今日は長くなりますが、その前に、今日はこたろうくんのおうち記念日。
5年前の今日、小雨模様の日。
運命的な出会い、その日のうちにおうちに来てくれたこたろうくん。
出会ってくれてありがとう。
ちょっとお花がしょぼいですが、留守中ご近所さんに水やりをお願いしていたお花のひとつです。
こたろうくんもなんだかちがうわんこみたいに、しょぼく写っちゃいました^^
今日の自由研究は、実家から歩いて3分ほどのところにある、○○庵の33年に一度の御開帳のお話。
○○でごめんなさい。色々事情がありまして。
実は、この御開帳、本来は去年行われる予定だったそうですが、コロナで延期になり、今年の御開帳となったそうです。
その本堂は町のメインストリートの(大したストリートではないです)裏の細い道を少し上がったところにあったのですが、子どもの私には、お祭りなどのない小さな庵には全く興味がなく、年に一度か二度の「かんのんさん」の掃除に行かなければ、と、親が話しているのを聞いたことがあるだけで、一度もその本堂に行ってみた事はありませんでした。
そこから50年後くらい経った頃、帰省した折りに初めてその古い庵を訪れました。
その頃の私は、手術後の心身の不調で、やり場のない思いで神仏にすがるような日々だったと思います。
まずは、四国八十八か所をめぐり、都内七福神巡りをなるべく徒歩で歩き、弘法大師を辿る旅にもでました。
草がぼうぼうと生えた細い道を上ると、ぼうふらの湧きそうな手水には苔がこびりつき、裏淋しいという言葉がふさわしい場所でした。
朽ち果てそうな本堂の、小さな階段を上がって、ホコリで汚れてくもったガラス戸をのぞいてみると、本尊の観音様の扉は閉ざされたままで、周りの調度も埃にまみれたように見えました。
ネットで調べても、そこが火災の禍にご利益がある、という事だけで、詳しい事は出てきません。
確か旅の途中の僧侶が、夢のお告げでこの場所で観音様を彫って祀った、、というような事が書かれてあり、一度建立された寺が荒れたので、どこかのなにがしが再建したが、その後弘嘉、火永の火災で焼失したそうで、今ある本堂はその後にまた新たに建てられたもののよう。
しかし、焼失したのは本堂だけで、御本尊やその周りの仏像は残っていたのでしょう。
幼い頃は、観音堂の下の細い道は、幼稚園や小学校に通ったり、友達の家に遊びに行く道。
観音様を意識したことは、一度もありませんでしたが、今の私は、年が33年に一度の御開帳と聞き、とても興味を持ちました。
しかし、5月に父の四十九日で帰省したばかりでしたし、わざわざ敢えてそのために帰省する事も、コロナ禍でもあり憚られていたのですが、お導きというか縁というか、この時期に帰省せざるを得ない事態となり、それならばその日に合わせて帰ろうという事で、法要の前日に帰省したという流れでした。
翌日の法要。
今年は、地区の人の順番で弟がこの行事の世話役の一人になっており、午後の法要の前に本堂や周りの清掃に行きました。
午後の法要には、近隣の方が十数名集まってこられました。
33年に一度の御開帳でも、このような機会に訪れてみようと思う方が少ない事に驚きました。
御開帳と施餓鬼法要を同時に行い、小一時間の読経や御詠歌で、法要が終わると、参列された方たちは、本堂に上がり、観音様を間近で見る事が出来ました。
普通なら写真はNGなのですが、今回の方丈様は、全然OKですと言ってくださり、私も何枚か撮影させていただきました。
ただし、これはここに来た人だけ会えるものだと思うので、お顔は隠しました。
法要の時、私は外の椅子に座っていたのですが、観音様が真正面に見える場所にいました。
顔を上げて観音様の顔を見た時、大きな衝撃を受けました。
今まで見た観音様のイメージとは全く違うお顔。
その目は見開いておられ、とても力強い眼力でした。
目が合った時の衝撃、今も心の中にしっかりと焼き付いています。
しかし、不思議な事に、撮った写真をみるたび、同じ写真なのに、そのお顔や眼力に違いがあるのです。
見る時の自分の気持ちが、反映するのでしょうか。
本当に貴重な体験をさせていただきました。
弟が、この法要を絵に描けば?と提案してくれましたが、私には敷居が高すぎます。
そのうち描ける日が来るかもしれません。
何故に33年なのか、調べてみましたが、観音菩薩が三十三の姿に変身して衆生を救う、という話に由来するものだそうです。
また、秘仏となる理由としては、
などという理由があるようです。
因みに後は、48年、そして60年に一度、という御開帳もあるようです。
次回の○○庵の観音様の御開帳、私が生きて見られる可能性はゼロではない範囲です。
爆
法要の間、本堂の隣の供養石のところが、スポットライトを当てたように光を浴びていました。
不思議な光景でした。
神や仏に対する想いはひとそれぞれですが、このような機会に立ちあえた事、とてもありがたいことでした。
この庵の詳しい歴史を知る人も、この大切な文化財を守っていこうと思う人も、ほとんどいないという話です。
弟は、自分が引き取って守りたい、というような気持にもなっているようですが、その想いを数少ない若い人たちにも持ってほしい。
それが何になるかと聞かれたら、明確な回答は出来ないかもしれませんし、価値観の違いがあるのは当然です。
しかし、申し訳ないですが、自分の故郷に、いまだけ自分だけ、の人たちの多い事を、とても残念に思います。
人生のわずかな時間しか住んでおらず、この先も住むことのない私が言う事ではないですが。
翌日、母と面会した時に聞いたら、33年前の御開帳に参加したそうです。
その頃、私は星条旗の国にいたはずです。
長くなりました。
校正などしないので、文章がおかしかったらごめんなさい。
また、いつものことですが、すべて私個人の感想を書いております。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