ぼちぼち夏休みの絵日記、ならぬ写真入り日記をしたためようとは思いますが、実家での12日間は、本当に濃いものでした。
とはいえ、敢えて出かけたと言えば、母の特養と近くの庵の法要、そしてこたろうくんのお医者さんだけですが。
今日のところは、先日触れた福山城の事を今一度調べ直したので、備忘録として書いておきます。
福山城の築城が始まったのは、1619年(元和5年)だそうです。
元号が元和だったのですね。
その400年後の令和に大普請、ここにも縁を感じます。
当時の幕府から命を受けた、水野勝成が初代福山藩主として入封したときだそうです。
西国陳衛の拠点になるべく、主に毛利氏をはじめとする西国の有力外様大名の監視と抑制を期待されていました。
また、この福山城は、江戸時代に大規模な新規築城が行われた最後の城であり、日本における城郭建築の完成形であるとも評価されています。
その後の福山城は、幕末における戦闘の舞台となり、明治時代は建物の取り壊しが行なわれ、さらに1945年(昭和20年)には空襲による戦火で焼失。鉄筋コンクリート造で、1966年(昭和41年)に復興されました。
福山藩初代藩主・水野勝成は、戦国屈指の武将で、主だったところでは「小牧長久手の戦い」に参戦し、「関ヶ原の戦い」では、本戦には参戦していませんが、西軍の拠点のひとつだった「大垣城」を攻略。
その後も、剣豪「宮本武蔵」らを傘下に従えて大坂の陣に参戦し、さらに晩年には、江戸時代最大の戦乱「島原の乱」にも本州の大名として唯一馳せ参じた武将だったそうです。
私が幼い頃は、お城に隣接して小さな動物園みたいな場所があったような記憶があります。
孔雀を見て感動。
確かお城の周りの敷地に、時々「木下大サーカス」が巡業で来ていました。(昭和の人なつかしいでしょ)
中でも、オートバイが、円形の鉄枠?の中を走る演技が印象に残っています。
音がすごくて、子どもの私は耳を塞いで観ていました。
空中ブランコ、ハラハラ。懐かしい。
菊人形展みたいな催しもあったような。
あの菊人形、怖くて嫌いでした。
よき昭和の思い出ですが、幼い頃は、お城なんかには興味がなく、動物園とサーカスが福山城の思い出のようなものでした。
日本のお城のほとんどは、戦火などで一度は消失したり、そのまま城跡だけが残っているものが多いです。
何とももったいない事だと思います。
城は平和の象徴ではなく、どちらかと言えば真逆のようなものかもしれませんが、その歴史を知るのは、大切な事。
良くも悪くも先人たちの行いを知り、その過去があっての今だということも。
私の七福神巡りはとん挫していますが、そろそろ旅に出て、各地のお城を訪ねてみるのもいいかなと、旅の虫が騒ぎ始めています。
ざわざわ。
この春、4月15日、父が危ないと聞いて駆けつけた日。
待ち時間に、こたろうと修復中だった福山城の下を歩いていました。
藤棚の藤の花が綺麗でした。
その15時6分。父が逝ったと弟から電話がきました。
福山城の動物園やサーカスに連れて行ってくれた父。
この場所に、もう一つの思い出ができた令和4年の春。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