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未来をよむ えびせん塾

理科好きっ子育成の一役を担えたら..。

昔から考えていた、電車のブレーキ

2005年04月26日 | Weblog
久々の更新です。年度の替わり目は職場も落ち着かないし、気温の変化に体がついて行っていないという感じです。ところで、兵庫県での列車事故、規模の大きさと電車筐体の弱さに言葉を失いました。亡くなられた方には心よりご冥福を申し上げます。小学生の頃から電車について思っている事があります。それは、つるつるのレールにつるつるの車輪。あんな危ない構造で走っている事自体、小学生の時のえびせん君は疑問を感じていました。言ってみれば、つるつるタイヤで雨の日運転しているようなものです。つるつるだから蒸気機関車は坂を上るときに砂を線路上に撒きながら上りますよね。そうしないと、急な坂はスリップして上れないからです。
 私は毎日電車通勤ですが、今までに何度も急停車?を経験しています。しかし電車の急停車ほどお粗末な物はありません。ブレークかけて数百メートルも走ってしまいます。「なに?これ急ブレーキなの?」って感じです。車なら停車まで数十メートルでしょう。勿論、立っている人がいるので、車のようなブレーキだとみんな大怪我しますが、もう少し制動距離を小さく設計しても良いかと思います。これは立っている人が電車の急停車に対し、どれほどのブレーキに耐えられるかに基づいた考えです。列車の衝突事故、人身事故が半分にでもなればという思いからです。
 電車は1両がおよそ30トン。トラックなら車輪が幾ついるでしょうか?コストの面からは鉄道当局はいやがるでしょう。でも、モノレールとかはタイヤですよね。あれはかなりきつく止まれるはずです。しかし料金が鉄道より高めでしょう?維持費が高いからでしょう。脱線したら他の脱線していない車両で十分にブレーキをかけられたら、昨日のような事故での犠牲者の数も大きく減ると思います。
 小学生の頃から現在まで思い続けていること。それは、電車は止まりにくい構造であるという事です。蒸気機関車のように砂を撒いてもいいから、もう少しブレーキが効くように、近代技術の粋を詰めて設計して欲しいものです。もし今度、電車が走っている時に大きな地震が来たら、この前の新潟の新幹線程度の脱線じゃすみませんからー。あの脱線事故でけが人がいなかったのは奇跡的ですから。
by えびせん

まむし谷

2005年04月11日 | Weblog
 実家の旧住所は鬼が浦。その近くにまむし谷と呼ばれる谷がある。この谷の横には車が往来できる位の幅の道があるのですが、その脇からずっと奥に伸びた小さな谷。谷の入り口には直径が5mほどの池がある。湿地帯のような林のようなところ。ここにはマムシ(毒蛇)が沢山いると言われていた。僕たちは夏のある日、同級生と、この谷を探検することにした。男っぽいリーダー格の少女と男子数人。みんな夏だというのに長袖、長ズボンの重装備。棒や殺虫剤を武器にマムシに挑もうと考えた。池の畔にはイカダのような、木を組んだものが浮かべてあり、これに乗って、岸向こうへ渡ろうとした。しかし、3人も乗るとズブズブとイカダは沈んだ。いったい、イカダに乗り、殺虫剤と棒で何をしようとしたのだろうか。でも、僕たちは真剣だった。
 その話を親にしても、「危ないよー」とみんな言われた程度でした。自分の子供がそういう危ない遊びをしていたらなんと言うでしょうか?叱りつけたでしょうね~。今の子供は危ないところに近づけないようになっていますが、昔は、身近に沢山危ないところがありました。そういうところで危険を回避する技を、自然を通して身につけたのだと思います。勿論、怪我も沢山しましたよ(笑)。都会のマンション暮らしだと、どう教育すれば良いのでしょうね?だから私たちはいつも、町近くの田舎に住むことにしています。
by えびせん

