辛抱、我慢の次は、我慢のできる量を袋にたとえていう語、「堪忍袋」の話。
堪忍というのは、怒りを抑えて、人の過ちを許すことや、肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。
昨日の話からすると、堪忍袋は、我慢の許容を越えた時に、緒が切れて爆発するようなものでしょうか。
でもね、この堪忍袋の事を書こうとしたときに思ったんです。
我慢とか辛抱とか、堪忍袋とか、そういう感覚や感情や袋は、そもそも持っていない方がいいのだと。
何かがあっても受け入れれば、そんなものに感情を振り回されずに生きていけるんです。
不平や不満を思うのが辛抱、我慢の始まりだと。
堪忍袋の許容範囲は大きければいいってものでもなくて、そもそもない方がよくて、あったとしても風通しのよい穴が開いてるとか、せき止めるもののない流れのようなものであればいいんじゃないかなって。
不満も怒りもなく暮らしている人なんていないかなって思うんだけど、こないだの好転反応の時に書いたように、自分にとって都合の悪い事は永遠には続かないんですよね。
さらりと受け止めて、粛々とわが命を生きる。
不平や不満で心を満たし乱して、辛抱とか我慢とかの感情が襲う。
しかしながら、人生は楽しまないとという言葉は、言葉通りの軽い意味でもないと思う。
自分の快楽のために人に迷惑をかけてもいいって話でもない。
なので、やっぱり辛抱や我慢というものはないといけないんだけど、それが苦行であるのはしんどい。
堂々巡りですなあ。アハハハハ。
好転反応の事を意識して以来、色々な言葉がこころに浮かんで、そして沈んでいきます。
言えることは、自分の気持ちをやりくりしつつ、出来る範囲で人生を楽しみたいってことですか。
HSP、サイコパス、エンパス、そして多様性。
人間は大変だあなあ。
ボクちゃんは、ワンコでよかったワン♪
よい週末をお過ごしください。
感謝をこめて
つる姫