オモン・オーブラック市街の案内板 La plan du guide d'Aumont-Aubrac
モニュメント、標識等 (2)
第4日目ー5日目の行程:ロゼール(Lozere)県
ル・ピュイ巡礼路の旅、第4日目の朝にル・ソヴァージュ(Le Sauvage)を出発すると、すぐにオート・ロワール(Haute Loire)県が終りとなり、ロゼール(Lozere)県に入ります。この日から2日間は、標高1,000mを超えるロゼール県内のオーブラック山地(Plateau d’Aubrac)を歩く巡礼となります。辺鄙な地域なので、一人歩きの時は道を間違えることのないように、十分に気を付ける必要があります。
第4日目:ル・ソヴァージュ Le Sauvage からオモン・オーブラック Aumont Aubracへ
ル・ソヴァージュの宿を出発して30分ほど経った頃、ロゼール県に入ることを示す道標がありました。
“ロゼール県へようこそ”の標識
この道標を過ぎると、すぐ近くにサン・ロッシュ礼拝堂(la Chapelle St.ROCH)がありました。礼拝堂の傍らには、その建立の経緯を示すその案内板が立っていました。
ラ・ロッシュ礼拝堂 礼拝堂の由来を解説した案内板
案内板に書かれている説明書きの要旨は、次の通りです。
“サン・ロッシュに奉げられた礼拝堂が19世紀にこの地に建立された。・・・ここから300mほどの地点にはサン・ロッシュの泉があり、12世紀に、コンポステラに向かう巡礼者を宿泊させるホスピス(巡礼宿)が建てられていた。 しかし、17世紀には廃墟となってしまった。・・・現在、この礼拝堂は巡礼者に開放されているが、ごみを残したり、火気を使用してはならない。”
ここからサン・タルバン・シュル・リマニョル(Saint-Alban-sur-Limabnol)に向かう途中のル・ルジェ(Le Rouget)で、十字架のモニュメントを見かけました。
ル・ルジェで見た十字架のモニュメント
この日の目的地はオモン・オーブラックでした。この町の入り口に着いたのは16時半過ぎでしたが、 そこにはオモン・オーブラックの市街地図を示す案内図(記事冒頭の写真参照)がありました。 中央に牛の絵がありますが、それはこの地方の特産品、オーブラック牛です。
第5日目:オモン・オーブラック Aumont Aubrac からナスビナル Nasbinalsへ
オモン・オーブラックから歩き始めてから約1時間後に、ラ・シャーズ・ド・ペイール(La Chaze de Peyre)の村に入って来ました。この村の中心街には、石造の十字架がありました。それは、第一次大戦戦死者の慰霊塔でした。
ラ・シャーズ・ド・ペイールの道標 ラ・シャーズ村の十字架の塔
その後、広大な牧草地が延々と続きます。フィネロルFinierolsを通過するとお昼になったので、壮大な高原の景色を眺めながらランチ休憩を取りました。その後、リゥトール・ドーブラックRieutort d'Aubracを通り、14時半頃には荒野に流れるベ川Le Besを渡り、モングロ Mongrosを過ぎると、間もなく巡礼路の標識である白と赤のマークを見つけました。そこからは、遥か前方に目的地のナスビナルらしい街が視界に入ったので、悦びが湧いてきました。
1 フィネル手前のジット案内板 2 フィネルの道標 3 リゥトール・ドーブラックの道標
4 ベ川の標識 5 モングロの道標 6 ナスビナルの手前の標識
ところで、見渡す限り牧草地が広がるフィネロルには、巡礼道に傍らにこの地で生誕した著名人の案内板がありました。それは、ルイ・ダル(Louis Dalle)と言う名の人物でした。
フィネロル出身のルイ・ダルに関する案内板
解説を要約すると次の通りです。
″ルイ・ダルは、フィネロルにて生まれましたが、第2次大戦中にドイツのブーヘンヴァルト(Buchenwald)強制収容所で地獄の人生を送りました。でも、終戦時に奇跡的の連合軍の手で開放されました。自由の身となった彼は牧師となり、カトリック司教区では最も高度の高いペルーの標高400mの街で宗教活動を行い、生涯を終えました。”
15時半頃、ナスビナルの市街地に入ると、教会の手前にNADA(Nasbinals Accueil Decouverte en Aubracの略)と言うジットがあったので、この日はここに泊まることにしました。
ナスビナルのジットの案内板
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