最近、朝早くに裏山をちょこちょこと散歩してます。 このおかげで、1日1500歩くらいだったのが優に10000歩超え。 起床時間に応じて歩く時間を決めてますが、今日はちょっと長めに往復90分コース。 それでも在宅勤務開始時間の9時には余裕があります。
神戸北野にある異人館、風見鶏の館から5分くらい登ったところにあるスタート地点の道標。 ここからなだらかな登りです。
登り始めてすぐに港みはらし台を通過。
バブルの頃によく目にしたトーマスマックナイトのこの絵は、ここからの景色ではないでしょうか? ちょうど同じ位置に桜があります。
みはらし台を過ぎて最初の分岐を城山方面に向かいます。 ここからはなかなかの急登。 この時期、イノシシ、そしてマムシの気配に耳を傾けながら歩を進めます。
分岐から20分程登ったら急に視界が開ける場所に到達。 かなり高度をあげてきました。
ズームするとハーバーランドの辺りがはっきりと確認できます。 神戸タワーの後ろにあるドックが、川崎重工の潜水艦ドック。8時間労働発祥の地として知られています。
スタートから30分ほどで瀧山城跡(標高316.5m)に到着。
下る途中、おぉーもしかしてこれは葉の様相からしてメタセコイヤでしょうか?
落ち葉からひっそりと顔を出すこの岩ですが、瀧山城の石垣跡がそのまま残ってるのだそう。 信長に攻められ城主が変わった後に1580年頃の廃城とのことで歴史を感じさせてくれます。
かなり下ってきました。 ちょうどJR新神戸駅の真裏の辺りでしょうか。 三宮の街並み、海を挟んで奥にはポートアイランド(通称ポーアイ)が見えます。
(当時の写真)
島内は海上だというのに緑に溢れ、当時最新の設備を備えたマンションが大通り沿いの木立に沿って一直線に並んでいる様子は、計画都市である所以でした。
しかしそのタワマンもここ三宮界隈では建築規制の施行をこの7月に控えてか、これだけの規模の街なのにそんなに無いですね。 ここが梅田でしたら向こうの海は見えないほどでしょう。 大阪のベッドタウン化は勘弁してくれ、それよりもっとオフィスを、と目論み決まったタワマン規制も裏目に出てか、直近の人口統計でも1ヶ月で1700人減少の転出超過を継続中。 人口では福岡に越され、川崎に越されてます。
かなり話しが脱線しましたが、歩いてる最中は毛虫とマムシ、イノシシに警戒しながら大体そんなことを雑考しながら。 さて、ツツジトンネルの向こうにゴールのかずら橋が見えます。
ゴール! スタートから約50分。
帰路途中にあるこの異人館(旧トーセン邸)にしてもずっと手をつけず放置されてますから、かずら橋なんかは観光資源の観点からは後回しなのでしょう。 しかし、ポートピア開催時には株式会社神戸市と呼ばれその市政の巧みさを称賛されてから久しくなりますが、ここ北野界隈に限っては、バブルが弾けたまま放置、もしくは地権者におまかせという感がしてなりません。 こんな虎フェンスに囲われ朽ちてゆく様子の異人館を観光客は見たいとも思わないでしょう。 ここだけでなく北野のそこら中に廃屋や雑草だらけの空き地、そして空き店舗があります。 どうしたのでしょうか。 人口減少の煽りなのでしょうか。
最終地点の風見鶏の館に到着。
ちなみに、以前、この風見鶏の館の手前にはヒルトンというラブホが建っていました。
神戸北野にある異人館、風見鶏の館から5分くらい登ったところにあるスタート地点の道標。 ここからなだらかな登りです。
登り始めてすぐに港みはらし台を通過。
異人館、うろこの館越しに朝日に映える神戸の街並み。 2基のオレンジ色をしたクレーンが乗るビルは工事中の阪急ビル。29階建になるのだそうで、コロナに影響無いのか来年の竣工に向けてすごいペースで上に伸び続けています。
バブルの頃によく目にしたトーマスマックナイトのこの絵は、ここからの景色ではないでしょうか? ちょうど同じ位置に桜があります。
今よりビルが少ないことがわかります。
みはらし台を過ぎて最初の分岐を城山方面に向かいます。 ここからはなかなかの急登。 この時期、イノシシ、そしてマムシの気配に耳を傾けながら歩を進めます。
分岐から20分程登ったら急に視界が開ける場所に到達。 かなり高度をあげてきました。
ズームするとハーバーランドの辺りがはっきりと確認できます。 神戸タワーの後ろにあるドックが、川崎重工の潜水艦ドック。8時間労働発祥の地として知られています。
いつもはこのハーバーランド周辺までウォーキングしていたのですが、コロナ自粛中は近所のこの裏山ルートにシフトしました。
スタートから30分ほどで瀧山城跡(標高316.5m)に到着。
朝日が神々しく照りつけております。
さて、ここをピークにずっと下山してゆきます。
下る途中、おぉーもしかしてこれは葉の様相からしてメタセコイヤでしょうか?
