2012.7.12 千歳市内 走行距離68k
いよいよ、千歳の探訪が始まります。ここには特別な思いがあります。今回の旅の目的であるイアンヌ・パヌフチの足取りが見つかるかも知れない土地であること。それと何と言っても一級の遺跡群とその出土品があること。
朝、市役所が開く時間まで道の駅で辛抱していてやっと見つけた役所は町中のせいもあってか狭い道の角地に植栽もない素っ気ない建物であった。前を見た時は何処に車を置こうか不安になったが後ろにも入り口があってそこには駐車場があった。
裏口から入るとそこには案内嬢がいて趣旨を伝えると前のカゥンターにカタログがあるからと連れてってくれた。詳しい道順は3階にある観光センターに尋ねてくれとのことでそこえ向かう。
係の方が難しそうな顔をして私を見つめるのが不思議に思えた。やがてその理由が明らかになる。
私はこの町が空港や多くの工場で潤っているから資料館は当然、町中の公園の一角に立派な建物を持っていると信じていた。
ところが彼が難しそうな顔をするわけでこの田舎からきた親父に何キロも先に行き着く為に幾つもの複雑な道を教えなければならない不運を呪っていただろう。それ程、遠くにある理由は着いてみて分かった。
それは廃校を再利用したものだったからだ。

案内を請うと出てきてくれたのが後で分かるのだが所長さんで中の明かりを付けてくれて一人で見学させてくれた。
雨の日の資料館周りは吉のジンクス通り見学の後に私の希望する質問にも答えてくれる結果となった。
館内は校舎を改造したとは思えないほどのセンスの良いモダンな造りとなっていた。展示も各時代事に一級品を選りすぐったであろう遺物が程よい数を展示していた。そこで分かりやすいと思うので展示順に画像を載せます。


説明のパネルが後ろにありましたのでそれもここに載せます。
後ほど遺跡巡りをすることになりましたがそこの出土品は遺跡の画像と一緒に載せます。
次の載せる画像に関して説明パネルを読めば内容は分かると思いますが敢えて書きたい思いがありましたので。
アイヌの墓地に一体だけ和人の女性の遺骨が出土したようです。この時代はまだ和人は松前や上ノ国にしか居らず何らかの理由でここで生活して亡くなったものと推定されています。埋葬や遺品などから仏式であったことが分かっています。
私は今、アイヌ側に立った見方をすることが多いのですが一人の人生として考えるとだれであろうが人種に係わらずそれぞれが一つの人生を全うしているのだと改めて感じました。
死ぬ時に故郷を思い出していたのであろうか。どんな理由でこの地に来ることになったのか。想像は広がるばかりです。

それともう一点。ママチ遺跡からの出土品の土面、これは墓に埋めた後に立てた墓標に吊したものと考えられています。
土面の横に数点、分かり難いでしょうが赤ちゃんの足形です。墓穴からの出土が多いようですから亡くなった母親に子供の足形を一緒に埋葬したと思われています。
これらの遺物を見て私は現代人より彼らはずっと豊かな感情を有していたことは間違いないと思いました。

見学が終って事務所に行くと先ほどの方お一人でいたので訊ねたいことがあるのでと時間を頂いた。
イアンヌ・パヌフチの足取りを追っている旨を伝え調べる最善の方法を訊ねたのです。私から資料のコピーを取ってそれで調べて連絡をくれると約束して頂きました。結果は分かりませんが感謝してお願いしました。
そこでまたまたのお願いであります。現存していて見ることの出来る遺跡を教えて欲しいと。
ここで改めて千歳市の豊かさを思い知らされる事になる。なんと説明する為に頂いたパンフが大判の厚い紙で出来ていてそれも「遺跡地図」に「石碑・石像ガイドマップ」と二種類もあるのです。
雨天で現場の確認も出来ないかも知れないが雰囲気だけでも分かりたいと思って訊ねたところ3カ所、紹介してくれました。
まずはキウス周堤墓群
集中豪雨の中、傘を差していても足下もずぶ濡れで車道を暫く歩いたが明白な遺跡には気付かなかった。平地の中の広い林野、何故ここなのかの思いが残った。

ウサクマイ遺跡群 擦文時代
町を通り過ぎ千歳川に沿って進む道。川幅は段々と狭くなりいよいよ水源の支笏湖が近づく。
明らかなアイヌ文明の墓跡、小高い丘の上にあり今は広いゴルフ場になっているのも皮肉とも思える。故人達は何を思っているか。
雨はいよいよ激しく車を降りることさえ面倒になる。傘は先ほどの遺跡で枝に当って壊れてしまった。車の中からカメラを構えて撮る。

ちょっと寄り道と思いあまりに素敵な喫茶店に客になりたくなるが休店の看板が…

美美遺跡 縄文時代
所長さんは傍にある塵車計量所で鍵を借りてから施設に入る方法まで事細かに説明してくれた。計量所の方は質問こそしなかったがこの雨の中、物好きな見学者だなとありありと顔に書いてあった。それはそうだろう。本人ですらそう思っているのだから。

雨の雰囲気が出ているだろうか。カメラの操作がいまいちか。

最後にここの出土品。国指定の文化財です。顔が幾通りにも見えて楽しくなります。動物のようですが何かの儀式にでも使用したのかここでも縄文人の心の豊かさには感心させられます。