地上に降りたこびと達

2005年04月11日 | Weblog
 ある夏の朝のこと、裏の広場を見ると直径が20センチほどの落下傘(パラシュート)が2つ落ちていた。子供の私には、これは誰かが降りてきたに違いないと確信していた。でも、この大きさだから、こびとに違いない。幼い心はそれを信じて疑わなかった。しかしどうやって降りてきたんだろう。宇宙船が降りた気配もない。辺りには、昨夜楽しんだ花火の燃えかすが少々落ちていただけであった。こびとは童話にも、テレビにもよく登場してくる。それもおとぎ話の中のこびとは親指大。この落下傘なら、その子人にぴったりだと考えた。
 近くの花火の燃えかすを見ると、なんと落下傘の絵が描いてある。そこで子供心はがっかり。そう、打ち上げ花火の中に落下傘が仕込んであったらしいのです。「あーぁ、そうだったのかぁ~。」幼稚園児のこころは、一瞬にして現実へと戻されたのであった。
 幼い心にはサンタクロースもこびとも実在の人。これもやがて嘘と思い知らされますよね。夢ってこうやって少しずつ減ってきた気がします。大人になっても夢を持ち続けなくちゃ、と思いますね。あなたの今の夢って何ですか?
by えびせん

えびせんの由来

2005年04月07日 | Weblog
 みなさんこんにちは、連日、職場内の部屋の引っ越しで疲れ果て、帰宅が夜中になってしまい、ブログ更新が遅れています。決してネタ切れではありませんので、ご安心下さい。まだまだおもしろい体験談を書いていきます。ネタ帳には、あと40以上のタイトルを設定していますからぁー。

 今日はたわいもない話です。「えびせん」のいわれについてです。これは、私が小学生の頃の発売で、本当に「やめられない、とまらない」で、一袋、一気に最後まで食べてしまっていました。それまでのお菓子といえば、橙色の金魚大の魚の形をした鯛焼きせんべい?と、「当たり前だのクラッカー」くらいしか記憶にありません。北日本食品(ブルボン?)もこの後に全国展開をしてきたようです。かっぱえびせんの登場は、理科好き少年に大きな影響を与えています(笑)。だから、えびせん塾。
 今日は関係ないお話になりました。ところで、このブログの背景は雪降ってますが、もう春ですね。うちのかみさんに、早く替えろと言われているのですが、ほかに和むような背景がありません。動物画は和み系ですよね。  ・・・・・・・ではまた。
by えびせん

管理者より

2005年04月04日 | Weblog
 いつもこのブログを閲覧して下さっている皆様、ありがとうございます。このブログは、最近、マンション住まいなどが増え、子供達の川遊びや泥遊びが減り、これが理科離れを引き起こしていると考える、一人の研究者が綴るものです。私がどのように理科好きになっていったか、これから理科好きなお子さんを育てていこうと思われる方々へ、少しでも参考になれば幸いです。日本は資源がない為、技術立国でなければ国力は低下するばかりです。少子化と理科離れのダブルパンチは、10年後、20年後の日本に大きなダメージとなって残ります。
 自然に、自然に、理科好きなお子さんに育てるためのヒントを書き記します。といってもすべて私の回顧録ですが。。。
 明るい日本の将来を担う子供達の為に頑張ります。今後とも宜しくお願い致します。
by えびせん

イモムシ事件

2005年04月03日 | Weblog
 ある夏の日のこと、小学校低学年の私は、五歳年上の兄と一緒に、家の木についた害虫駆除をしていた。木についたいも虫を集めて空き缶に入れた。親は足でつぶしたりしていも虫を駆除していたような気がする。僕たちは空き缶にきちんと集めて、あとでどうにかしようと考えていた。どちらが言い出したのかは覚えていないが、空き缶に集めることにした。仕事も一段落してのことであった。いも虫の缶に水を入れ、ぐつぐつと煮だしたではないか。僕らにとっては、お魚だって、かにだって、あさり貝の調理法だって一緒に見えた。生きたまま生き物を料理するのを今まで沢山見てきた。イモムシも一緒だ。ただ、それは近所のおばさんにとっては驚愕的な事件だったようである。
家の階段を上ってきた近所のおばさん、何か香ばしい香りのする僕たちの野外クッキングを見つけていった。「何かいいにおいがするねー。僕たち、なに作ってるのー?」。そこで僕は何のためらいもなく言った。「うん、おばさん、僕たちいも虫を煮てるんです。」すると、「ぎゃーーーっ!!」。うちの前には12段のコンクリート製の階段がある。それを登り切ったところだったからよかった。おばさんは足がもつれたようにして、僕たちの前を飛ぶようにして消えていった。「ん? 確かにいいにおいだね」と兄に言った。おばさんはうちの玄関に入っていったのだけど、可哀想なので僕たちはその空き缶をさっさと片づけてあげた。
 子供達にとって、料理は結構残酷に映ります。それを平気で料理している親の姿は、ある時とても残酷に映ってしまうことがあります。小さい子供には、生きている素材を料理するところを見せない方がいいかもしれませんね(笑)?僕にとっては、煮詰めたいも虫がどんな色になるか見たかっただけなのにー。私はイナゴは、あの足がいやで食べられません。作るときの様子もみたくないなぁ~(汗)。ご意見はplayinghooky2@yahoo.co.jpまで...。
By えびせん