もし野生の古代株なら世紀の大発見!ってありえへんありえへん。
落ち葉からひっそりと顔を出すこの岩ですが、瀧山城の石垣跡がそのまま残ってるのだそう。 信長に攻められ城主が変わった後に1580年頃の廃城とのことで歴史を感じさせてくれます。
神戸の街を眼下に新緑の稜線を散歩中。 こんなに景色がいいってのに、ココに来るまでに急登を伴うせいなのか、60〜90分歩いても1人会うか会わないかといったところ。
かなり下ってきました。 ちょうどJR新神戸駅の真裏の辺りでしょうか。 三宮の街並み、海を挟んで奥にはポートアイランド(通称ポーアイ)が見えます。
(当時の写真)
ポートアイランドはその昔、と言っても1981年に「21世紀未来の海上都市」モデルとして街開きがなされた人工島です。 島の誕生を記念してポートピア博覧会が開かれました。
それまでは神戸の夜景といえば六甲山から見下ろすのが定番だったのですが、この島ができたおかげで、足を地につけながら海側から神戸の街を眺めることが船に乗らずとも可能になったわけです。 ポートピアからの帰り、ポートライナーからの眺めには、当時中学生だった自分は博覧会以上に興奮しきりだったのを覚えています。
今ではIKEA帰りに当たり前に見ている景色ですが。
島内は海上だというのに緑に溢れ、当時最新の設備を備えたマンションが大通り沿いの木立に沿って一直線に並んでいる様子は、計画都市である所以でした。
見渡す限り戸建ては無く全てが当時最先端のマンション。こんな整然とした街はそれまで歩いたことがなく、目に映る景色全てが中学生の自分には未来都市そのものでした。
ポートピア開催当時はマンション1階部分に様々なお店が入っていたので知らず知らずのうちにこの緑の道を1駅区間ほど歩いたりしたわけです。
しかしながら実際に21世紀になったら、時代はタワマンへとシフトし、当時のキラキラした面影はもう過去のものになろうとしています。 過去と言ってもまだ40年。 今から40年先、どんな住居が登場するのか、タワマンの次の形態? 想像もつきません。
しかしそのタワマンもここ三宮界隈では建築規制の施行をこの7月に控えてか、これだけの規模の街なのにそんなに無いですね。 ここが梅田でしたら向こうの海は見えないほどでしょう。 大阪のベッドタウン化は勘弁してくれ、それよりもっとオフィスを、と目論み決まったタワマン規制も裏目に出てか、直近の人口統計でも1ヶ月で1700人減少の転出超過を継続中。 人口では福岡に越され、川崎に越されてます。
かなり話しが脱線しましたが、歩いてる最中は毛虫とマムシ、イノシシに警戒しながら大体そんなことを雑考しながら。 さて、ツツジトンネルの向こうにゴールのかずら橋が見えます。
ゴール! スタートから約50分。
この日、途中出会ったのはゼロでした。
いやしかし、このかずら橋、徳島祖谷のを模して作ったらしいですが、なんちゃって感が半端ない。コンクリートとレンガなので微動だにしないし。
せめて、もう少しきちんとかずらで覆ってもいいのでは?というかメンテされずに放ったらかしな感じが否めません。
帰路途中にあるこの異人館(旧トーセン邸)にしてもずっと手をつけず放置されてますから、かずら橋なんかは観光資源の観点からは後回しなのでしょう。 しかし、ポートピア開催時には株式会社神戸市と呼ばれその市政の巧みさを称賛されてから久しくなりますが、ここ北野界隈に限っては、バブルが弾けたまま放置、もしくは地権者におまかせという感がしてなりません。 こんな虎フェンスに囲われ朽ちてゆく様子の異人館を観光客は見たいとも思わないでしょう。 ここだけでなく北野のそこら中に廃屋や雑草だらけの空き地、そして空き店舗があります。 どうしたのでしょうか。 人口減少の煽りなのでしょうか。
かろうじての救いは、この手の廃墟にありがちな割れた窓が一つも無いということでしょうか。もう何年にもなるのにずっとこんな感じです。きっと治安がいいのでしょうね。
最終地点の風見鶏の館に到着。
いわゆる異人館のフラッグシップですから、かろうじてこの辺りだけはきちんとメンテが行き届いているようです。
ちなみに、以前、この風見鶏の館の手前にはヒルトンというラブホが建っていました。
今の北野坂はヒルトン坂と呼ばれることになろうとしたところ、
これが潰れたことを幸いに土地を神戸市が買い取り公園にしたそうです。
薄暗かった空は五月晴れの超快晴。 1日の始まりです。
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