第2次世界大戦終結に伴い戦勝国の共同管理となった結果、東西に分断されたドイツの首都ベルリン。ソビエトの管理下にあった東ベルリンでは、自由を求めて西側へ越境する市民が後を絶たず、これに業を煮やした東独政府が1961年に一夜のうちに鉄条網で「壁」を築く。 45キロに渡って当時の「西ベルリン」をぐるりと囲んだ鉄条網のフェンスは、その後堅固で無愛想なコンクリートの二重の壁に補強され、要所に監視塔が建てられた。東側の壁を越えても西ベルリンへ入るには更にもう1つ壁を越えねばならない。二重の壁の間は更地の緩衝地帯になっていて、そこを走る抜けようとすれば見つかり次第その場で銃殺される。 壁は東西ベルリンの人々の行き来を、物理的にも精神的にも断絶し、東西冷戦の象徴として立ちはだかり続けた。 それからようやく20年以上を経て、当時のソビエト書記長、ゴルバチョフの改革政策ペレストロイカが引き金となる形で東西冷戦に雪解けの機運が起こり、東側での民主化の動きへと高まって行く。そしてついに1989年11月9日、歴史的なベルリンの壁の崩壊の日を迎える。東西ベルリンの市民が涙を流して抱き合い、叫び、歓喜した熱狂的なシーンが電撃ニュースとして世界中を駆け巡った。 45キロあった壁はこの日を境に猛スピードで取り払われ、間もなくベルリンの壁は観光名所としてごく一部を残すのみとなった。 イーストサイドギャラリー 2009年5月22日 今回のベルリン滞在中に、壁が一番長く残っているイーストサイドギャラリーを久しぶりに訪れた。折りしも今年はベルリンの壁崩壊から20年目の記念の年に当たる。ベルリンではちょうどその記念イベントがブランデンブルク門を中心に行われていた。 ベルリン中央駅から歩いて5分足らずでベルリンの壁の端に行ける。近代的な巨大駅ビルに生まれ変わった中央駅とは異なり、壁の付近は以前訪れた時(2000年)とあまり変わらず殺伐としていた。 壁の間の緩衝地帯にはエスニックフードショップなどのバラックが点在していた 子供の遊び場になっているところもある 壁の崩壊後にドイツを中心としたヨーロッパの画家達が自発的に灰色一色だった東側の壁に絵を描いた。それがギャラリーとして残されたこの辺りが「イーストサイドギャラリー」と呼ばれている。それらの絵も更にその上に絵が描かれたり、落書きをされたり、はがれ落ちたりして随分くたびれているものが多い。そのあたりは想像力で補って20年前に描かれた絵を鑑賞・・・ 壁の補修 そんな古びた絵を眺めながら壁に沿って歩いていたら、作業服姿のおじさんが壁に向かってしゃがんで何やら壁をいじっていた。何をしているのかな、と近づいて見てみたら、ヘラのようなもので壁の絵を剥がしているようだった。 クリックで手元を拡大 気になって「すみませんが、何をしているんですか?」と訊いてみた。 「この絵を剥がしているんだよ。もともとこの壁はコンクリートの灰色一色だったんです。ほら、この剥がしたところの色ね。それが長年にわたって絵や落書きや上塗りが重ねられてこんなに層ができちゃった。これを丁寧に剥がしているんだ。」 つまり、壁崩壊後にいろいろと塗り重ねられたものを、冷戦時代と同じ姿に戻す作業をしているっていうわけか。それにしても随分根気のいる仕事だなぁ… さらにしばらく歩き進むと、元のコンクリート色の姿をした壁が現れた。あのおじさんが剥がし終えた「完成品」だろうか。 生まれ変わるベルリンの壁 ところがさらに歩いて行くと、今度はコンクリートの壁の上に白いペンキを塗り、そこに絵を描いている人達がいた。 「えっ?どういうこと? 古い絵を剥がしてコンクリートの姿に戻すんじゃないの?」 とても疑問に思って絵を描いている人に訊ねてみた。 「向こうの方で絵を剥がしている人がいたんですけど、その上にどうしてまた絵を描くんですか?」 「今までに描かれた絵はみんなボロボロになってしまったんで、それを一旦全て剥がしてきれいにした上で絵を描いているんだ。壁崩壊20周年記念日の11月までに、1.3キロ残っているこの壁に108人の画家が絵を描く計画なんです。」 なーるほど、古い絵の上に重ね描きしてしまうと、すぐ剥がれてしまうから一旦古い絵を剥がしていたのか… ところで「108人の画家が東西冷戦の象徴だったベルリンの壁に絵を描く」と聞くと、日本人としてはこの「108」という数字が気になる。仏教の煩悩の数、除夜の鐘の数ではないか…!? 「日本では、人間が根源的に持つ迷いとか苦悩の数が全部で108つあるって仏教で言われているんですが、その108人の画家っていうのはこれと関係があるんでしょうか?」 「108の苦悩かぁ、それは初めて聞いたけれど面白い話だね。うん、何か関係があるのかなぁ…」とよくわからない風だったが、これは大いにあり得そうだ。 右に立っている人が108人の画家のことを話してくれた。 人類の歴史における最大級の負の遺産であるベルリンの壁には多くの人々の苦悩や嘆き、ここを越えようとして射殺された人達の無念さ、もしかして監視する側だった人達さえ感じたかもしれない抗いようのない権力の重圧も滲み込んでいる。 壁崩壊後20年を機に、こうした負の思いが染み付いた壁を108人の画家が描く108つの絵で祓い清め、犠牲になった人々に祈りを捧げ、未来永劫の平安を祈念するということなら、それは益々大きな意味を持つ一大イベントとなるだろう。その思いは遥かに地球を半周して、未だに南北に分断されている朝鮮半島にまで届かないものだろうか。 記念日の11月9日にはこの1.3キロの壁は108の絵で生まれ変わることだろう。新しい絵が勢ぞろいしたそんな新しい壁の姿を、落書きで汚される前に見てみたいな・・・ と思いながら、まずはこの日までに仕上がっていた新しい絵を眺めながらイーストサイドギャラリーの終点まで歩いた。 当時の監視塔を模したショップではベルリンの壁やそれに まつわるグッズ、東独時代のグッズなどが売られていた。 "wachsen lassen" 「育てよう」と書いてある間にある花瓶と植物は絵ではなく本物 右に書かれたメッセージ: Du hast gelernt was Freiheit heisst und das vergiss nie mehr 君は学んだ 自由とはどんなことかを そしてこれは決して忘れちゃいけない |
ウィーン&ベルリン コンサート&オペラの旅レポート 2009メニューへ
その数年後、視察研修途中に壁に行き、かけらを記念品に買いました。あちこちにあげて、残ったのは1センチほどのカケラ。記憶もこのくらいになるのかなあ、とふと考えてしまいました。
それにしても、ドイツの負の遺産を語り継ぐ気合いというのはすごいと思います。壁のリニューアルで記憶もまた甦るのではないでしょうか。