昨日9月8日は母方のおばあちゃんの命日でした。
少し前までは意識の中にあったのですが、昨日は朝の時点ですっかり忘れていました。
ロッキーの命日は忘れたことがないのに、本当に祖母不幸者、になるところでしたが、何故か漠然とお墓の事を考えていて、ふと思い出したのです。
おばあちゃんが亡くなった日は日曜日で、この辺りのお祭りでした。今年もそのお祭りの真っ最中です。
私はその時、自宅から徒歩1分くらいのところでアルバイトをしていました。
携帯の着信に気づかずにいたら、日曜で休みだった主人が、ぼさぼさの格好で、広島の婆ちゃんが亡くなったと知らせに来てくれました。
私は、3日後くらいに同級生たちとのカープ戦観戦の約束があり、チケットを預かっていましたので、宅急便で友達の家に転送し、おおいそぎで実家に行く支度をしました。
娘のバイトを早めに切り上げてもらい、新幹線にのり、なるべく近い駅までたどり着き、そこからタクシーで実家へ。
新幹線で3時間20分、そこからがバスも電車もなくて大変な私の実家についたのが何時だったか記憶にありませんが、お通夜は当然終わっていました。
しかし、その時すでに私の息子は実家にいたのです。
なんと、息子が前々からおじいちゃんの家に行く事に決めていたその日に、ひい婆ちゃんが亡くなったのです。
息子が訃報を聞いたのは、まさにこれから広島に向かう新幹線に乗ろうとしていた、駅のホームだったそうです。
なので、息子はお通夜にも普通に間に合っていました。
その頃の息子はまだ学生で、フーテンでした。ヒッチハイクの旅などに出ていれば、お葬式にも間に合わなかったどころか、どこにいるのかすら、わからんかったでしょうね。
おばあちゃんは若くして、病気と戦争で二人の夫を亡くし、4人の子どもを一人で育てた人でした。
私はおばあちゃんが大好きでした。
お婆ちゃんが亡くなる3ヶ月ほど前に、施設にいるおばあちゃんに会いに行きました。
大柄でふっくらしていたおばあちゃんは、他人かと思うほど痩せて小さくなっていました。
ボケて私を認識しているのかどうかもわからないような状態でした。
起こして、というので身体を持ち上げようとしたら、イタイ!!!と叫び、横に戻したら、なんか食べさせて!!と叫ぶ。
訳の分からない事を繰り返すばかり。
私はどうしてよいかわからなくなって、すぐ戻るから、待ってて、と嘘をついて、その場を離れようとしました。
どうせ、もう私の事なんか認識していないんだ…そう思った時、後ろからおばちゃんが大きな声で
「つるこ!!??」と私の名を叫んだのです。
びっくりしました。
わかったの?気が付いたの?
後で思えば、おばあちゃんが私の名を呼んでくれたのは、それが最後でした。
おばあちゃんは色黒で深い皺があったのですが、長い施設の生活で、色も白くなり、皺も少なくて綺麗な顔になっていました。
何の悔いもない安らかな顔でした。
お葬式の後、滅多にそろわない娘と息子と三人の素晴らしい時間がありました。
おばあちゃんがくれた最高のギフトだと思った。
冬の早い田舎の田んぼはもうすっかり黄金色。
成長した子どもたちが並んで歩く後姿を見た時に、なんとなくほろり。
娘も息子もまだ学生だったんだ。
一年後、2014年。私は18切符で旅をしながら、おばあちゃんの一周忌に向かい、前の日におばあちゃんが住んでいた街に泊まって、翌朝早く法事に向かう前に、おばあちゃんの住んでいた家まで歩いてみました。
おばあちゃんとの思い出とともに沢山の事が甦り、今の自分がそれまでの人生の中で一番幸せだ、と感じたのです。
おばあちゃんちから、駅に続く懐かしい道を歩き、何故か心からそう思えた。
一周忌の法要をすませ、東京に戻り、二ヶ月後に心臓病が発覚しました。
一番幸せ・・・そう思った矢先の、まさかの事態。天国から地獄に落ちた秋でした。
年明けは娘の成人式、それが終わってから手術をすることに決めたのです。
三回忌は手術したその2015年。
術後8ヶ月、大丈夫そうだったので、法要のために帰省しましたが、体調が悪くなって法要には行けませんでした。
行くんじゃなかった。親兄弟に心配かけるだけの帰省になってしまったと、とても後悔しました。
その帰省から東京に帰宅した後、ロッキーの具合が急速に悪くなったんです。
今年でまる五年。お婆ちゃんのお墓は実家からはだいぶ離れた山の中にあり、帰省しても簡単に行ける所ではありません。
おまけに、言っちゃなんですが、お墓を管理しているお寺の住職さんは、人として最低な部類。極楽に行けるのかしら、と思うような方。お墓を移動するという話も出ていますが、墓じまいトラブルにならないといいのですがね。
墓じまいってもの凄く大変そう。
それはもともと知ってた理由ではないですが、私は「墓は要らない」。
あるのに行けないのはとても心苦しいものだし、お墓をまもってくれる子孫がいなくなった時はどうするのか、などとも思います。
しかしお墓があって、そこに子孫や親類縁者が集まるのは、とても良い事だとも思います。
法要にしても、滅多に会えない親戚が集うのは、故人の計らいのような気もします。
それが命の繋がりというか、人が生きていた証というか。
が、やっぱし墓はいらん。
ところで、戒名がないと極楽に行けないの?
と思って今ちょっと調べたら、戒名がないとお墓に入れてもらえないそうなので、墓に入らないんだから戒名もいらないってことで、極楽や天国に行けるかどうかは、関係なさそう。
戒名つける時も、生きていた時の社会的地位とかによってランクが違うんだとか。
社会的地位ないから、下の下の下、でしょうね。ゲゲゲのゲ~~。
そういうのみると、結局生きている人の都合のような気もしますが、人それぞれの考えですからね。
それで、生きている人の気持ちがすむならよいのでしょう。
おばあちゃんは享年100歳でした。
幼い頃からおばあちゃんにはいつも「100歳まで長生きしてね」と漠然とそう言い続けてきました。
その通り、おばあちゃんはきっちり100まで生きて、蝋燭の火が燃え尽きて消えるように亡くなりました。
最後まで世話をしてくれた娘(私の母)の目の前で、息を引き取ったそうです。
朝焼けの美しさを思い出し、祭りの太鼓の音を遠くに聞きながら、色んな事を思いだしたおばあちゃんの命日でした。
いつまでも、長い髪をしている私に、母は帰省するたびに、その髪をそろそろ切れ、と言います。
でもおばあちゃんだけは、長い髪を最後まで褒めてくれていました。
今日もそろそろ太鼓の音が聞こえてきそうです。
秋のお祭りとおばあちゃんとロッキー。関連して思い出す今日この頃。
素敵な一日になりますように。
感謝をこめて
つる姫
(ブログ開設から2611日)