ここではドイツ留学(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)をした獨協大学の学生の体験記を中心に紹介しています。体験記には、現地での手続き、授業の様子や寮生活、街の様子、これから留学する方々へのアドバイスなどが記されています。情報としては新しくありませんが、いつになっても決して色あせることない先輩達からの貴重なメッセージがたくさん綴られています。ご自身の留学に是非役立ててください。そして、あなた自身の留学体験をお寄せください。 このページでは、獨協大学のサーバー上で公開していた体験記のうち、著作者からこちらのサイトへの掲載に許諾を頂いた方の体験記のみ掲載しています。新たに体験記を掲載したい方(ドイツ語圏の大学で正規の授業の受講で留学した方であればどなたでも)、旧サイトに掲載されていた体験記をこちらでも掲載して構わないという方は、是非お知らせください。この記事下の「コメントを投稿する」から連絡ください。投稿されたコメントは公開せず、個別にお返事を差し上げます。 |
ウィーン大学
WS 2009/10 bis SS 2010 吉成 文乃さんからの体験記 | |||||||||
① 大学・街の様子 ウィーン大学は多学部からなる総合大学で、校舎も街中に散っているので、複数学科から履修する際は、移動時間を考慮すべきです(授業時間は様々で、何時限目といった区切りはありません)。各学科が個別のインスティトゥートを持ち、多くはその館内に学科専門の図書館を有しています。キャンパス敷地内に本屋・コピーショップ・スーパー・語学学校や子供の遊び場等様々な施設があり、学生以外の人々で賑わっています。冬にはクリスマス市場も出ます。キャンパス内で用事が済むので便利です。
街はあまり大きくなく、市内の移動は40分以内で済みます。スーパーも点在していて不便は感じません。中心街ケルントナー通りと、ウィーン西駅付近のマリアヒルファー通りという、2つの繁華街は、各ショップが充実していて、ほとんどの物は手に入ります。
② 授業 ウィーン大学は総合大学の為、複数学科からの履修を希望する学生も多いですが、私は、他学科についての専門知識不足と、可能性の多さ故に全授業を網羅して把握する事の難しさから、1年通して音楽学の授業だけを中心に履修しました。 私は会話が一番苦手で、授業中のグループワークや討論が毎回ストレスだった為、春学期は精神的に無理をしないよう講義の授業を履修し、授業で喋らない分、録音機を利用し授業の聞取り・参考文献による内容把握に努めました。秋学期、慣れが出て来てからはプロゼミナーに参加し、授業数も増やしましたが、結果的に一つ一つの授業にかける力は、春学期より少なくなったかと思います。11コマの授業中、7つの試験と3つのレポートを経て、10の授業で成績を頂きました。柔軟で理解のある教授もいる為、自分の語学力を考慮した成績判定を求める交渉をする(例、口答試験のかわりにレポートを書く/テスト中辞書の使用を認めてもらう)価値はあります。 大学で勉強をする為のドイツ語は、日常会話よりレベルが高く、自分のレベルとの差に落ち込むかと思いますが、その中でも自分の力を見極め・ストレスにならない様上手く授業と付き合うことをお勧めします。
③ 生活について 3月末~9月は天気もよく、歴史ある町並みを散歩するだけで元気になれました。11月末からはクリスマス市場も出て、町中がライトアップされ、冬の夜はとても美しかったです。町中にミュージアムが偏在し、オペラ座やコンサートホールでの演奏会も充実していて、余暇の過ごし方には困らない街です。
④ 留学を終えて+アドバイス
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SS 2008 bis WS 2008/09 川面 真奈美さんからの体験記 | |||||||||
