コトありで考えたこと

暇と退屈の倫理学(4)

前回の記事で紹介したハイデッガーの退屈の
三形式の復習から。

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ハイデッガーの退屈の三形式

第一形式:何かによって退屈させられること
第二形式:何かに際して退屈させられること
第三形式:なんとなく退屈だ
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ハイデッガーの考えでは第三形式が一番奥深い退屈。
なぜなら、第三形式には、退屈の原因となるモノ
(第一形式)も場(第二形式)もないので。

その代わり、退屈の原因となるモノも場もないと
いうことは「とらわれること」がないので、
人間は自由であると言える。

自由だけれど「なんとなく退屈だ」という状態から
抜け出したければ「決断せよ!」というのが
ハイデッガーの答え。

これに対して、筆者の國分さんの考え方は
・決断すると人間は何かを始める
・するとそのうち、その何かにとらわれて
 人間は退屈する。

すなわち、決断すると第三形式から第一形式に
戻ってしまうということなんだよね。

よって、國分さんの考えでは、
・気晴らしと退屈が混ざり合った第二形式が
 人生にとって一番望ましい状態
になるんだけど、この考えには納得できたなぁ。

この本は新潮文庫の100冊の中にも入っているので、
一読する価値はあると思うよ。

最近よく聞いているけど名曲だよね~

https://www.youtube.com/@bilalbenamo2324

 

(2月18日 ベルク記)

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