓願寺」とは、菩薩の姿をした和泉式部が成仏する喜びを表現して
舞うという能だ。この「誓願寺」を美しく舞ったのち、潔く切腹したという。
そのあまりの見事な最期に、秀吉も「武士の鑑」と感嘆したといわれている。
奇しくも昨日が本能寺の変信長が明智光秀に討たれて自刃したのだ
秀吉はこの後、中国大返しで秀吉は摂津・山城国境付近の山崎の戦いにおいて
明智光秀の軍を撃破したのは、周知の如くの事実であります。
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