大学や授業について 私はVorlesung, Proseminar, Seminarを取っていました。Proseminar やSeminarを取る前は「とても難しいのではないか、私にはついていけるレベルではなく、とり残されてしまうのではないか」などという不安がありました。しかし意外に取ってみると、毎週の宿題として出題されるPflichtliteraturはかなりのページ数だったり、それに加えてプレゼンテーションをしなくてはならないという不安とノルマもあり、大変だったものの、今振り返ってみると、Vorlesungよりも自分が学びたい分野を集中して勉強することができ、成績をもらった時は本当にSeminarを取っておいて自分の成長のためにも勉強の為にも良かったなと思いました。 Seminar やProseminarなどを受講して「自分の意見を何語であろうが、積極的に発言出来ない者は学ぶべきではない」と言う事を強く感じました。初めの頃は、自分が黙っていても「外国から来た学生で言語の面でハンディキャップを持っているから、誰かしら自分に声をかけてきてくれるだろう」という甘い考えを持っていました。しかし、時間と共に自分から下手なドイツ語だろうが、完璧なドイツ語だろうが、自分の意見を母語、外国語に限らずSeminarのなかで挙手し発言しない限り、誰も自分に声をかけてきてくれる人もいなく、いつまでたっても自分は教室の片隅にただ座っているGaststudentinのままであるという事に気づきました。 それから、自分も彼らと同じ学問を学ぶStudienkolleginとして受け入れられたい、また私も彼らと一緒に学びたい、と思い毎週宿題として出される100ページ以上あるPflichliteraturも自分が出来る範囲で必死になって読みました。またグループでのプレゼンテーションの際には、グループのみんなとLokalなどで夜遅くなるまでプレゼンの構成などを一緒に考えました。しかしこのようなSeminartreffenで知り合った学生達とプライベートでも会うようになり、私の自宅で手巻き寿司パーティーなどを開いたりして今でも彼らには勉強やプライベートでも仲良くしています。 私がウィーン大学やウィーンで過ごした学生時代を通して学んだ事は、「学びたいという思いがある限り、何語であろうがしっかり自分の意見を発言できる自立した人間にならないといけない」ということです。
街の様子
住まいについて ウィーンには沢山の学生寮がありますが、寮には空き部屋があったとしてもすぐにその部屋を寮が部屋を探している学生に提供するのではなく、リスト待ちの学生から順番に部屋が与えられる仕組みになっています。ÖADという外国人学生に寮を紹介する企業もありますが、対応もひどく寮でルームメイトなどと問題があり部屋を変えて欲しい、寮を変えて欲しいなどの要求をすれば、要求するたびにÖAD側が問題解決料などを請求してきます。それなのでÖADはあまりお勧めしません。
これから留学する学生へ ドイツ語が上手に話せなくても良いと思います。ただ、下手なドイツ語であっても人に頼らず、自分で解決し役所の相手に「自分はこうしたい、こうしてもらいたい」という事を伝えられるまで挫けず、相手が自分の要求していることを理解し、行動に移るまで根気強く頑張る事が大切であり、そして自分をしっかりもち、行動する事が大切だと思います。私もこの留学で自分という者が何者であるか、自分は一体どういう人生を歩んで行きたいのかを考えさせられ、そして自分というものがだんだん見えてきました。それなので、私は多くの獨協大学の皆さんにぜひ留学制度でウィーン大学に限らず、留学して沢山学んで欲しいと思っています。 ザッハーホテルのカフェにて
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川面 真奈美さんからの中間報告 | |||||||||
ウィーンでの暮し ここウィーンでは、世界中から来た人々が生活しています。電車に乗ると、電車一両の中で何カ国語もの言語が耳に入ってきます。スーパーのレジの列に並んでいて、突然前に並んでいる人の携帯がなり、「Hallo !」と言った次の言葉から、ドイツ語ではない言語での会話が始まり、「え、オーストリア人じゃないんだ~。」と思っていると、今度は後ろの人の携帯がなり、またドイツ語ではない言語で会話をしている・・・と思いきや両隣も外国語でなにやら会話をしている。ここウィーンでは、オーストリア人よりも外国からやってきた人々のほうが多く生活している。 