雨の日の旅には普段なら見ることの出来ない何かを感じさせてくれる。そして醜いものを白雨の中に埋没させてくれる。
心までも洗い清めてくれたような一日だった。
いよいよ、千歳の探訪が始まります。ここには特別な思いがあります。今回の旅の目的であるイアンヌ・パヌフチの足取りが見つかるかも知れない土地であること。それと何と言っても一級の遺跡群とその出土品があること。
朝、市役所が開く時間まで道の駅で辛抱していてやっと見つけた役所は町中のせいもあってか狭い道の角地に植栽もない素っ気ない建物であった。前を見た時は何処に車を置こうか不安になったが後ろにも入り口があってそこには駐車場があった。
裏口から入るとそこには案内嬢がいて趣旨を伝えると前のカゥンターにカタログがあるからと連れてってくれた。詳しい道順は3階にある観光センターに尋ねてくれとのことでそこえ向かう。
係の方が難しそうな顔をして私を見つめるのが不思議に思えた。やがてその理由が明らかになる。
私はこの町が空港や多くの工場で潤っているから資料館は当然、町中の公園の一角に立派な建物を持っていると信じていた。
ところが彼が難しそうな顔をするわけでこの田舎からきた親父に何キロも先に行き着く為に幾つもの複雑な道を教えなければならない不運を呪っていただろう。それ程、遠くにある理由は着いてみて分かった。
それは廃校を再利用したものだったからだ。


案内を請うと出てきてくれたのが後で分かるのだが所長さんで中の明かりを付けてくれて一人で見学させてくれた。
雨の日の資料館周りは吉のジンクス通り見学の後に私の希望する質問にも答えてくれる結果となった。
館内は校舎を改造したとは思えないほどのセンスの良いモダンな造りとなっていた。展示も各時代事に一級品を選りすぐったであろう遺物が程よい数を展示していた。そこで分かりやすいと思うので展示順に画像を載せます。








説明のパネルが後ろにありましたのでそれもここに載せます。




後ほど遺跡巡りをすることになりましたがそこの出土品は遺跡の画像と一緒に載せます。
次の載せる画像に関して説明パネルを読めば内容は分かると思いますが敢えて書きたい思いがありましたので。
アイヌの墓地に一体だけ和人の女性の遺骨が出土したようです。この時代はまだ和人は松前や上ノ国にしか居らず何らかの理由でここで生活して亡くなったものと推定されています。埋葬や遺品などから仏式であったことが分かっています。
私は今、アイヌ側に立った見方をすることが多いのですが一人の人生として考えるとだれであろうが人種に係わらずそれぞれが一つの人生を全うしているのだと改めて感じました。
死ぬ時に故郷を思い出していたのであろうか。どんな理由でこの地に来ることになったのか。想像は広がるばかりです。


それともう一点。ママチ遺跡からの出土品の土面、これは墓に埋めた後に立てた墓標に吊したものと考えられています。
土面の横に数点、分かり難いでしょうが赤ちゃんの足形です。墓穴からの出土が多いようですから亡くなった母親に子供の足形を一緒に埋葬したと思われています。
これらの遺物を見て私は現代人より彼らはずっと豊かな感情を有していたことは間違いないと思いました。

見学が終って事務所に行くと先ほどの方お一人でいたので訊ねたいことがあるのでと時間を頂いた。
イアンヌ・パヌフチの足取りを追っている旨を伝え調べる最善の方法を訊ねたのです。私から資料のコピーを取ってそれで調べて連絡をくれると約束して頂きました。結果は分かりませんが感謝してお願いしました。
そこでまたまたのお願いであります。現存していて見ることの出来る遺跡を教えて欲しいと。
ここで改めて千歳市の豊かさを思い知らされる事になる。なんと説明する為に頂いたパンフが大判の厚い紙で出来ていてそれも「遺跡地図」に「石碑・石像ガイドマップ」と二種類もあるのです。
雨天で現場の確認も出来ないかも知れないが雰囲気だけでも分かりたいと思って訊ねたところ3カ所、紹介してくれました。
まずはキウス周堤墓群
集中豪雨の中、傘を差していても足下もずぶ濡れで車道を暫く歩いたが明白な遺跡には気付かなかった。平地の中の広い林野、何故ここなのかの思いが残った。


ウサクマイ遺跡群 擦文時代
町を通り過ぎ千歳川に沿って進む道。川幅は段々と狭くなりいよいよ水源の支笏湖が近づく。
明らかなアイヌ文明の墓跡、小高い丘の上にあり今は広いゴルフ場になっているのも皮肉とも思える。故人達は何を思っているか。
雨はいよいよ激しく車を降りることさえ面倒になる。傘は先ほどの遺跡で枝に当って壊れてしまった。車の中からカメラを構えて撮る。



ちょっと寄り道と思いあまりに素敵な喫茶店に客になりたくなるが休店の看板が…

美美遺跡 縄文時代
所長さんは傍にある塵車計量所で鍵を借りてから施設に入る方法まで事細かに説明してくれた。計量所の方は質問こそしなかったがこの雨の中、物好きな見学者だなとありありと顔に書いてあった。それはそうだろう。本人ですらそう思っているのだから。




雨の雰囲気が出ているだろうか。カメラの操作がいまいちか。

最後にここの出土品。国指定の文化財です。顔が幾通りにも見えて楽しくなります。動物のようですが何かの儀式にでも使用したのかここでも縄文人の心の豊かさには感心させられます。

雨の日の旅には普段なら見ることの出来ない何かを感じさせてくれる。そして醜いものを白雨の中に埋没させてくれる。
心までも洗い清めてくれたような一日だった。