唐突なタイトルで驚かれた方、あああれか、と思われた方おられるでしょう。
先日たまたまテレビで途中から観た番組です。再放送のようでした。
乳がんを克服された女性ディレクターが、実の母親の認知症の過程を追った1200日の記録。
これは私の年では他人事ではなく、涙なしでは観れないお話でした。
途中からみたので最初の方はわかりませんが、どうやら女性が何年も前に乳がんになった時、当時70代だったお母様に支えられ、復帰されたような流れでした。
元気だったお母様は80代に入り認知症を発症。
徐々に曖昧になって行く自分の思考や記憶。それに気づいて苦悩される日々。
ボケてしまうまで、ある時には正常に判断できるのに、ある時には全くわからなくなる。
その葛藤を見ているだけで苦しくて、何度もチャンネルを変えようと思ったのですが、眼をそむけることができませんでした。
それが広島の呉市の方の話で、方言が実家の方に似ていて、こころに響いて来たという事もありました。
東京の人には分からないと思いますが、方言というのは東京弁には置き換えられられないものがあるんですよ。
お元気な時の様子を見ると、おしゃれで聡明で明るい方のようでした。
ある意味プライドを持った方、そんな自分が壊れて行く事がふがいなく、悔しくて、死にたい、殺してくれと叫ぶ母親。
私は自分の母親とそして自分自身を重ね合わせてしまいました。
そんな母親を支える95歳という高齢のご主人。耳が遠く歩くのが少し不自由ですが、頭はしっかりしておられる。
家の事は全くしない、できないご主人が、ご飯を作ったり洗濯物をしたり。
壊れて行く妻を時に厳しく叱りつける。
どんな人も老いや病気を避けて生きていく事は出来ませんが、私が一番恐れるのはボケる事かも知れません。
ボケれば死ぬ事に対する恐怖もなくなる、と言いますが、本人はそうかもしれないけれど周りが大変です。
しかし、慈しみ支え、育て上げてくれた親がそうなった時に、それを何とか支えて行くのが恩返しでもあります。
自分がボケたら、施設に入れてくれ、と今のうちから話してはいますが。
最後のシーンはそんなご夫婦が、お互いを気遣いながら歩く姿でした。
それで、とある映画を思い出しました。
君に読む物語。少し前に観たので詳しい解説は出来ませんが、認知症の妻と向き合う夫の涙なしではみれない映画でした。
認知症は、怖い。病気も怖いけど。
病気ひとつしないで、ボケないで、最低80歳くらいまで生きてぽっくり死ねたらいいなあ。
人は母親から生まれ、色んなご縁と巡り合って、そしてどんな人も例外なく老いて死んでいきます。
老い方、死に方は選べないですもんね。
今一度自分を見つめ直さないといけないなあと思った訳で。
新米でもないし仕事もしていないのに、五月病を発症しそうな雨の朝。
どうも私は色んな事に感情移入し過ぎるんですよね。これもある種の病気なんですけどね。
東京はひと月戻ったような寒さです。どうぞ体調にお気をつけて。
感謝をこめて
つる姫