また、違う視点からウィーンを見ると、かなり保守的な国際都市でもある。スーパーでアジア人が30ユーロをお財布からだすと、すぐにその場で偽札鑑定機にかけられる。しかし、外見がヨーロッパ系の人が30ユーロだすと、機械には通さずにすんなりとお会計ができたり、アジア人だけが、スーパーのレジで手荷物をまるで空港の手荷物検査のように全てのポケットの中を確認され、万引きしていないか、確認される。美術館で有名な絵画にうっとりしていると、横から美術館の係員が突然「入場券を見せてください。」と声をかけてくる。「入場券を買ったから館内に入館することができたのではないか!」と頭にくることが日常生活のなかで沢山毎日起きる。 留学当初はこのような日本にいた頃に想像もしていなかった出来事にいちいち腹を立てたり、泣いたりしていたが、このような経験を通して「自分が日本で外国人に今までどのような態度を取っていたのだろうか、果たして自分も彼らのような態度を取っていたのではないだろうか。」と自分自身の態度を見つめ返すことができました。 私は、色々な事情でこの半年間の間に4回引越しをしました。初めはÖADという外国人の学生に寮を提供してくれる業者を通して寮にすんでいました。しかし、このÖADは外国人のお世話をしてくれるというたてまえですが、実は外国人にかなり不親切で、特にEU圏内以外から来ている外国人学生に対しては、本当に保守的です。私も初めの頃に、同室の子と性格が合わず、部屋を変えて欲しいとお願いしたのですが、「ウィーンで部屋がなくて困っている人もいるのに、部屋の子の性格だけが問題で部屋を変えたいなんて、なんて贅沢なの!」と言われ3、4回ぐらい事務所に行ったのですが、訪れるたびに、「また、あなたね、もうあなたにすべき説明はもう全てしました。」と言われ話も聞いてもらえず追い返えされることが何度もありました。 このような態度が続いたので「ÖADとの契約を打ち切りたい」と申し出たのですが、職員の人に「もしうちとの契約を打ち切りたいなら、あなたの代わりにその部屋に住んでくれる、オーストリア人以外の外国人を連れてきてあなたの引越した後、その部屋に住むという契約をこの場でしてくれれば、契約を解除することができる。それ以外は契約した期間を縮めることはできない。」といういかにも冷たい返事が返ってきたりしました。 それなので、これからウィーンに留学する皆さんにはOADを通して寮を契約することはお勧めしません!なにか問題があっても、何も対処してくれませんし、メールは返ってこない、事務所に行けば嫌な顔をされ、早口のドイツ語でなんだかんだ説明され、聞き返すとにらみながらため息をして、いやいやながら説明を繰り返します。
市庁舎のクリストキントマルクト 現在私は、WGにドイツ人とオーストリア人、そしてオランダ人と一緒に暮しています。しかし、ここウィーンでは、住居さがしは一苦労です。WGに住むのはとっても快適ですごくいいのですが、インターネットで同居人を募集しているWGに連絡をして部屋を見せてもらいにいくと、必ず終わりに面接があります。私もこの面接で3回落とされました。 この面接で主に聞かれることは、「どのくらい長くウィーンに住むのか。」「何を勉強しているのか。」「経済的な面はどうか。仕送りをしてもらっているのか。」「年はいくつか。」などです。 私たち、交換留学生にとって不都合なのは、1年間という限られた期間しかウィーンにいないことです。WGは一軒家を学生複数で借りて、大家さんに家賃をそれぞれが支払っているので、誰か一人でも次に住む人を探さず引越しをしたら、残りの同居人がその部屋の家賃を負担しなければならないので、面接の時に「交換留学生です。」と言うと必ず「もし、ここに住むとしたら、帰国までに必ず次に住む人を探してから帰国して欲しい。それができないなら、あなたをここに残念ながら同居人として迎えることができない。」と忠告されます。 それに、大概の人たちはころころ自分の同居人が代わる事を嫌がるので、なるべく、長期間WGに住む予定の人を同居人として採用する場合が多く、私たち交換留学生たちとっては少しWGに住むのは難しいかもしれません。しかしすべてのWGがそのような要望を持っているのではないので、いろいろなWGに連絡をしてみて、WGに住むのも悪くないと思います!
