☆つる姫の星の燈火☆

#362 喪中

今日書く事は、マナーの先生や有識者の方には、失礼かと思いますし、つる姫のおバカをさらす内容になると思いますので、それを踏まえてお願いします。

 

父が亡くなり、いまさらながら、喪中の過ごし方についてちょっと調べてみました。

喪に服するというのは、お祝い事、慶事などへの参加を控えて、身内の死を悼み冥福を祈ることなのだそうです。

死の捉え方も、神と仏では違うようで、死を穢れと捉えるものとそうではないものがあるとか。

死は穢れなので、身内が亡くなって一年は、喪に服し、お祝い事や派手な行動を慎む、というような。

私は、古くからの伝統みたいなものを否定する気はありませんし、そういうものだからそれに従う事は、間違いではないけど、確かに合理的ではなかったり、時代にはそぐわないものも少なからずあります。

よくよく調べてみたら、喪中の間は、お祝い事は控える、と書かれていて、孫の七五三のお祝いも、本当ならするべきではなかったのか、とも思いました。

私は、亡くなった父も喜んでくれるだろう、位にしか考えておりませんでした。

もしも私が、知識人で頑固な人間だったら、今年は父が亡くなったから、お祝い事には出ません、と言ったのでしょうか。

かなりひねくれた事を言っているような気もしますが。笑

 

お正月には、孫たちも来て、にぎやかに過ごせそうですが、ついついあけましておめでとう、と言ってしまいそうです。

でも、罰は当たりませんよね。

父は、変わり者でしたし、あまり家族そろってお墓参りをするような人ではなかったです。

しかし、お彼岸やお盆ではなくても、一人でお墓に出向いていた事はあったようです。

故人を悼むのは、盆やお彼岸だけではない、と思っていたのでしょうか。

私も、お墓には、墓石と骨しかない、と思っている人ですから、なんとなく気持ちはわかります。

いいえ、決してお墓を否定してはいません。これ私の常套句ですけど笑

立派なお墓に入れるのは、それなりの人だと思います。皮肉でも何でもなく。

私は、撒いてもらう予定ですが。

 

世の中には、黙って従うべきルールもありますが、それぞれの人の心まで制限することは出来ないでしょう。

私は、父の死を心から悼み、いまだに涙しますが、父は、私が元気で笑顔で暮らしていくことを、望んでいたと思います。

 

喪中につき新年のご挨拶をご遠慮させていただきます。

これまで何度か、この感情のないはがきを受け取ったときの、違和感というか謎感。

まあ、そういうものなのか~と、受け流してきましたが、自分の親が亡くなったことで、やっと溜飲が下がりました。

もちろん、私個人の考え方ですし、故人の亡くなり方にもよると思います。

父との関係や想い出、父の最期の姿。

昨日も申しましたが、命のリレーは続きます。

私が死んでも、生きている者は楽しく幸せに暮らしてほしい。

死んで喜ばれるのもあれですが。

 

新年のご挨拶位は、つつましやかにさせていただきます、おはよう、こんにちは、こんばんはの代わりに。

何より大切なのは、相手への忖度や斟酌や配慮、信頼関係ですね。

社交辞令も大切ですけども。

そういえば、メリークリスマス、も言っちゃったわ。

もう遅い。

 

最近、こたろうくんにお友達が出来ました。

まず、ワンコ同士の相性が一番ですが、飼い主同士の相性もとても重要。

初めて会った日に、深い話をしてしまう人もいます。

わんことの運命の出会い、話が出来た飼い主さん、決まってその言葉を口にされます。

運命だと諦める、という言葉はありますが、縁が運命の始まりかも。

人生は、縁がすべてと言っても過言ではないなあ、と、そんなときつくづく感じます。

それが、動物であれ場所であれ物であれ。

最初のご縁は、親。

生まれて来れて、ここまで生きて来れたのも、すべて縁のなせること。

特定の宗教は持ちませんが、私の考えは。基本仏教的なのでしょう。

2013年です。

私と同じ誕生日が縁で、おうちにやってきたロッキーとの最後の年末。

そして多分、この家族で写した写真も最後かな?

 

わけわからん記事、最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝をこめて

つる姫


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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