なぜ、幽体は写真やビデオに映るのか!? 科学的考察
暑中お見舞い申し上げます。
こんなに暑いと、夜に怖いテレビ番組をみるしかありません。汗ばむ季節に、身の毛もよだって欲しいものです!(^_^;)
【分析と考察】
さて、ポラロイドフィルムやデジカメによる、写真を撮影せずに、念写して写るものは別として、ビデオカメラやデジカメなどで撮影し、その中に幽霊が写る場合において、それが本当の怪奇現象であると仮定し、それがなぜ写り込むかを考察します。
先ず、
1)像になっているという事は、レンズを通して入ってきた情報と言う事。
2)レンズに入ってきて像になっているのであれば、レンズによって屈折する光である、
3)フイルム写真において、目に見えない赤外線は、通常のフィルムでは撮影できないが、デジカメのCCDは短波長の赤外線なら撮影できる。
4)短波長の赤外線はレンズで他の可視光と同じように屈折し、CCD上で結像する。
5)人に見えないが、写真に写る場合には、一瞬の像かもしれない。
6)幽霊の画像はカラーのようであるが、赤外線波長であれば、カラーにはならず、モノクロ画像となる。
以上の事を事実として仮定すると、以下の仮説が出てきます。
静止画写真にうつる幽霊は、可視光に吸収体をもつ物体である。幽体が物質でないと仮定すると、ある特定波長の光がどこかに吸収されてしまい、色を持ったカラーで撮影される。光吸収体がこの世の「物質」でないとすると、特定波長の光がこの世から異次元にでも消えていったという事が考えられる。そもそも色とは、特定波長の光にもがこちら側へ反射してくるために、色が発生している。
では一方、暗闇の赤外線カメラ画像で写る幽体は何かというと、あれは赤外線を発しているものと考えられる。色の発生には、ある特定波長の光がこの様から消えればよいが、赤外カメラで写る幽体は赤外線を発している。即ち、エネルギー体であるという事から、デジカメ写真にうつる幽体とは、エネルギーの面から考えると異なるものとなる。
赤外線カメラに写る幽体は、物体ではない筈ですよね?物体なら質量保存の法則に反する。すなわち、幽体には質量がある事となり、基本的物理原則に反してしまう。ここでは宇宙物理学から逸脱しない範囲で幽体の存在を考えるので、幽体に質量はないものとして考える事にする。(←この仮定が正しいかどうかは不明)
質量がないものからエネルギーが出るという話は、宇宙物理学では理解できる範囲。宇宙には物質でないにも関わらず、エネルギーを持つ反物質がある。幽体もこのカテゴリーに近い。反物質は、現世〈4次元の世界〉の物質が生まれる時に同時に発生しているという。反物質と物質が出会ってしまうと、両方共々、光エネルギーとなって消滅するという。
エネルギーを持った反物質〈一部は幽体?)が身近にあると仮定すると、宇宙の反物質も身近にあるという事にもなる。これが出会えばどちらも消滅する。出会わない仕組みがあるのだろう。即ち、幽体〈反物質?)と物体は身近にあるが、出会わない距離に存在する。
私たちの体を構成する物質は、それと同じ分だけの反物質が宇宙に存在している。それが私たちと同じ形をして存在しているかどうかは別として、人体の構成成分の反物質は宇宙のどこかに存在している。それは地球上かもしれない。
自分の反物質に出会うと、両方とも光エネルギーとなって消滅してしまう。
死んだ人を火葬しても、全てこの世に煙やガスの物質となって存在する。自分の体の分の反物質と、今まで自分を構成していた物質がこの世で出会えば、光を発する事ができる。カメラに写る幽体が光を反射しているのではなく、自ら光を発していると仮定すると、反物質と体を構成していた物質の出会いがあれば、光を発する事ができる。でも、なぜ幽体は生前の形を取ったりするのか?それは、自分に対応する反物質が同じ形状を呈しているという可能性にも繋がる。即ち、自分と同じ形をした反物質複合体が宇宙に存在しているという可能性も考えなくてはいけない。
幽体はどうも意志を持っているような印象がある。そう仮定すると、自分に対応する形を持った反物質に意志があるという事(←お化けに意志があるという意味に近い)。では、生前の自分の意志と、自分に対応する反物質の意志は同時に存在しているのだろうか?すなわち、今の自分の反物質に、今現在、意志があるのだろうかと、疑問がよぎる。
反物質界の自分に連絡を取ってみたい。(^_^;)
反物質界の自分と連絡を取る通信技術を開発してみたい!アノ世とコノ世、あっちの世界とこっちの世界で時間軸に大幅なずれがあると、通信できない。なんか、こっちの世界〈現世〉の1年が、あっちの世界では数千年くらいに等価な気がするのは私だけでしょうか?だって、現世に武将のお化けとか出てくるし〈笑)
身の毛がよだつどころか、頭の毛がよじれてきそうな話でした!