飛んできたチャボ

2005年04月01日 | Weblog
皆さん、チャボってご存じですか? チャボって、ニワトリよりもちょっと小型のニワトリ(?)です。
http://www.ohhara.net/chabo.htm  
↑このサイトに写真があります。

私が小学校の低学年の頃でした。夕方、どこからともなくチャボが飛んで参りました。どこから飛んできたのか、チャボといってもニワトリみたいな鳥。ニワトリは確か飛ばない鳥だと習いました。うちの庭の、夏になればブドウの房が沢山ぶらさがる、竹製の木の枠の所に飛んできました。うちでは「ニワトリみたいなのが飛んだきた~っ!」と大騒ぎです。すると、お向かいさんがきて、「うちのチャボが飛んできたでしょう?」と言いました。「そうかー、お向かいさんからだと近いから、そのくらいならニワトリでもとべるだろう。」と子供ながらに思いました。とんだ距離は20m。高さは5mほど上昇しなければなりません。かなり羽をばたつかせた事でしょう、でも、よく飛ぶ気になったなぁー。猫にもでも脅かされたのかもしれませんね。日頃は檻に入っていたでしょうし、飛ぶ練習なんてしていないはず。でもね、この時のチャボは口が開きっぱなし。息切れしそうでした。さぞきつかったのでしょう。ニワトリって運動量が多いとくちばしをあけて呼吸するんですよ。とても苦しそうでした。おまけに尖ったベロもヒコヒコと動いています。このチャボ、うちで養うことになったのでした。
 飛べないと習った鳥が飛んできたこと、口を全開にしてヒーヒーと息苦しそうに呼吸していたことがとても印象的でした。その日は百科事典を開いて色々と調べたのでした。そうねー、小学校の何年だったでしょうか。学研の原色百科事典を買ってくれて、これをいつも見ていました。訪問販売でした。その販売員は僕の小学校の田口君のお父さんでした。訪問販売員は、先ず、親ではなく、私にそのおもしろみを説明してくれたのです。そこで母親に、「この百科事典かってー?」って頼んだのです。百科事典は理科好きっ子育成には必須テキストと思っています。

今日、家に着いたのは午前様の1時。仕事でしたー。残業~。

By えびせん

「ラジオ・電話キット」…電池もないのになんでラジオが聞こえる!

2005年03月28日 | Weblog
「ラジオ・電話キット」…電池もないのになんでラジオが聞こえるのー?
30x40cmの厚紙製の箱にラジオの部品が貼り付けてある「ラジオ電話キット」。1キット800円也。.小学校1年の時に親に買ってもらいました。箱の中に貼り付けてあるポリバリコン(周波数を変えるもの)、コイル、ダイオード(これがゲルマニウムという半導体で作られている)、それにイヤホン。箱の中の部品にはそれぞれ小さなコイル状のバネが取り付けてあって、それぞれの部品のバネとバネを導線で繋げるとラジオのできあがりーっ! 作製まで2~3分。きちんと繋げられたらイヤホンからラジオ番組が聞こえるという「ラジオ電話キット」。デパートで買ってもらいました。昔の呼び名では「鉱石ラジオ」。またの名を「ゲルマニウムラジオ」と呼ばれているもので、電池なしでも聞こえるラジオのキットです。イヤホンは「クリスタルイヤホン」と呼ばれるものを使っています。これが不思議で、とっても弱い電圧でも音が聞こえるのです。だから、電波の強いNHKのラジオなどは、大抵の所では聞こえます。ここで私の驚きは、電池なしでいつまでも音が聞こえている事でした。大人も含めて、今の人達はこんな物知っているでしょうか?私の電気好き、いや、理科好きになった原点の一つです。ところで私の実家のお隣さんはアマチュア無線局で、当時、強い電波を出していました。そこで私の持っているクリスタルイヤホンは、何もつけてないのに、なぜかそれだけで声が聞こえてきたのです(笑)。電磁波の成果でしょう(笑)。そこら辺に放ってあったイヤホンから声! これって超常現象?笑
因みに、ラジオ電話キットの電話とは、二つのイヤホンを繋げるだけ。糸電話みたいに一方から声を吹き込むと、もう片方からその声が聞こえるというもの。これも不思議ですよねー?

