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先進国を見れば、日本の生活保護バッシングは異常事態といわざるを得ない。というのも、たとえば『ハリー・ポッター』(静山社)シリーズの著者であるJ・K・ローリングは、“シングルマザーとして生活保護を受けながら、あの小説を書いていた”というのだ。
そのことについて言及しているのは、雨宮処凜の新刊『14歳からわかる生活保護(14歳の世渡り術)』(河出書房新社)。
もちろん、他国でも「国からお金を貰う」ということが恥ずかしいという思いはあるらしい。だが、そのため海外の政府は「恥をかかなくてもいい制度にしよう」と努力しているという。その一環に、生活を保護する一方で失業後も新しい仕事に就けるよう、職業訓練や就労援助に力を入れている点がある。ローリングが在住するイギリスの場合は、これが「半端じゃない援助」なのだ。
たとえば歌手デビューしたいと思っている人には、日本における福祉事務所やハローワークのような機関がバックアップし、「どうやったらCDを作れるかとか、プロモーションをどこに頼めばいいか」といったことまで、細かなプログラムを組んで援助していく。日本であれば、本書にもあるように「そんな夢みたいなこと言ってないでコンビニで働きなさい」と返されるのがオチだろうが、イギリスでは「そんなことは言わない」。こうした制度のなかから『ハリー・ポッター』は生まれ、いまではその印税で多くの税金を納めているわけだ。
かたや、“生活保護を受けることを恥だと思わなくなったのが問題”というような片山さつきの発言にも明らかなように、日本は「生活保護=恥」「貧困は自己責任」という見方が根付いている。その意識に政治がつけ込んでいる状態だ。本書では、生活保護受給者が増加している背景に、“その手前のセーフティネットの脆弱性”があることを挙げ、「年金政策や住宅政策や労働政策が失敗しているから、生活保護に過重な負担がかかってしまう」のではないかと投げかけているのだが、受給者バッシング以前に、この制度の問題に焦点をあてるべきなのではないだろうか。
さらに、この本では、雨宮が今年1月に札幌で起こった40代前半の姉妹2人が孤立死した事件のルポも綴っている。生活保護を受けられる状態にあっただけでなく、死の淵に立たされていることは誰の目にも明らかだったにもかかわらず、3度も彼女を突き返した福祉事務所の対応には、怒りを通り越して悲しみと空しさでいっぱいになる。「仕事がなくなって収入が途絶えたら。それによって家賃が払えなくなり、住んでいる場所を追い出されそうになったら。病気や怪我で働けなくなったら。高齢になり、貯金も年金もなくて生活できなくなったら。頼れる人が一人もいなかったら」――この雨宮の言葉は、誰もが「いつ」陥ってもおかしくない話だ。
“終身雇用がとっくに破綻し、非正規雇用率が増え続ける”この時代、生活保護の問題は他人事ではない。本書などを通して生活保護について知識を深めることは、きっと“自分の身を守る”武器になるはずだ。
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上記引用に尽きているようにも思います。
市民社会が健全に活動していれば、誰もが最低限度以上の暮らしが出来るはずだ、という前提に立っているのが社会主義以前の社会です。
日本では市場原理というのが良くもてはやされましたが、市場原理が働く前提には、各人の自律性というものがあります。この自律性が崩壊している状態を念頭に置いて、規範的に対応しようとしているのが、憲法25条の生存権です。日本の生活保護法は、生存権の理念を大きく矮小化していますが、現行法上で纏まったものとしては、生存権に対応する憲法下位法であると認めざるを得ないでしょう。従って、生活保護法の解釈に於いては、個人の自律権を最上位の指標として活用することが求められなければなりません。空手形をばらまいて国民を幻想の世界に引きずり込もうとするような衒学的な憲法学を改めていかなければならないでしょう。
各人の自律性を抜きにして市場原理だけを掲げるのは、古くにルソーが警告したように、土地に境界線を引いて、「ここが俺の土地だ」と喚き出すのに似ているでしょう。総じて、人間性を喪失した社会の扉を開くようなものだからです。