大学での授業 ゼミなどでは、「外国人だから」という考えは通用しません。なぜなら前にも書きましたが、ウィーンでは外国人が多く生活していて彼らもオーストリア人と同じことを同じようにし、やり遂げているからです。ゼミや授業で発言せずにただ座っていると、「日本ではどうですか。」などという優しい声かけは一切ありません。とにかく「自分はここに学ぶためにいるんだ!ただ聴講するだけではないんだ!」という思いをしっかりもって自分から発言しない限り、そのゼミの時間中ただ座って終ります。私も後期になって初めてプレゼンをすることになりました。気を引き締めて頑張っていきたいと思います。
アドバイス | |||||||||
SS 2005 bis WS 2006/07 A.Tさんからの体験記 | |||||||||
わたしはウィーン大学に二年間、計4ゼメスター在学しました。 出発前と到着後しばらくの慌しさのあと、ストレスもあってはじめてのゼメスターはそれほどまじめに学業に励んでいたわけではありません。それでも、獨協からの留学生を担当している Prof. Frau Faistauer のゼミ(獨協の留学生は2ゼメスター必ず履修する、特別な理由がないかぎり毎週出席する義務)では発表、レポートの提出、他のゼミ生の発表に関してコメントするといった課題が与えられ、来て間もないころのわたしにはかなりの仕事でした。 住居、ビザのことなども片づき、二期目にはいってやっとここの生活に慣れてきたという実感がわき、まもなくウィーンを去ることがとても惜しく感じられました。しかしわたしが留学を延長した最大の理由は日本で学業することの経済的負担でした。このまま獨協に戻っても卒業までいずれにせよあと二年は要すること、そうなると経済的な負担がさらに加わることからあと一年負担の軽いウィーン大学に在学し、(獨協での在学を一年にし) 卒業に必要な単位の取得に励むことを決心しました。 留学二年目の2ゼメスターはわたしにとって正直とても辛かったです。単位を取るために必死にがんばった一年でした。ひとつのテストのために半年以上も準備することはふつうで、いつもふたつ、みっつのテストを同時期に抱え、休暇も返上で本にかじりついていました。ですからオペラやお芝居など、ウィーンならではのエンターテイメントを楽しむ時間的、心理的余裕もなく、その点ではせっかくウィーンにいるのに残念という気もしました。 日本でならそれくらい負担にならないテストでも、ここではそういうわけにもいかず、また努力したぶん相応に報われないこともあり、心理的にもかなり追い詰められていました。しかし多くを学び、学ぶことの奥深さ、意義を実感しました。日本では学業というものは安定職に就くための最良確実な手段であり、何を学んだかということはあまり重要視されないようにおもいます。大学にいることで現実からの逃避、罪の意識さえ感じていたわたしがここにきて得た最大の収穫は、学問することの意義だとおもいます。ここでは卒業の重みも日本とまったく違い、大学には入ったものの卒業できないひとがたくさんいます。卒業するまでに十年かかるのがふつうで、二十年以上かかったひと(仕事の傍ら大学に通っていた)などめずらしくなく、卒業はそれだけ難しく、学生に求められる質も日本とはまったく違います。 わたしもがんばった甲斐があり、なんだかんだいいながら評価をもらったときの喜びはひとしおで、それが次の課題をこなす原動力になりました。
ながい間わたしはじぶんの専攻を何にしようかとずっと悩んでいました。2ゼメスター目から少しずつ本腰をいれて勉学に励むようになり、まずはösterreichische Geshichteに専念しました。
アドバイス ウィーン大学留学における最大の問題点は情報の乏しさだとおもいます。はじめてのゼメスターではすべてが手探り状態で、履修したLehrveranstaltung はFrau Faistauer のゼミを除けばあまりよい質とはいえませんでした。しかし母国語の友人のアドバイスに助けられ、わたしもじぶんなりにがんばった在学生活から教授を見る目も磨かれたようにおもいます。(ひとりよがりな理論を展開する先生、100年前のメソッドを用いる先生も確かにいます。) ここでとりわけ充実している Lehrveranstaltungenを行っている教授を紹介します。
Prof. Oliver Rathkolb im Instituet der oesterreichischen Geschichte 2教授とも有名な歴史家で、人間的にも信頼でき、外国人学生に理解を示してくれます。 ふたりのLehrveranstaltung は毎週目から鱗で、この教授からわたしはいちばん多くを学びました。 辛いウィーンでの大学生活も終わってしまえば寂しく感じられます。と同時にこの二年間わたしを支えてくれたひとたち、家族、友人に感謝の気持ちでいっぱいです。かれらの支えがあってやり遂げられた留学でした。みんな、ほんとうにありがとう。そしてこれからウィーン大学で学ぶ人に一言、やればできる。
