facciamo la musica! & Studium in Deutschland

足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

「歓喜に寄せて」レクチャーコンサート

2015年03月14日 | pocknのコンサート感想録2015
3月14日(土)「歓喜に寄せて」レクチャーコンサート
―ベートーヴェンの曲の他に多くの合唱曲を生んだ「歓喜に寄せて」を楽しむ―

獨協大学天野貞祐記念館大講堂
【レクチャー】
矢羽々崇
【コンサート解説】
木村佐千子
【演 奏】
S:染谷熱子、安田久美恵/A:布施奈緒子/カウンターT:上杉清仁/T:石川洋人、坂口寿一/B:小笠原美敬、望月忠親
Pf:小木曽美津子、矢内直子(*)

【曲目】
ケルナー、作曲者不詳、フルカ、ミュラー、シュルツ、レルシュタープ、ツェルター、ライヒャルトによる作品
~シラーの頌歌「歓喜に寄せて」への14の曲集(Hamburg, ca.1800)より~

♪ ♪ ♪

ツムシュテーク、シューベルト、ベートーヴェン/オプホーフェン編、ブラウンス、ランダル=ストゥループ(*)による作品

ゲーテと並び称されるドイツの文豪シラーが著した詩「歓喜に寄せて」は、ベートーヴェンの第9の歌詞としてあまりにも有名だ。ところがこの詩は、ベートーヴェンが第9で採用するよりも40年近くも前に生まれ、酒場で盃を酌み交わしながら歌う合唱曲に盛んに使われていた、という意外な事実・・・

獨協大学で行われた今日のレクチャーコンサートでは、シラーの「歓喜に寄せて」の誕生秘話と、その後の歩みについて、レクチャーとコンサートでわかりやすく、興味深く紐解いて行った。2011年6月に、同じテーマで行われたレクチャーコンサートとほぼ同様の内容だったが、4年近く経過してまた新たな感慨を持って聴くことができた。全体の概要については4年前の感想で述べているので、ここでは今回特に感じたことについて記しておきたい。

矢羽々先生の話でとりわけ「なるほど!」と思ったのは、詩の中で「そなたの力は、世の慣習の剣が分け隔てたものを、再びつなぎあわせる」と詠われている中の「再び(wieder)」の意味。「再び」というのは、一度破壊されたもの、死に絶えたものが再生するという意味が込められていて、これはアダムとイブが禁断の果実を食べた旧約聖書の物語に象徴される、「過ち、孤立、分裂」から、神が司る調和の世界を取り戻すための「再び」である、ということ。

これまで何度となく聴き、歌ってきた第9だが、この「再び」にこんな意味が込められていたことは全く意識していなかっただけに、目から鱗だった。たわいもない飲み歌の詩から、ベートーヴェンがそこに込められた真の意味を見出し、それを音楽として体現した第9だからこそ、ドイツ統一のセレモニーで、また最近では東日本大震災からの復興を願って演奏されるにふさわしい価値が秘められていることになる。

レクチャーに続いて「歓喜に寄せて」に付けられた様々な歌が演奏された。木村先生の解説を聞いてから演奏を聴くと、同じ詩に付けられた曲でも、それぞれに特徴的な個性があることがとてもよくわかる。そして「飲み歌」のなかにも、例えば元はフリーメーソンのために作曲されたというミュラーの作品に漂う幸福感や、牧師の呼びかけと讃美歌での唱和を模したようなシュルツの作品で聴かれる一体感、或いは、ライヒャルトの作品で、節の後半に歌われる合唱の華やかさなどから、ベートーヴェンの第9が生まれる附箋の存在が見えたような気がした。これは、雄弁なソロの歌唱や、美しく調和して一体感ある合唱の充実した演奏に負うところも多い。

最後はベートーヴェンの「歓喜の歌」を聴衆も一緒にみんなで歌い、会場は大いに盛り上がり、収穫の多い、楽しいレクチャーコンサートだったが、こうした催しが行われるのも、多くの「飲み歌」だけでなく、やはりベートーヴェンの「第9」という存在があってこそ。そうなると次の機会では、ベートーヴェンと「歓喜に寄せて」に焦点を絞り、これについて更に掘り下げた話と、ベートーヴェンのオリジナルの第9を抜粋でいいので聴きたくなる(今日の編成なら実現可能なはず)。


合唱曲「歓喜に寄せて」レクチャーコンサート 2011.6.11 旧東京音楽学校奏楽堂

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 太魯閣 ~ケタ外れのスケー... | トップ | ヤノフスキ指揮 ベルリン放送... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

pocknのコンサート感想録2015」カテゴリの最新記事