ゲルマニウムラジオの部品はここを参照 → http://www32.ocn.ne.jp/~audio/ge3/ge3_02.htm

by えびせん

「エンジンがとれたーっ!」

2005年03月27日 | Weblog
「エンジンがとれたぁーっ!」
 あれは私が幼稚園の頃だっただろうか、家の車のエンジンがとれた! 父親がとってしまったのである。ルノーというフォルクスワーゲン似のカブトムシ型の車の後部のトランクみたいなところに、3本の棒(1本は2.5m程度)を一カ所で束ねて作った三脚が立ててあった。その上部にはカラカラと音のする滑車が取り付けられ、そこにエンジンがぶら下がっていた。この滑車はそれに取り付けてある鎖の輪(輪の直径は1.5~2m)をカラカラと引っ張ることによって、重たい物もつり上げることができるらしい。エンジンがとれてしまってたのである。「パパ、こ、これ取っちゃったら動かなくなっちゃうよー。」と子供ながらにとても心配であった。エンジンのない車は、重荷を下ろしてあげた馬のように、如何にも軽々しく後輪をタイヤハウスからのぞかせ、おしりを高々と上げていた。車から取り出されたエンジンは、ただの黒い鉄のかたまりにしか見えなかった。心臓部を取ったとはこの事だろうか。軽々しい車は幼い私に軽快感を映し出すものの、高台にある、この家の車庫まで上ってくる力強さを失って見えた。
 「何かにおーい。」そう。コンクリートの車庫の地面には車が血を流したかのようにオイルとガソリンが流れていた。「パパ、車が泣いちゃうよ。」幼い子供にこの光景は痛々しく、無惨な車の姿に映ったのでした。
 私の親父は放送局の技術屋。職場には送信設備や訳のわからないモーターや、部屋の壁には「ダンパー」とかかれた黒いノブが沢山あり、どんな機械にでも対処しないといけないといった感じでした。
 親が機械をいじって、今まで目にした事のない光景を見ることは、子供にとって強烈な印象を残します。これらが私の今を作っているのではないかと。

By えびせん

お向かいさん

2005年03月26日 | Weblog
 皆さんこんにちは。今日は私が幼い頃に影響を受けた年上のお兄ちゃんの話です。お向かいさんです。私より2つ年上だったかな。彼のお父さんは高校の生物の先生。彼が小学校4~5年で私は2~3年生の頃の話です。彼はお父さんに買ってもらったのか、金属の三角形のお弁当箱のような物を肩にぶら下げてました。中を見せてもらうと何か三角の半透明の紙に蝶々が眠ってました。蝶々を捕まえてきちんとこの中に挟んでおくと、じきに死ぬという毒の箱です。三角ケースという殺虫箱です。以下のサイトで写真をみれます。
http://kawamo.co.jp/roppon-ashi/sub107.htm
この中に蝶々が沢山入っていました。昆虫採集は残酷です。昆虫が展示してある四角い箱がありますよね。下にはコルク生地のシートが貼ってあって、これに昆虫たちが体のど真ん中を針で突き刺されて飾ってあります。あれが全部人間で人間採集だったら、さぞかし怖いことでしょうね(笑)。あの虫たちは防腐剤を注射しているので腐らないし、昆虫は体の外側がしっかりと硬いので形をずっと保てます。話は戻って、このお兄ちゃんはお父さんが生物の先生なので持っている物が本格的でした。私が文房具屋で買うレベルの物ではなかったのを覚えてます。でも、このお兄ちゃんは外語大学に行きました。そう、文系です。親が理系でも子供は文系にもなるんですよね。当然のことだけど。でも、うちの子が文系になるのがあまり想像できません。私の兄弟も親も理系です。お袋も理数系が得意だったようです。
昆虫採集は理科への入り口だけど、ちょっと自分の子供達を導くには残酷で、なんとなく気が引けますよね。なんかほかの導き方がいいですかねー。うちは高校生と小学生の男の子がいます。二人とも自然がいっぱの所で育っています。家の近くに溺れないような浅い小さな川があると、子供は積極的に遊ぶみたいですね。都心の中で物作りの心を育てるのは難しですねー。日本をしょって立つ理科好きの子は、やはり田舎で育てるのがいいのかもしれません。
今日もまとまりのない話でごめんなさい。
by えびせん