バーイバイ
暑中お見舞い申し上げます。
こんなに暑いと、夜に怖いテレビ番組をみるしかありません。汗ばむ季節に、身の毛もよだって欲しいものです!(^_^;)
【分析と考察】
さて、ポラロイドフィルムやデジカメによる、写真を撮影せずに、念写して写るものは別として、ビデオカメラやデジカメなどで撮影し、その中に幽霊が写る場合において、それが本当の怪奇現象であると仮定し、それがなぜ写り込むかを考察します。
先ず、
1)像になっているという事は、レンズを通して入ってきた情報と言う事。
2)レンズに入ってきて像になっているのであれば、レンズによって屈折する光である、
3)フイルム写真において、目に見えない赤外線は、通常のフィルムでは撮影できないが、デジカメのCCDは短波長の赤外線なら撮影できる。
4)短波長の赤外線はレンズで他の可視光と同じように屈折し、CCD上で結像する。
5)人に見えないが、写真に写る場合には、一瞬の像かもしれない。
6)幽霊の画像はカラーのようであるが、赤外線波長であれば、カラーにはならず、モノクロ画像となる。
以上の事を事実として仮定すると、以下の仮説が出てきます。
静止画写真にうつる幽霊は、可視光に吸収体をもつ物体である。幽体が物質でないと仮定すると、ある特定波長の光がどこかに吸収されてしまい、色を持ったカラーで撮影される。光吸収体がこの世の「物質」でないとすると、特定波長の光がこの世から異次元にでも消えていったという事が考えられる。そもそも色とは、特定波長の光にもがこちら側へ反射してくるために、色が発生している。
では一方、暗闇の赤外線カメラ画像で写る幽体は何かというと、あれは赤外線を発しているものと考えられる。色の発生には、ある特定波長の光がこの様から消えればよいが、赤外カメラで写る幽体は赤外線を発している。即ち、エネルギー体であるという事から、デジカメ写真にうつる幽体とは、エネルギーの面から考えると異なるものとなる。
赤外線カメラに写る幽体は、物体ではない筈ですよね?物体なら質量保存の法則に反する。すなわち、幽体には質量がある事となり、基本的物理原則に反してしまう。ここでは宇宙物理学から逸脱しない範囲で幽体の存在を考えるので、幽体に質量はないものとして考える事にする。(←この仮定が正しいかどうかは不明)
質量がないものからエネルギーが出るという話は、宇宙物理学では理解できる範囲。宇宙には物質でないにも関わらず、エネルギーを持つ反物質がある。幽体もこのカテゴリーに近い。反物質は、現世〈4次元の世界〉の物質が生まれる時に同時に発生しているという。反物質と物質が出会ってしまうと、両方共々、光エネルギーとなって消滅するという。
エネルギーを持った反物質〈一部は幽体?)が身近にあると仮定すると、宇宙の反物質も身近にあるという事にもなる。これが出会えばどちらも消滅する。出会わない仕組みがあるのだろう。即ち、幽体〈反物質?)と物体は身近にあるが、出会わない距離に存在する。
私たちの体を構成する物質は、それと同じ分だけの反物質が宇宙に存在している。それが私たちと同じ形をして存在しているかどうかは別として、人体の構成成分の反物質は宇宙のどこかに存在している。それは地球上かもしれない。
自分の反物質に出会うと、両方とも光エネルギーとなって消滅してしまう。
死んだ人を火葬しても、全てこの世に煙やガスの物質となって存在する。自分の体の分の反物質と、今まで自分を構成していた物質がこの世で出会えば、光を発する事ができる。カメラに写る幽体が光を反射しているのではなく、自ら光を発していると仮定すると、反物質と体を構成していた物質の出会いがあれば、光を発する事ができる。でも、なぜ幽体は生前の形を取ったりするのか?それは、自分に対応する反物質が同じ形状を呈しているという可能性にも繋がる。即ち、自分と同じ形をした反物質複合体が宇宙に存在しているという可能性も考えなくてはいけない。
幽体はどうも意志を持っているような印象がある。そう仮定すると、自分に対応する形を持った反物質に意志があるという事(←お化けに意志があるという意味に近い)。では、生前の自分の意志と、自分に対応する反物質の意志は同時に存在しているのだろうか?すなわち、今の自分の反物質に、今現在、意志があるのだろうかと、疑問がよぎる。
反物質界の自分に連絡を取ってみたい。(^_^;)
反物質界の自分と連絡を取る通信技術を開発してみたい!アノ世とコノ世、あっちの世界とこっちの世界で時間軸に大幅なずれがあると、通信できない。なんか、こっちの世界〈現世〉の1年が、あっちの世界では数千年くらいに等価な気がするのは私だけでしょうか?だって、現世に武将のお化けとか出てくるし〈笑)
身の毛がよだつどころか、頭の毛がよじれてきそうな話でした!
バーイバイ