☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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執着から愛情へ。

2005-05-15 | 今日の幸せ
こんな記事を書いたことがあります。

執着/愛着/愛情

自分の記事を読み返して、納得するなんておかしいかもしれませんが、今、執着から愛情へ、という心境です。


今日は午後からお留守番。障害児/者を守る親の会の会長さんがお線香をあげにきてくれました。 去年から会長を引き受けられたそうで、ワタシははじめてお目にかかったのですが、同じ障害児を持つ親同士。 何を話しても、「そうですよね。 わかります。 誰かがうるさいと思われるくらい、この子達の為に声をあげて、やっと行政は少しずつ腰をあげてくれる。 余裕をもって、いろんなサービスを提供してくれることはないですからね。 とにかく自分が亡くなったあと、子供が、ひどい状態でない生活を送れる保証がほしいというのが、どの親にも共通する願いですよね」

しばし、いろいろ話していかれました。

今後いくらかの時間をボランティア活動に当てる予定です。

2七日がすぎて、遠方の友や、いままで遠慮していて、声をかけられなかったという人から、

:落ち着かれましたか? 少しは元気がでましたか?

という電話がやってきます。 その中から2つほど、編集して紹介しますね。

お2人とも親戚に障害のある方がいます。

最初の人。

:これまで充分にやってあげたんでしょう? こういっちゃなんだけど、楽になったじゃないですか。

ワタシ:「充分にやってあげたか」それは自信がないですね。 なんとなく、自分が先に亡くなるだろうから、そろそろグループホームのようなところを捜して、行く末を確かめたいなと思ってた矢先でした。 息子に向って、「うるさい」と怒鳴ったり、「あれほしい」といわれても「ダメ!」といったり、24時間、気にはかけてましたが、それほど、面倒みた。という記憶がないんですよ。

:いや、それがいいんですよ。 そのように普通に接することが難しいんですから。

次の方との会話

:どう、そろそろ少し落ち着いてきた?

ワタシ:一生落ち着くことはないかもしれない。 知り合いのかたで、やはりお子さんを亡くされて7年経っても、洋服や持ち物を捨てられない方がいるそうだけど、私もそうなりそうですよ。

:そうかもね。 経験してみてはじめてわかることって、あるものね。

ワタシ:残しておけるスペースがあるのを幸せと思って、生きてる限り抱えていくことにするわ。 それとワタシの物理的な自由な時間が増えたこととは、切り離すつもりだけどね。

連れ合いが亡くなって1年位たつと、女性は元気になるケース多いですね。 もともと他人ですからね。(^_^;

子供は、特に手のかかる子供は、自分の分身のようなところがありますから、いつまでたっても、手足をもがれたような気持が抜けないのでしょう。

それはそれ、折りにふれ、胸のギュッと塞がる思いがこれからも蘇ってくるでしょうが、いろんな方とお話ししてるうちに、自分の中の執着が愛情に変わっていきつつあるようです。

いつまでも消えない愛情とは何か。 教えてくれた同居人のこと、このblogでは一区切りにします。


そろそろ、みなさんのblogも巡回させていただきますね。