ドライバー

2005年03月25日 | Weblog
先のとがったねじ回し、そう、ドライバーは子供が持っていると心配ですよね、私は幼稚園の頃から持ち歩いていました。ドアについているバネ式の出っ張り。あれはなんと呼ぶのでしょう。勝手口のドアについている出っ張りです。がちゃがちゃいうやつ。あの出っ張りはドア枠の穴にはまって、ドアがきちんと閉まるように意図されたものです。その出っ張りはバネで制御され、これがたまに壊れるのです。私は幼稚園の頃から、それが壊れたら、ドライバーで分解して修理していました。勿論、父親の見よう見まねです。自分の子供がドライバーを持ってうろうろしていたら、先がとがっているので、危ない!とか何とか言って、すぐにしまわせるでしょうか。親が何かをして、それを子供に見せることは重要です。皆さん、何か家の物を修理する時にお子さんに見せていますか?子供はいつも興味深く観察するはずです。
 とにかく小さい時は、ドライバーとかペンチとか持ってうろうろしていた事を思い出します。子供には完成したものばかり見せるのではなく、壊したり、修理したりするところを是非見せてあげてください。自分ができなければ、業者がきて修理するところを見せてあげてください。先日、うちの2番目の息子がハード屋に行った時、障子張りの実践販売に見入っていたのを覚えています。子供が関心を持っている時に、無理矢理その現場から離さない事は重要かもしれません。とにかく物作りの現場を観察させてくださいねー。
by えびせん

虫も殺さぬ。。。。。

2005年03月23日 | Weblog
今日も職場から、ばんわーです。
そう言えば男の子達は生まれながらにして結構残酷ですよね。っといってうなずかせるつもりはないのですが、昔の男の子達は、結構、昆虫採取をやっていたと思います。あれって結構残酷で、生きているカナブンやら蝶々やらミミズやらに、やたらと防腐剤入り注射液を打ちまくっていた記憶があります。今考えると、あれは生きている動物たちを殺す行為なのですよね。今の子供達も虫をつぶしたり、足をもぎ取ったり、結構、残酷なことをしています。これを親としては一応注意するのですが、あれも理科の勉強であったことを今、感じています。
 注射器なんて、薬局ですぐに売ってくれました。友達なんか、浣腸器まで持ってましたよ(笑)。昆虫採集セットは文房具屋に行けばおいてありました。デパートには昆虫採集コーナーもありました。デパートに行けば、時計組み立てキットもあったし、人体模型もありました。1970年でしたが、人体模型キットが2,800円もしていたのを覚えています。今考えるとちょっと高い。うちの親は私が小学4年生頃に買ってくれたと思います。
 何しろ今のデパートは生物系の教材が不足しています。コンピューター制御のヘリコプターとか、TVゲームとか、そんな高度なものばかりで、組み立て系がありません。日本の物作り精神は、こういう所から消失しているのです。
by えびせん

理科好きの子供に仕立てるには!?