A.Tさんからの中間報告
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大 学 | ウィーン大学はいわゆるマンモス校で、Hauptuniは迷路です。学科によっては都心外にあるので、学期が始まる前にあらかじめ建物と教室の場所を確かめておく必要があります。またシラバス等で頻繁に見かけるAAKHとは、もと病院だった敷地に設置されたキャンパスで、Hauptuniの裏手、徒歩五分のところにあります。 学籍登録に関しては、早朝から長蛇の列に並ばなくてはなりません。必ず授業料の振込みをしてから、振込用紙の片半と学生証用の写真を持って行きます。 シラバスはインターネットで発信されます。ほとんどの授業にインターネットによる登録が必要で、決まった登録日があります。しかし、あっという間に定員を上回ることが多く、私の場合多くはWartelisteに登録されました。でも初回の授業に参加すれば、出席が重視されるのでたいてい受け入れてもらえました。
わたしは三年次に留学したのですが、自分の分野も定まらず、ゼミや講読の経験もないまま留学して正直よかったのか疑問に思っています。ある程度、自分の専門分野を深めたうえで、留学したほうがよかったかもと思っています。わたしの専門は一応、心理学と宗教なのですが、しかしその分野の授業を探してもありませんでした。神学学科に似たような傾向を見つけて、Evangelische Theologie Institutで参加できる授業を探したのですが、前提条件等の問題で断念しました。なんとかわたしの分野と接点のある授業を見つけて哲学、現代思想の講義を受講しましたが、教授が話すことがあまりにも抽象的で、単語のひとつひとつは理解できても、全体像がいまいち想像できず、苦労しました。 実りの多かった授業は、獨協からの留学生を世話しているFrau FaistauerのKOです。獨協からの留学生はこのKOへの出席が義務付けられました。この授業にはドイツ語圏以外の学生が参加しています。ここでははじめにレポート作成の手引きがありました。その後、ひとりひとりにプレゼンテーション、レポート提出の機会が与えられます。少人数で、専門分野を問わず誰でも自分のテーマで発表できますし、先生が原稿を添削してくださるので、学ぶことも多くありました。 苦労する点は、Vorlesung、Übung等の先生方の話す訛りが聞き取れないことです。先生方が書く字もほとんど読み取り不可能です。授業は総じて大変難しく、全体は理解できても細部については曖昧にしか理解できません。でもメモをとることはドイツ語の勉強になるだけでなく、授業が進むに連れて講義の内容も段々理解できてくるのでとても助けになっています。
住 居
結局 Frau Faistauer が力を貸してくれて、寮の斡旋事務所ÖADに頼んでわたしたちの部屋を世話してくれました。しかしこの斡旋事務所がくせもので、何かとお金を請求してきます。とはいうもののとりあえず部屋が必要な場合は仮の宿探しに便利なので、契約の際の注意点をあげておきます。
暮らし あと三ヶ月ウィーン大学で学びます。また学期終了後に所属するGermanisnik Institutの学生が結成した劇団の公演もあるので、それに向けて準備しています。
SS 2005 bis WS 2005/06 海田実希さんからの体験記
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大学や町の様子 | ウィーンは1年間生活するのに飽きることのない街です。オペラやコンサート、博物館めぐりなど、暇な時間があれば何かしら楽しめます。街はすごくきれいだし、交通も発達していてとても便利です。Hauptuniも最近玄関部分が改装され、さらに明るくキレイになりました。ただキャンパスがInstitutごとに、市内のところどころにあるので初めはそれが見つけにくいのと、校舎が大きすぎてすごく迷いました。 また、戦後60周年、Staatsvertrag締結50周年記念のイベントが多く開催されていて、戦後史専門の私にとっては当たり年に留学できたなぁと思いました。
授業 それでも耳を慣らすために講義に出席していたせいか、冬学期にはなんとか授業についていけるようになり、テストやレポートにも挑戦しました。一番苦労したのがオーストリアの戦後史の授業で、学期末にレポート書いたのですが、それがものすごく大変でした。 でもその後、先生が個人的に論評をしてくださり、良い成績もいただけたので、ものすごい達成感を得ることができました。他の分野では分かりませんが、ウィーン大学には有名な歴史家の教授が多いので、その先生方の授業を履修できたことはものすごく貴重なことだと思います。 その他、討論やプレゼンの練習の授業や翻訳の授業を受けていました。こちらはついていくのはそんなに大変ではなかったけれど、やっぱり入念な準備が必要でした。
