朝の地震。いつもより少し長く横にゆらゆら揺れました。そのときわたしがとった行動といえば、なぜかテレビを消して、次に、台所のストックヤードの棚に並んでいる梅酒のビンや梅干しの瓶を押さえるという、オマヌケなものでした。震源地が大阪ということで、オカーサンにすぐ電話。夫の実家は大阪南部なので、今回は震度4でしたが、やっぱりあまり経験のない地震だったようで、オカーサンは電気のブレーカーだけおとして、裸足で外に出たそうです。普段あまり弱音をはかないオカーサンが「こわかった」と言っていて、やっぱり一人では心細かったのだろうなと思いました。
ガクあじさいとアガパンサス
すぐに山形の妹から電話があって「水と食料を蓄えておかないといけないよ」と言われました。ヨガのレッスンを受けている最中には、仙台のおじさんが心配してケータイに電話をくれました。どちらも東日本の地震を経験して記憶に新しいので、自分のことのように思ってくれているようでした。
妹のアドバイスに従って、とりあえずお水を買いに行き、12リットル確保(まだ足りない)。すぐに持ち出せるように、「大事なもの袋」も用意しておかないといけないなぁ。
昨年のひまわり畑(玉城町)
土曜日。夕方に夫とご近所の散歩。わんこのお散歩タイムに田んぼのなかを歩いて、いろんな知らない人とごあいさつしました。そして、電車を撮ったり、カモを眺めたり、畔に咲く草花を観察したりのゆらゆら散歩。
きれいに草刈りされているのにアザミだけは咲いている もしかして残してる?
夏の花、タチアオイも咲いていました。岩手の実家の庭にもあって、夏休みに、花びらをすこし剥いて鼻の頭にペタンとつけて遊んでいたのを思い出します。ニワトリのとさかに見立てて「コケコッコー」と鳴くのです。夏真っ盛りの花のイメージだけれど、三重では6月に咲いちゃうんだな。
先日観たターシャテューダーの番組では、タチアオイの花でドレスと帽子を、そして顔はつぼみで作って、本当に可愛らしいお人形ができあがっていましたよ。はるか彼方に少女だったわたしでも乙女ゴコロをくすぐられる遊びでした。
懐かしすぎる
ウチのつい目と鼻の先に、ねむの木の花が咲いているのも発見しました。西日を浴びて輝いています。ねむの花を見るとちょっと切なくなるのは、どうしてだろう。
母を思い出すんだな
誰にも収穫されずに大きく実ってそのまま熟した梅の実や、ついこの間まで花が咲いていた栗の木に小さな青い実が生っているのも見ました。我々には、この梅がそのまま落ちてしまうのがもったいなくてしょうがなく思えます。「アラァ、立派なのに」と、どうしようもないことで、どうでもいいことをひとしきり嘆息して、一時間ほどの散歩が終了。
おっきい
ちっちゃい
3、4キロしか歩いていないのに、夫婦ともに体力のなさを実感したのでした。日曜日は、この倍の5、6キロ歩いて江戸時代の豪商のお屋敷を訪れたのですが、そのお話はまた次に機会に。
妹よりサクランボ届く キラキラのつやつや
ガクあじさいとアガパンサス
すぐに山形の妹から電話があって「水と食料を蓄えておかないといけないよ」と言われました。ヨガのレッスンを受けている最中には、仙台のおじさんが心配してケータイに電話をくれました。どちらも東日本の地震を経験して記憶に新しいので、自分のことのように思ってくれているようでした。
妹のアドバイスに従って、とりあえずお水を買いに行き、12リットル確保(まだ足りない)。すぐに持ち出せるように、「大事なもの袋」も用意しておかないといけないなぁ。
昨年のひまわり畑(玉城町)
土曜日。夕方に夫とご近所の散歩。わんこのお散歩タイムに田んぼのなかを歩いて、いろんな知らない人とごあいさつしました。そして、電車を撮ったり、カモを眺めたり、畔に咲く草花を観察したりのゆらゆら散歩。
きれいに草刈りされているのにアザミだけは咲いている もしかして残してる?
夏の花、タチアオイも咲いていました。岩手の実家の庭にもあって、夏休みに、花びらをすこし剥いて鼻の頭にペタンとつけて遊んでいたのを思い出します。ニワトリのとさかに見立てて「コケコッコー」と鳴くのです。夏真っ盛りの花のイメージだけれど、三重では6月に咲いちゃうんだな。
先日観たターシャテューダーの番組では、タチアオイの花でドレスと帽子を、そして顔はつぼみで作って、本当に可愛らしいお人形ができあがっていましたよ。はるか彼方に少女だったわたしでも乙女ゴコロをくすぐられる遊びでした。
懐かしすぎる
ウチのつい目と鼻の先に、ねむの木の花が咲いているのも発見しました。西日を浴びて輝いています。ねむの花を見るとちょっと切なくなるのは、どうしてだろう。
母を思い出すんだな
誰にも収穫されずに大きく実ってそのまま熟した梅の実や、ついこの間まで花が咲いていた栗の木に小さな青い実が生っているのも見ました。我々には、この梅がそのまま落ちてしまうのがもったいなくてしょうがなく思えます。「アラァ、立派なのに」と、どうしようもないことで、どうでもいいことをひとしきり嘆息して、一時間ほどの散歩が終了。
おっきい
ちっちゃい
3、4キロしか歩いていないのに、夫婦ともに体力のなさを実感したのでした。日曜日は、この倍の5、6キロ歩いて江戸時代の豪商のお屋敷を訪れたのですが、そのお話はまた次に機会に。
妹よりサクランボ届く キラキラのつやつや