2005年03月22日 | Weblog
 皆さんこんにちは。えびせんです。理科好きの子供を作って日本国をもっと生産性の高い国ににするための方策を考える塾です。子供を理系に進めたい親たちへのメッセージを発信します。自分がバイオ関連の研究者になった道筋を振り返り、その方策を考える塾です。今日は、私の亡き父への感謝の言葉からです。
 兄貴が小学6年生の頃、学研の科学と学習をとっていました。でも、兄はその付録にあまり興味がなかったのか、結構そのまま小学1年生の私に与えてくれました。印象に残っているのは、手作りモーターと、水質検査キットでした。近くの樋井川から川の水を汲んできて分析をしていたのを覚えています。ネスラー試薬とやらで川の水に意外とアンモニア成分が多かったことを覚えています。また、塩分もありました。
 これを見た父親は、本格的なフラスコ、ガラス管、アルコールランプを買ってきてくれました。鰹節を蒸し焼きにしてアンモニアを発生させるためです。ガラス器具を用いた実験。あなたの小学1年生の子供さんにやらせることできますか?うちなら、そんなの危ない、といってさせないかも。なぜ小学1年生の私のために親があんなもの買ってきたのか、今考えると、すごい教育だなぁと感動してしまいます。あのときは確かに危ないこともありました。火がついてるアルコールランプの芯の所をピンセットでつまみ出すと、ポン!とすごい音がして芯が飛んでいきました。そうです、下のアルコールだめにある気化ガスに引火したのです。あーーびっくりした。
 それから、鰹節をいぶすのには、フラスコにゴム栓をして、そのゴム栓には曲がったガラスを差し込まなくてはなりません。曲がったガラス管って、曲がったところが弱いもので、その管をゴム栓の穴にごしごし、きゅっきゅっと入れているときに、そのL字のところがおれて、掌に突き刺さりました。すごく切れが良かったです(涙)。掌の真ん中あたりまで突き刺さりました。突き抜けはしませんでしたけどね(汗)。
 こんなことあっても、親は特別に警戒しませんでした。私もけがを親には過小報告しましたがー(笑)。
この出来事、小学校1年生の時のお話でした。

by えびせん 

皆さんこんにちは。管理者のえびせんです。

2005年03月21日 | Weblog
皆さんこんにちは。管理者の「えびせん」と申します。男性で四十半ばで公務員です。
このブログを開設した理由は、最近の少子化と理科離れが、10~20年後に極めて日本経済に致命的になると感じているからです。もっと我々研究者は小学生から理科好きな子供たちを育てていかなければならないと感じてやみません。でも、うちの息子もそうですが、興味の第1はテレビゲーム。これは大きな障壁になっています。そこで考えたのですが、理科好きを育てるゲームの設計です。昔、私は(幼稚園の頃)、エビオスという薬の蓋にゴミを詰めて、それを足につけて火をつければ、本当に空を飛べると思い、広場で一人実験をしたことがあります。そう、これは鉄人28号になりたかったのです。幼稚園の絵にはいつも鉄人28号が登場していました。正太郎(漢字が違うかも)の持つリモコンのアンテナから見える可視化された電波は、私の小学校の絵日記にも登場しています。先生に、「電波は見えないものだ」といわれ、それからしぶしぶ可視化された稲妻のような電波は書かなくなりました。そう、あれは小学校1年の時の絵日記です。担任の先生は中村先生。体格のいい女性です。餃子は15個食べると自慢していました(あの体格だからなー笑)。ところで、鉄人は高速で飛ぶので、足ははっきりと見えず、かすんでいます。だから私の絵に登場する鉄人の両足もはっきり書きませんでした。これは幼稚園の時です。カトリック幼稚園だったせいか足を書かないことに何か気にかかったところがあったようです。障害者に関する教育をいつもしていました。
 話は戻りまして、一人の科学者が発生するには、このような漫画や遊びでのトライアルが基になっています。このような心の育成を、これからの子供にどのようにしていったらよいかが私の課題です。
 資源のない日本には人材の資源しか頼るところがありません。ゆとり教育のしっぺ返しは、もうそこまできています。学生の質の低下を止めなくてはいけません。
 理科好き子供をつくるゲームや遊びを、どんどん作っていきましょう。そういうお話をするブログです。宜しくお願いします。
まとまりのない話でごめんなさい

管理者:えびせん