日常生活
アドバイス ウィーンに限らず、外国に住むということでいろいろな問題にぶつかるとは思いますが、成長するチャンスと思ってがんばってください。そしてたくさんの人と交流して、楽しむことも忘れないでいることが、留学成功の秘訣だと思います。
留学を終えて 1年という限られた留学期間だったということと、初のウィーン大学への派遣に参加できたということで、1年間自分にプレッシャーをかけすぎたり、欲張りすぎてうまく行かず落ち込むことも多々ありましたが、結果的に私はこの留学にとても満足しています。もしウィーンに留学していなかったら、これからの人生違うんだろうな、と思うくらい、私に影響を与えてくれました。こんな機会を与えてくださったすべての人たちに感謝しています。 海田実希さんからの中間報告
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授業について | 夏学期は6個の授業(歴史のVorlesung3つとオーストリアドイツ語、ドイツ語翻訳、留学生のための討論)を受けていたほかに、週2回ドイツ語コースに通っていました。 夏学期の授業は、討論の授業と日本史の授業以外(特にドイツ史のVorlesungen)はついていくのが本当に大変でした。(というよりも正直ついていけませんでした。)でも授業には毎回出席して、ウィーン訛りのちょっとにごったドイツ語とスピードに耳を慣らせようと努めました。討論の授業では自分の興味のあることについてプレゼンテーションをして、学期末には15枚のレポート提出をしました。
9月は親や友達がウィーンまで遊びに来てくれたので一緒に観光しました。獨協の先生ともお会いすることができて楽しかったです。実質私の本当の夏休みは9月の1ヶ月だけということになるけれど、それでもすごく充実したものとなりました。 やっと秋学期に入って住居の問題も片付き、ドイツ語もだんだんと自分の言いたいことを前よりも簡単に説明できるようになり、少し余裕が出てきたように感じます。残りの留学期間も充実したものとなるように日々がんばります! SS 2005 bis WS 2005/06 後藤絢子さんからの体験記
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わたしの留学体験記は決して模範となるようなものではない。このあたりをお許しいただいて、先に進むとしたい。 | さて、ウィーンに留学すると、様々な困難に出くわす。 まず、おもしろい授業がありすぎて、全部選ぼうとするものなら自分のキャパシティーをこえてしまうこと。素敵な人間関係を築くのがむずかしいこと。ビザをとるのがむずかしいこと。満足できる家を探すのがむずかしいこと。そして、わたしのような音楽・舞台大好き人間にとっては、毎日どこかで魅力的な催しが催されていて、お金のキャパシティーがついていかないこと・・・。 その他もろもろ。ともかくも、春学期、わたしは日々問題を抱えていた。ビザからはじまって、変なおじさんとの出会い、引越し先の大家とのもめごと。試験はぼろぼろで、夏休みから冬学期はじめにかけて、ちょっとした人間関係のトラブルがあった。今、私のいちばんの強みはトラブル処理能力だろう。
最終的に冬学期には、頼もしい友人にも恵まれ、刺激もたくさん受け、試験にも慣れ、良い家と大家に出会うことができて、ウィーンを去るのが惜しくてたまらなかった。 ウィーン留学はドイツ語力上達のために最適です、とはいえない。あまりにも外国人が多いからだ。なにかしら、自分の興味分野を持っている人には、おもしろい都市だと思う。大学は大きい。だから、一生付き合える友達が絶対見つかるかどうかもわからない。 ここでは、なにをするにも自分しだいだ。こっちから出て行かないと、どうにもならない。逆にいえば、キャパシティーの大きい都市だから、何かしようと思えば99パーセント叶う。 留学スタイルとしては、もとから何か目的があるもよし、こっちで目的を探すもよし、(きっと何か見つかる。)あえてぼーっと暮してみるもよし(ひょっとすると何か見つかるし、見つからなくてもいい)。ウィーンは、百人百様の生活スタイルを演出してくれる。月並みだが、わたしはここに来て(ありとあらゆるトラブルを体験したことも含めて!)良かったと思っている。自分に帰った気がする。 ・・・というわけで、おすすめです、ウィーン。 |
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