先進国を見れば、日本の生活保護バッシングは異常事態といわざるを得ない。というのも、たとえば『ハリー・ポッター』(静山社)シリーズの著者であるJ・K・ローリングは、“シングルマザーとして生活保護を受けながら、あの小説を書いていた”というのだ。
そのことについて言及しているのは、雨宮処凜の新刊『14歳からわかる生活保護(14歳の世渡り術)』(河出書房新社)。
もちろん、他国でも「国からお金を貰う」ということが恥ずかしいという思いはあるらしい。だが、そのため海外の政府は「恥をかかなくてもいい制度にしよう」と努力しているという。その一環に、生活を保護する一方で失業後も新しい仕事に就けるよう、職業訓練や就労援助に力を入れている点がある。ローリングが在住するイギリスの場合は、これが「半端じゃない援助」なのだ。
たとえば歌手デビューしたいと思っている人には、日本における福祉事務所やハローワークのような機関がバックアップし、「どうやったらCDを作れるかとか、プロモーションをどこに頼めばいいか」といったことまで、細かなプログラムを組んで援助していく。日本であれば、本書にもあるように「そんな夢みたいなこと言ってないでコンビニで働きなさい」と返されるのがオチだろうが、イギリスでは「そんなことは言わない」。こうした制度のなかから『ハリー・ポッター』は生まれ、いまではその印税で多くの税金を納めているわけだ。
かたや、“生活保護を受けることを恥だと思わなくなったのが問題”というような片山さつきの発言にも明らかなように、日本は「生活保護=恥」「貧困は自己責任」という見方が根付いている。その意識に政治がつけ込んでいる状態だ。本書では、生活保護受給者が増加している背景に、“その手前のセーフティネットの脆弱性”があることを挙げ、「年金政策や住宅政策や労働政策が失敗しているから、生活保護に過重な負担がかかってしまう」のではないかと投げかけているのだが、受給者バッシング以前に、この制度の問題に焦点をあてるべきなのではないだろうか。
さらに、この本では、雨宮が今年1月に札幌で起こった40代前半の姉妹2人が孤立死した事件のルポも綴っている。生活保護を受けられる状態にあっただけでなく、死の淵に立たされていることは誰の目にも明らかだったにもかかわらず、3度も彼女を突き返した福祉事務所の対応には、怒りを通り越して悲しみと空しさでいっぱいになる。「仕事がなくなって収入が途絶えたら。それによって家賃が払えなくなり、住んでいる場所を追い出されそうになったら。病気や怪我で働けなくなったら。高齢になり、貯金も年金もなくて生活できなくなったら。頼れる人が一人もいなかったら」――この雨宮の言葉は、誰もが「いつ」陥ってもおかしくない話だ。
“終身雇用がとっくに破綻し、非正規雇用率が増え続ける”この時代、生活保護の問題は他人事ではない。本書などを通して生活保護について知識を深めることは、きっと“自分の身を守る”武器になるはずだ。
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上記引用に尽きているようにも思います。
市民社会が健全に活動していれば、誰もが最低限度以上の暮らしが出来るはずだ、という前提に立っているのが社会主義以前の社会です。
日本では市場原理というのが良くもてはやされましたが、市場原理が働く前提には、各人の自律性というものがあります。この自律性が崩壊している状態を念頭に置いて、規範的に対応しようとしているのが、憲法25条の生存権です。日本の生活保護法は、生存権の理念を大きく矮小化していますが、現行法上で纏まったものとしては、生存権に対応する憲法下位法であると認めざるを得ないでしょう。従って、生活保護法の解釈に於いては、個人の自律権を最上位の指標として活用することが求められなければなりません。空手形をばらまいて国民を幻想の世界に引きずり込もうとするような衒学的な憲法学を改めていかなければならないでしょう。
各人の自律性を抜きにして市場原理だけを掲げるのは、古くにルソーが警告したように、土地に境界線を引いて、「ここが俺の土地だ」と喚き出すのに似ているでしょう。総じて、人間性を喪失した社会の扉を開くようなものだからです。