☆つる姫の星の燈火☆

#2245 孤独

先日、お友達のブログで、もとNHKアナウンサーの下重暁子さんの本の事を知りました。

タイトルは「極上の孤独」

ちょっとネットで立ち読みしただけで、全部読んだわけではありませんので、これから書くことは、本の感想ではなく、ずっと考えてきた事と、この本のタイトルを見て思った事ですのでご了承ください。

 

孤独、という言葉の響きは、憐れとか悲惨とかマイナスなイメージが強いように思いますが、どうでしょう。

孤独死などという事は、今に始まった事ではありませんが、古い言い方ですけど、核家族、のなれの果て、とでも言いましょうか。私としては他人事でもないのですが、それがその方にとって、最悪の死、とも言い切れないのではないかな、という気もします。

ただ、私の永遠の恋人(笑)星の王子さまのように、人は消えてなくなる事は出来ませんから、抜け殻をどうにかしてもらわないといけないし、正真正銘の天涯孤独でもない限り、その死を悲しみ、悼む人もいるはずです。

人間って、人と関わらずに生きることはできない。

というか、そもそもその生命は突然降ってわいたものじゃないのだから。

好きで選ぶ孤独もあれば、そうではない孤独もあるでしょう。

孤独を極上と言えるには、健康はもちろん、衣食住に困らない程度のお金も必要ですよね。

 

話がずれていきますが、そもそも私が群れる事を特に嫌い始めたのは、結婚してお母さんになり、ママ友とかいう人間関係を経験した事が大きいようにも思いますが、もともと仲間といても、一線を引いているような所はあったように思います。

噂話やいない人の悪口を言うとか、秘密にしてねと言っても、守ってくれないとか、そういう些細と言えば些細な、女性特有のものを、私はあまり持ち合わせていなかったのです。

時に周りに合わせて、そんな話に加わる自分を嫌になることも、ままありました。

そんな私は、きっと蔭では悪く言われていたように思います。

自分の正義を貫きたくて、融通が利かない所がありますから。

親戚づきあいも、ママ友づきあいも、集団の中で孤独でした。

特に子どものためのお付き合いから解放されたときの清々しさ。

きよきよしさではありません。

それは、防弾チョッキを脱いだ時のような気持ちでした。

防弾チョッキ、着たことはありませんが。

 

いま、たまたまPCで観ている「凪のお暇」という、漫画が原作の連続ドラマがあります。

私の状況とは違いますが、何もかも嫌になったアラサーの女の子が、新しい土地で一人暮らしを始め、色んな人と関わって行く?みたいなお話。

その子は、「空気が読める」んだそうです。というか、相手の顔色を見て、相手に嫌われないように、生きて来た女の子。

他人事とは思えません(笑)

連ドラはあまり見ないのですが、このお話には、少なからずの興味と共感を持ちました。

特にその中に登場する一人暮らしのおばあちゃん、いわゆる、独居老人がいます。

女の子の行く末も気になりますが、今の私にはそのおばあちゃんがどんな人生を生きてきたのか、またどういう風に生きて行きたいのか、ってとても気になる。

極上の孤独という言葉と、そのおばあちゃんが重なるような気もして。

そして、面白いのは、登場人物のみんなが、他人と関わる事を拒否していない。

自分らしさって、ひとりぼっちや孤独でいることで見えてくるわけじゃなく、やはり人との関わりの中で見えてくるものなのかなって思う。

 

皆さんは「林住期」という言葉をご存じでしょうか。

古代インドでは人生を4つの時期に区切って考えていて

「学生期」(がくしょうき) 0~24歳

「家住期」(かじゅうき) 25~49歳

「林住期」(りんじゅうき) 50~74歳

「遊行期」(ゆぎょうき) 75~90歳

なのだそうです。

五木寛之さんの著書の「林住期」の中では、

家族のため、生きるために、時には嫌なことも耐え忍び、辛い思いもしたはずだ。家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きな仕事をして生涯を終えたいもの。一生懸命生きてきたあなたは、ご褒美をもらってしかるべき人なのです。「本当にやりたかったこと」を考えたり、実行したりできる余裕が与えられる。もうあなたは自由で我ままでよい、今まで頑張ってきたのだから。本来の自分を謳歌することが許される。

それが、林住期なのだと書かれています。

インドの考えですが、それをみると人生半分は、我慢したり頑張ったりしないといかんのです。

そこがあってこそ、本当の自分とかなりたい自分がみえてくる。

本当の自分っていうものは、家族や他人と関わり、楽しんだり、苦しんだりしながら、見つけて行くものなのではないでしょうか。

ありのままの自分って、生まれてきたまんま、に戻るって事じゃないから。

本当に自分を見失わない強さを培うのは、人との関わりだと思う。

 

孤独、という言葉を使うなら、新しい暮らしを始めた私にとって、今の孤独ほど贅沢なものはないのです。

それは、頑張って作ってきた大切な家族が、いまそれぞれしあわせで、お互いの価値観が同じだからだと思います。

ここに行きつくまでには、そりゃあもちろん、葛藤やら色々ありましたが(笑)

五木さんの著書の中に、家族をバラバラにしてみる、というようなくだりもあったように思います。

 

わたしは、孤高、という言葉が好きです。

誰もが自分の中に持っている孤高を知り、自負する事で、うまく人と関わって行けるのではないか、とも。

孤独だとか孤高だとか云々するのも、にんげんだから。

たとえば、人のそばで生きるペットに、極上の孤独などありえない。

話が広がりそうなのでこの辺で。

 

何度書きなおしてもうまく書けませんでした。

実はあんまり頭がよくないからですが、きっとどのように巧みに書いても

読んだ人の受け止め方だとも思います(自己弁護)

 

一匹狼って言葉がありますね。

群れを成さない一匹狼にも、道しるべとなる鳥がいる事をご存じですか?

 

昨日の朝の海です。

 

今日も笑顔で過ごせますように。

感謝をこめて

つる姫

(ブログ再開9日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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